第一話 転生先で、またあの顔に会う
目が覚めれば、三度目の人生が始まっていた。
トシオ――今はそう名乗る少年は、ベッドの上で呆然と天井を見つめ、深いため息を漏らした。前世、いや前々世の記憶は曖昧ながらも、断片的に蘇る。暗黒の城に座し、世界に災いをもたらした「魔王」としての日々。そして、それを終わらせた一筋の光――勇者ミユの剣。
あの痛み、あの解放感、そして何よりも、剣を構える彼女の、悲しみに満ちた碧眼が忘れられない。
「……はあ。今度こそ、平凡に、静かに生きようと思ったのに」
呟きながら起き上がり、慣れた手つきで学生服に袖を通す。三度目ともなると、転生のショックも薄れ、寧ろ「またか」という諦観に近い。今回は、魔法も魔族もない、ごく普通の現代日本。魔王の力も、勇者の脅威もない。願ってもない平和だ。
そう信じて、転入先の私立桜ヶ丘学園に足を踏み入れたトシオは、その直後、全身の血液が凍り付く感覚に襲われた。
廊下の向こうから、金色の光が近づいてくる。
長く輝く金髪。小さく愛らしい顔立ち。そして、青空よりも澄んだ、あの碧眼。
――ミユ。
名前も、顔も、全てが前世の勇者と瓜二つの少女が、友人と楽しそうに笑いながら歩いてきていた。鼓動が耳元で暴れ始める。逃げろ、という本能が膝を震わせた。
しかし、彼女はトシオの前で足を止めた。きらりと輝く瞳が、じっと彼を見つめる。
「……あれ?」
微かに首をかしげたミユの目が、突然、大きく見開かれた。
「あなた……!」
トシオは覚悟を決めた。見つかったか。恨みを晴らされるのか。あるいは、戦いの再開か――。
「すごく……懐かしい気がする!」
「……え?」
予想外の言葉に、トシオの思考が停止する。
「初めて会ったはずなのに、ずーっと前から知ってるみたいな……ドキドキしちゃう!」
ミユの頬が淡いピンクに染まり、彼はさらに混乱した。これはどういう状況だ? 恨みの眼差しでも、警戒の表情でもない。それどころか、目がきらきらと輝いて、まるで……
「私、一年B組のミユです! あなたは?」
「……トシオだ。今日の転入生」
「転入生! じゃあ、もしかして同じクラスかも! よかった! ねえねえ、こっちの席、空いてるから、隣りに座らない?!」
彼女の笑顔は、太陽のようにまぶしく、そして無垢そのものだった。前世で、己の剣の前に立ちはだかった、あの悲壮で凛とした勇者の面影は、この屈託のない笑顔には微塵もなかった。
「……あ、ああ。ありがとう」
断る理由も見つからず、ただ流されるようにして指定された席に着く。隣からは、甘い洗剤の香りと、彼女の存在感が容赦なく漂ってくる。
ホームルームが始まり、自己紹介の順番が回ってくる。何とか平淡に済ませたトシオが席に戻ると、ミユが小さな声で囁いた。
「トシオくん……なんだか、『会いたかった』って思っちゃう。変だよね」
その瞬間、トシオの胸を、前世の自分が勇者に貫かれた時の鋭い痛みが、幻のように走った。
――違う。これは、何かが根本的に間違っている。
殺した相手が、殺した記憶のないまま、自分に懐かしさを感じている? 惚れている?
先生の話声が遠のいていく。隣では、ミユが嬉しそうに教科書を広げている。その横顔は、確かにあの勇者でありながら、全くの別人でもあった。
(はあ……)
(前世で殺した勇者が、今世では俺にべた惚れしていて……)
(……これ、一体どうすればいいんだ?)
放課後。トシオが一目散に帰路につこうとすると、後ろから軽やかな足音が追いかけてきて、袖をそっと引かれた。
「トシオくん! 一緒に帰ろ? 私、今日すっごく楽しかったから!」
振り向くと、夕日に照らされて金色に輝く髪と、満面の笑みを向けるミユがいた。
逃げ場がない。
三度目の人生は、どうやら、思い描いていた平凡なものではなさそうだ。
(……まったく、逃げられないな)
心の中でそう呟きながら、トシオは、また一つ、深いため息を漏らしたのであった。




