第五話 覚醒の兆しと、交差する思い
一夜明け、学校の空気は微妙に変わっていた。
トシオが教室に入ると、ミユはすでに席に着いており、窓の外をぼんやりと眺めていた。彼女の様子はいつもと違い、どこか遠くを見つめるような、不安げな目をしていた。
「ミユ、大丈夫か?」
声をかけると、ミユははっとしたように振り向いた。
「あ、トシオくん……うん、大丈夫だよ。ただ、ちょっと寝不足で」
彼女の目元には確かに薄い隈ができている。昨夜の出来事が、彼女に何らかの影響を与えているのは明らかだった。
「変な夢を見ちゃって……」ミユは自分の手のひらを見つめながら呟く。「今度は、剣を持って戦ってる夢じゃなくて……誰かを守ろうとしてる夢。でも、守りきれなくて……すごく無力で」
トシオの心臓が一瞬止まりそうになった。(守ろうとした相手……それはもしかして――)
「誰を守ろうとしていた?」
「わからない。顔は見えないの。ただ……とっても大切な人で、失いたくないって思ってた」
その言葉が、トシオの胸を締め付けた。前世の決戦で、ミユは何を守ろうとしていたのか。国か、民か、それとも――。
「でもね、トシオくん」ミユがふと顔を上げ、不思議そうな表情で言った。「夢の中で、守ろうとしてた人の声が聞こえた気がするの。『逃げろ』って……その声、どこかで聞いたことがあるような」
トシオは息を飲んだ。あの時、最後の瞬間、彼は確かに言った。剣が胸を貫く直前に、力を振り絞って――。
「ただの夢だ」トシオは必死に平静を装った。「気にしすぎるな」
「うん……そうだね」
しかし、ミユの目には完全な納得はなかった。彼女の直感は、少しずつ真実へと近づいている。
昼休み、トシオはレオンからメールが来るのを確認した。
「第一節点の準備開始。公園は明日から工事のため一時閉鎖。注意せよ」
計画は着々と進んでいる。トシオは複雑な思いで画面を閉じた。彼はミユを守るために情報を集めているはずなのに、その過程でレオンたちの計画に深く関わらざるを得なくなっている。
「トシオくん、一緒に昼ごはん食べよう」
ミユが嬉しそうに弁当箱を持って近づいてきた。彼女は昨夜の不安げな様子はどこへやら、いつもの明るさを取り戻していた。
「今日は卵焼きを頑張って作ったんだ。見て!」
彼女が弁当の蓋を開けると、少し形は崩れているが、確かに愛情込めて作られた卵焼きが入っていた。
「……すごいな」
「でしょ? お母さんに教わったんだ。トシオくんの分も……もしよかったら、一つどう?」
遠慮がちに差し出される卵焼き。トシオは一瞬ためらったが、結局受け取った。
「……ありがとう」
「いえいえ!」
ミユは満足そうに笑い、自分の弁当を食べ始めた。その無邪気な笑顔を見ていると、トシオは罪悪感で胸が苦しくなった。
(この子は何も知らない。ただ、俺に好意を抱いているだけなのに……)
「ねえ、トシオくん」
「ん?」
「私……トシオくんと一緒にいると、なんだか安心するんだ」
ミユが真剣な目でトシオを見つめる。
「前から感じてたけど、最近特に。トシオくんの傍にいると、あの嫌な夢から遠ざかれる気がする」
「……それは」
「変な話だよね。だって、トシオくんは普通の転入生なのに」ミユは少し恥ずかしそうに頬を染めた。
「でも、本当なんだ。トシオくんがいてくれると、怖くない」
その言葉は、トシオにとってあまりにも重かった。彼は彼女の恐怖の源の一つなのに、今では彼女の安心の源になっている。
放課後、トシオはレオンたちの活動を監視するために旧城址公園に向かおうとした。しかし、校門を出たところで、またしても声をかけられた。
「トシオくん、ちょっといい?」
振り向くと、銀髪の風紀委員、シルフィアが立っていた。彼女の表情はいつもより深刻だった。
「昨日の夜、街中で妙な魔力の動きを感じたの。旧城址公園の方から……トシオくん、何か知っている?」
(鋭い……)
「知らないな。俺は普通の学生だ」
「そう……?」シルフィアの目が一瞬、鋭く光った。「でも、あなたの周りには、妙な縁が集まっている気がする。特に、ミユさんと」
トシオは警戒心を剥き出しにする。
「ミユになにか用か」
「心配しているだけよ」シルフィアは優しいがどこか悲しげな笑みを浮かべた。
「彼女、最近様子がおかしいでしょう? 夢の話をしているって、友人から聞いたわ。前世の記憶が戻り始めている可能性が高い」
「……何が言いたい」
「私はただ……」シルフィアが一歩近づき、声を潜めた。
「彼女を守りたいの。前世でも、今世でも。そして、トシオくんも――かつての陛下も、本当は彼女を傷つけたくないはず」
トシオは息を詰まらせた。シルフィアは全てを理解している。少なくとも、主要な部分は。
「なぜ、俺が」
「目でわかるわ」シルフィアの声は柔らかいが、確信に満ちていた。
「あなたがミユを見る目……罪悪感と、守りたいという想いが入り混じっている。前世の因縁を知る者にしか持てない感情よ」
沈黙が流れる。トシオは否定も肯定もできず、ただシルフィアを見つめるだけだった。
「私は今、ガルドと情報を共有している」シルフィアが続ける。
「彼も魔力の異常な動きに気づいている。そして……どうやら、『あちら側』も動き始めているようね」
「あちら側?」
「旧魔王軍の残党よ」シルフィアの目が厳しくなる。
「彼らが何かを計画している。街中に設置された奇妙な装置の噂を聞いた。もし彼らが本格的に動き出したら……前世の戦いが再現されるかもしれない」
「それを止めたいのか」
「もちろん。でも、力だけでは解決しないわ」シルフィアは深くため息をついた。
「前世、私たちは互いに傷つけ合った。今度は違う方法を見つけなければ。それには……あなたとミユさんの関係が鍵になるかもしれない」
「どういうことだ」
「彼女はあなたを信じている。あなたを通して、両陣営の橋渡しができるかもしれない」シルフィアの目が真剣に輝く。
「トシオくん、あなたには選択肢がある。もう一度戦争を起こすか、それとも……新しい関係を築くか」
その言葉は、トシオの心に深く響いた。彼が望んでいたのはまさにそれだった――戦いのない、平和な関係。
「……考えておく」
「ありがとう」シルフィアは温かい笑みを返した。
「でも、急いで。時間はあまりないわ。彼らの計画が次の段階に進む前に」
シルフィアが去った後、トシオは複雑な思いで街を歩いた。レオンたちの計画、シルフィアたちの警戒、そしてミユの覚醒――全てが絡み合い、彼を中心に渦巻いていた。
旧城址公園に近づくと、確かに「工事中」の看板が立ち、周囲にはバリケードが設置されていた。その奥からは、微かにだが確かに魔力の気配が感じられる。
(すでに始まっている……)
トシオは距離を置いて観察した。バリケードの隙間から、レオンとダークの姿が見える。彼らは何やら複雑な装置を設置しているところだった。
その時、トシオの携帯が震えた。見ると、ミユからのメールだった。
「トシオくん、今どこ? 急に頭が痛くなって……変な声が聞こえるような気がする」
(まずい……公園の魔力増幅が、すでに彼女に影響を及ぼしている!)
トシオは急いで返信した。
「すぐ戻る。どこにいる?」
「学校の図書室。静かな所にいたかったから……」
トシオは最後にレオンたちを見つめると、急いで学校へと引き返した。計画は彼の予想以上に早く進んでいた。そしてその影響は、最も影響を受けやすいミユに最初に現れ始めている。
(間に合わなければ……)
走りながら、トシオは必死に考えた。レオンたちを止める方法。ミユを守る方法。そして、シルフィアが言った「新しい関係」を築く方法――。
図書室に着くと、ミユは机にうつ伏せになっていた。彼女の肩が微かに震えている。
「ミユ!」
「トシオ……くん……」彼女が顔を上げると、目には涙が光っていた。
「すごく嫌な声がするの……『殺せ』『滅ぼせ』って……それに、炎が燃える映像が浮かんで……」
トシオはミユの手を握った。その手は氷のように冷たかった。
「大丈夫だ。ここには何もない」
「でも……本当に聞こえるんだ……」
「深呼吸しろ。ゆっくりでいい」
トシオの指示に従い、ミユは深く呼吸を始めた。徐々に、彼女の震えは治まっていった。
「……消えた。トシオくんが触ってくれてから、だんだん消えていった」
「そうか、よかった」
しかし、トシオの心は晴れなかった。これは一時的な対処に過ぎない。根本的な原因を解決しなければ、また同じことが起こる。
「トシオくん……私、何か変なのかな」
「違う。お前は何も悪くない」
「でも、普通の人には聞こえない声が聞こえるなんて……」
トシオはミユの目を真っ直ぐ見つめた。
「お前は特別なんだ。それだけだ」
「特別……」
「ああ。だから、怖がるな。俺がついている」
その言葉に、ミユの目に涙が溢れた。
「ありがとう……トシオくん。トシオくんがいてくれるから、私は頑張れる」
彼女がトシオに抱きつく。その温もりは、トシオに前世の記憶を蘇らせた――最後の瞬間、彼女の剣が彼の胸を貫いた時、彼女の頬を伝っていた涙の温もりを。
(歴史を繰り返させない……絶対に)
トシオは心に誓った。彼はもう、逃げない。魔王として、転生者として、そして今はミユを守る者として、この因縁と正面から向き合う。
夜、トシオはレオンにメールを送った。
「計画を一時停止しろ。ミユに影響が出ている」
すぐに返信が来た。
「遅すぎる、陛下。装置はすでに起動した。止めるには三つの節点全てを破壊するしかない。覚悟はいいか?」
戦いは、もう始まっていた。そしてトシオは、自らその中心に立たなければならない。
窓の外を見ると、満月が欠け始めていた。次の満月までに、全てを終わらせなければ――彼はそう感じていた。
三度目の人生は、最初の戦いに向かって加速していく。すべての因縁が、一つの決断へと収束しようとしている。




