映画「果てしなきスカーレット」を観て
正直に言ってしまうと、本作についてはあまり期待をしていませんでした。ここ何作かの細田守監督作品が好みに合わず、義務感のようなもので劇場に足を向けていたからです。
しかしながら、本作は今年映画館で鑑賞した作品の中でベストと言って差し支えないほど好みに合い、予想が大きく覆る感覚を久しぶりに味わいました。実に嬉しい誤算でした。
自分にとってネックとなっていたのが、キャラクターの行動やストーリーの運び方が現代を舞台とした世界設定と噛み合っていないと感じる点です。フィクションで描かれることを現実に当てはめるのは野暮だという意見も分かりますが、話の整合性や倫理観、価値観と言ったものがあまりに浮いてしまうと物語に浸ることが難しくなります。
この点、本作は現代とは時間・場所が異なる世界を舞台にしており、ある程度の無茶を飲み込む下地が整えられたように思います。序盤でこの設定が示された段階で、これは行けるかも知れないという期待が芽生えました。
本作のキャッチフレーズの一つに「愛を知りたい。」というものがあります。このフレーズを聞いた時、陳腐なセリフだなと感じてしまったのですが、それは私自身がここでいう「愛」を限定的に捉えてしまっていたからだと観賞後に思い至りました。
「愛」という概念は人類が古くから芸術や物語のテーマとして扱ってきたものになりますが、それは「愛」が持つ意味が大きく深いものであり、簡単に正体を掴ませてくれないからだと想像します。それにも関わらず、現代に生きる私たちは恋愛感情としての愛や家族愛といった個人レベルのものを愛の絶対の姿と考えがちではないでしょうか。 愛が全てだと謳う人も、愛なんてくだらないと突き放す人も、対象として想定する愛の形は同じもののように思えます。個人レベルの愛を蔑ろにするわけではありませんが、愛の持つもっと広い意味を見逃すことは人生の豊かさを失うことのようにも感じるのです。
本作が主人公であるスカーレットの旅を通じて問いかけているのは、個人レベルを超えたより大きな意味での愛ではないかと私は受け止めました。どれだけスケールの大きな物語を展開しても、身近な意味での愛に終始しがちなエンターテインメント作品群の中で、本作の存在は大きな意味を持つものだと思うのです。
スカーレットの行動原理は復讐です。スカーレットは、良き国王として民に愛されていた父アムレットを謀殺した上に国を牛耳り民を苦しめる叔父クローディアスに復讐し、父の無念を晴らすことを心の支えとしています。
しかし、復讐の旅の中、スカーレットは様々な出会いや経験を通じて、復讐を果たすべきか否か葛藤することになります。
この葛藤の中心にあるのが、愛という概念であり、スカーレットの心は愛を巡って大きく揺れ動いていると感じました。元来心優しい王女だったスカーレットを復讐に駆り立てたのは、叔父であるクローディアスと実の母ガートルードです。クローディアスは兄アムレットが持つ名声、権力を独占したいという思いに支配されており、兄の謀殺を企むことになるのですが、それに加担するのがアムレットの妻であるガートルードです。ガートルードは娘を可愛がる夫アムレットの愛が自分だけに向かないことに不満を覚え、自分だけを愛するであろうクローディアスの側につきます。両者に共通するのはその対象は違えど独占欲が非常に強いということです。独占欲によって引き起こされた事態がスカーレットを絶望に追いやっていくことになります。
また、別の意味でスカーレットが向き合うことになるのが、父アムレット、そして旅の途中で出会う聖という青年です。アムレットは謀略により処刑される際、一言つぶやきを残しているのですが、スカーレットはそれを聞き取ることが出来ませんでした。旅の途中のとある出来事を経て、その言葉を知ることになりますが、スカーレットはその意味に思い悩むことになります。その言葉が復讐に燃える彼女自身を否定するもののように思えてしまうからです。この言葉をどのように受け止めるのかというのがクライマックスで大きな意味を持ちます。
同じようにスカーレットを悩ませるのが、旅の行きずりである聖という青年の生き方です。聖は自分達に害をなす敵であろうと命を奪うことを良しとせず、その手当すらしようとします。そんな聖をスカーレットは甘ちゃんだと言って突き放すのですが、旅をする中で、聖が理想論だけの甘い人間ではないことを理解し、少しづつ歩み寄っていきます。しかし、聖を認めれば認めるほど、スカーレットは復讐を心の支えに進んできた自分を否定することになり、心が揺れ動いていくのです。
アムレットと聖は共に他者への思いやり、慈しみの思いが強く、前述のクローディアスとガートルードと対をなす作りになっています。
単純化してしまえば、スカーレットがクローディアスとガートルードが象徴する利己的な愛と、アムレットと聖が象徴する利他的な愛の間で悩み苦しみながら、愛とは、人間とは、生きるとは何かを知るまでの物語ということができると思います。エンターテインメント作品らしく、スカーレットと聖のラブロマンスも描かれるのですが、そこで語られる愛は恋愛的な意味よりも時間的、空間的に幅のあるもののように感じました。
こういった物語自体は珍しいものではありませんが、それをいかに魅力的に表現するかが監督を始めるとする作り手の感性や腕の見せ所だと考えます。
この点、本作はハムレットもといシェイクスピアの舞台劇を土台に置くことで、より力強くメッセージ性を出すことに成功していると感じます。どこか芝居がかったセリフ回しや、不意にキャラクターが姿を表すような場面作りも、舞台劇に即した作劇であることを踏まえれば違和感が少なくなります。
普遍的なテーマに正直に、真面目に向き合うためにあえて古典的な物語の枠組みを採用したのではないかと思います。古典作品の持つ強度をいかに利用するかという点において、本作は優れた結果を生み出していると感じます。
ストーリーから離れて、アクションシーンの小気味良さも本作の魅力の一つです。最近は派手な効果音やエフェクト、スローモションを多用した見掛け倒しのアクションが流行っていますが、中身の無さを誤魔化しているようにしか見えず好きになれません。この点、本作のアクションシーンは肉体や武器、防具の重みをしっかりと感じさせるものになっていながら、軽快に動くシーンはさっと進み、メリハリのある映像的な快感を味わうことが出来ます。
特に、クローディアスが国の実権を掌握していく様子と、復讐に燃えるスカーレットが秘密裏に剣や武術の特訓を積みながらクローディアスの所業に怒りを募らせていく様子を交互に映し出すシーンはリズムの良いBGMと相まって非常に心地の良い画になっています。
ただ、苦言があるとすれば中盤のミュージカル調のシーンですね。物語上の必要性はあると思うのですが、場面転換の無理矢理感もあり、もう少し上手いことできたのではと勿体無い気持ちになります。
個人的には大満足の映画で、あと何回か劇場で鑑賞する予定です。他人にどうこう言えるものではないのですが、気になっているけれど世間の評判が良くないから観にいくのを躊躇っているというのであれば、観にいくことをオススメします。無責任な他人の言葉に惑わされて劇場で観る機会を逸するのは惜しい作品だと思うのです。芦田愛菜さんが歌う主題歌も素晴らしいので、劇場の音響で聴いていただきたいですし。終わり




