第四話 満月の集いと、囁く影
満月の夜。旧城址公園は昼間の面影を留めず、鬱蒼と茂る木々が不気味な影を落としていた。街灯の光も届かず、月光だけが薄青く地面を照らす。
トシオは指定された時間に、公園の奥にある廃墟のような物見櫓の前に立った。心臓は警戒で高鳴っている。ここに来るのが正しい選択かどうか、彼自身もわからなかった。ただ、ミユを危険から遠ざけたい――その一心だった。
「時間通りだな、陛下」
レオンの声が暗がりから響く。彼の後ろから、さらに二人の影が現れた。一人は細身で眼鏡をかけた青年、もう一人は大柄で無骨な風貌の男。
「仲間を紹介しよう。眼鏡のこいつはダーク。前世では俺の副官で、暗黒魔法の専門家だ」
眼鏡の青年――ダークは無表情で軽く一礼した。
「でかくて無口なのはゴル。守護騎士団長だった。あんまり喋らねえが、戦えば獅子奮迅だぜ」
ゴルは黙ってうなずくだけ。その巨体からは、確かな迫力が滲み出ていた。
「で? こっちの計画に興味を持ってくれたか?」 レオンが皮肉っぽく笑う。
「興味はない」 トシオはきっぱりと言った。「だが、話は聞く。お前たちが何をしようとしているか、正確に知っておく必要がある」
ダークが微かに眉を上げた。「興味深い……完全に無関心を装いながらも、情報収集には勤しむ。やはり魔王らしい合理主義だ」
「で、計画の詳細は?」 トシオは問い質すようにレオンを見つめた。
レオンは周囲を見回し、声を潜めて話し始めた。
「今の世界には、『魔脈』と呼べる弱い魔力の流れがある。それを増幅し、収束させることができれば、我々のような転生者の力は飛躍的に高まる。まずはこの街から実験を始めるつもりだ」
「そのために必要なのは?」 トシオの声は冷たい。
「三つの『節点』だ」 ダークが淡々と説明する。「この街には、歴史的に魔力が集まりやすい場所が三つある。そこに我々が開発した増幅装置を設置すれば、街全体を魔法が使える領域に変えられる」
「住民への影響は?」
「最初は無害だ」 レオンが手を広げる。「ただ、空気が『魔力豊富』になるだけ。だが長期的には……適性のある者が自然と力を覚醒し、やがては我々の下に集まるだろう。新しい秩序の始まりだ」
トシオの脳内で警鐘が鳴る。(魔力の覚醒……それはつまり、ミユの記憶と力も完全に目覚めてしまう可能性がある)
「それが目的か? かつての部下を集めて、また軍隊を作るつもりか」
ゴルが初めて口を開いた。低く、地を這うような声だ。
「……軍隊ではない。家族だ。前世、我々は陛下の下で生きる意味を見出していた。もう一度、あの絆を取り戻したいだけだ」
その言葉に、トシオは一瞬、胸を衝かれた。確かに、魔王軍は単なる軍隊ではなかった。迫害された亜人種、社会からはじかれた者たちが集う、歪ではあるが確かな「家族」だった。
「だが、今は違う」 トシオは己に言い聞かせるように言った。「今の世界に、戦う理由などない」
「ないのか?」 レオンの目が鋭くなる。「勇者パーティも転生している。奴らが完全に覚醒した時、我々を放っておくと思うか? 前世の因縁は消えない。特に――」
レオンが一歩近づき、声を潜めた。
「特に、勇者ミユが完全に記憶を取り戻したらどうなる? 彼女がお前を『魔王』として認識した時、今のあの甘い態度のままであると思うか?」
トシオは言葉を失った。彼が最も恐れているシナリオだ。
「俺たちの計画は防衛手段でもある」 ダークが理路整然と付け加える。「我々が先に力を集め、陣地を固めておけば、仮に勇者側が敵対行動に出ても対応できる。消極的だが、必要な予防策だ」
「……節点はどこだ」
「一つはこの旧城址公園。もう一つは街の中心にある歴史図書館の地下。そして最後は――」 レオンがためらったように言う。「私立桜ヶ丘学園の、旧校舎の地下室だ」
トシオの背筋が凍る。まさしく、ミユが通い、自分も通う学園だ。
「お前たち……!」
「偶然だ、陛下」 ダークが冷静に言い放つ。「魔力の節点は歴史的に重要な場所に形成されやすい。学園の旧校舎は、この街で最も古い建築物の一つなのだ」
トシオは頭を抱えたい衝動に駆られた。最悪の場所だ。
「学園で装置を設置すれば、生徒たち、特に魔力適性のある者への影響は避けられない。ミユへの影響はなおさらだ」
「それこそが、我々がお前を誘った理由の一つだ」 レオンが真剣な目でトシオを見つめる。「お前なら、あの勇者様をうまくコントロールできるかもしれない。少なくとも、彼女が我々の計画を邪魔する前に、何か手を打てる」
「……利用されに来たわけではない」
「わかっている」 レオンが意外にも柔らかい口調で言った。「お前は彼女を守りたい。それなら、尚更、我々と手を組んだ方がいい。放っておけば、彼女はいずれ記憶を取り戻し、独力で動き始める。その時、彼女が何をしようとするか、誰が止められる?」
重い沈黙が流れる。月が雲の間から顔を出し、四人の影をより濃く地面に落とした。
「……装置設置の時期は?」
「一週間後だ」 ダークが答える。「まずはこの公園から始める。それから図書館、最後に学園だ。学園は休日に作業する」
「その間、お前には一つ頼みがある」 レオンが言う。「ミユの様子を注意深く見張ってくれ。彼女の記憶がどの程度戻っているか、何か変化がないか。そして……もし彼女が我々の活動に気づいたら、うまく誤魔化すか、あるいは味方に引き込むかしてくれ」
「そんなことが可能だと思うか」
「あの子、今のお前になついてるんだろ?」 レオンが薄笑いを浮かべた。「それを使わない手はない」
トシオは複雑な表情を浮かべた。ミユの純粋な感情を、こんな形で利用するのは彼の本意ではない。だが、彼女を危険から遠ざけるためには――。
「……わかった。様子は見る。だが、お前たちが学園で無茶をしたら、それはそれで対処する」
「了解だ、陛下」 レオンが満足そうにうなずいた。
その時、遠くから微かな足音が聞こえた。四人は一斉に警戒態勢に入る。
「誰だ……?」
レオンが手に小さな炎の玉を灯す。薄明かりの中、物陰から現れたのは――
「トシオ……くん?」
怯えた声でそう呼んだのは、制服姿のミユだった。彼女は恐怖に目を見開き、レオンたちとトシオを見比べている。
「こ、ここで何を……それに、この人たちは……?」
彼女の視線がレオンの手の炎の玉に釘付けになる。
「あの光……夢で見た……炎が街を焼き尽くす夢……」
ミユの顔が青ざめ、よろめく。トシオは駆け寄りたい衝動を抑えきれなかった。
「ミユ! ここに来るな! 帰れ!」
「でも、トシオくんが夜に一人で出てきて心配で……ついてきちゃった」 彼女の声は震えている。「この人たち……何者? トシオくんに何かするつもり?」
レオンが炎の玉を消し、平静を装う。
「ただの旧友だ、お嬢さん。懐かしい話をしてただけさ」
「違う!」 ミユの声に力がこもる。「あなたたち……すごく危険な感じがする。トシオくん、早く逃げよう!」
ミユはトシオの腕を掴み、引っ張ろうとする。その手は冷たく、震えていた。
ダークが眼鏡を押し上げながら言う。
「……記憶の断片が覚醒しつつある。危険だ」
「おいおい、これはまずいな」 レオンも表情を曇らせる。
トシオはミユとレオンたちの間を見つめ、決断を迫られた。今、ここでミユを連れて逃げれば、彼女の疑念は深まるだけだ。かといって、レオンたちの前で何もできなければ――。
「ミユ、落ち着け」 トシオはできるだけ穏やかな声で言った。「彼らは本当に昔の知り合いだ。何も悪いことはしない」
「でも……でもあの炎……!」
「マジックだ。手品みたいなものさ」 レオンが軽く手を振る。「驚かせて悪かったな、お嬢さん」
ミユはトシオの顔を見つめ、その目を探るようにじっと見つめた。そして、徐々に震えが止まっていった。
「……トシオくんがそう言うなら」
彼女はまだ不安そうだが、トシオの言葉を信じようとしているのがわかった。
(ごめん、ミユ……今は本当のことを言えない)
トシオの胸が痛んだ。
「ねえ、もう帰ろう。遅いよ」 ミユが小さく言う。
「ああ……そうする」
トシオがレオンたちに一瞥を投げる。無言のメッセージだ――「何もしないでくれ」。
レオンは軽くうなずき、ダークとゴルと共に暗闇に消えていった。
帰り道、ミユはトシオの袖をしっかりと掴んだまま歩いていた。
「トシオくん……あの人たち、本当に大丈夫?」
「ああ」
「……トシオくん、なんだか色々隠してるよね。私、わかるんだ」
その言葉にトシオはぎくりとした。
「でも、トシオくんが言うまで、聞かないよ。だって……トシオくんは、私を守ってくれるって、そう信じたいから」
月明かりに照らされたミユの横顔は、どこか悲しげだった。前世の勇者の面影が、今の少女の不安と重なって見える。
(守る……か。確かに守りたい。だが、そのためにはお前を騙し続けなければならない)
家の前で別れる時、ミユがふと聞いた。
「トシオくん、私のこと……好き?」
突然の質問に、トシオは言葉を失った。
「冗談だよ」 ミユが寂しそうに笑った。「おやすみ、トシオくん。また明日」
彼女が家の中に消えるのを見送りながら、トシオは夜空の満月を見上げた。
(好きか……? 前世で殺した相手を、今世では……)
答えは出なかった。ただ、彼女を守りたいという想いだけが、確かに胸の中で渦巻いていた。
次の日から、トシオの日常はさらに複雑さを増すことになる。レオンたちの計画の監視。ミユの変化を見守る日々。そして、他の転生者たちの動き――。
三度目の人生は、平和とは程遠い戦場へと変わりつつあった。すべては、満月の夜に交わされた嘘から始まった。
そしてトシオは、その嘘がどれほど大きな代償を伴うものか、まだ知らない。




