転移
これはある統合失調症を患う男の手記である。わたしは現在この男の担当医をしているのだが、この手記は統合失調症の典型例として、また読み物として少々おもしろく、記憶媒体に保存することにした。なお、人名についてはプライバシ―の配慮の必要性を鑑み、すべて仮名とした。
私の不安は二週に一度、訪れる。それは精神病院の通院である。三年ほど前そこで私は、統合失調症の診断がされた。私はこの苦しみを訴えたいのである。何よりここまで来たら寂しくて共感者が欲しいのである!それを動機として誰かの共感を呼び起こせたら、孤独ではない!このための不安の素である病院の通院について少々、述べさせてもらおう。世の中には無罪の罪で抑圧されてる一般市民がいっぱいいるのである。
まず、私が統合失調症という診断名が下る前の経緯を説明する。
診断が下る一年ほど前、私は新卒一年目のある零細の建設会社の新入社員だった。私は大学を二浪し社会との距離が出たことから、それを埋めなければならないという焦りと、両親、親類への見栄から、仕事に対しては一位奮闘たる思いで取り組もうと心に誓ったのである。しかし職場の上司、同僚からの評価は芳しいものではなかった。というよりむしろ最悪のものであった。それは、私の職場での立ち振る舞いに問題があったからである。
原因はあった。
第一に上司である坂上という人間が私に対して向けた敵意である。入社当初のある日の昼休みのことである。私は昼食であるカップラ―メンとおにぎりを食べ終え、事務所の裏手にあるゴミ箱にその容器を捨てに行こうとした。ゴミ箱のそばには、建設資材に囲まれた薄汚れた喫煙所もあり、そことは移動式のパーテーションで区切ってあったので互いに見ることはできないが、音は筒抜けといった構造であった。
喫煙所から話し声が漏れてくる。どうやら二人の男がいるようだ。酒焼けしたガラガラの声とたばこで肺がやられたのか咳交じりの声が交じり合っている。この声の持ち主は、坂上と私の直後である浜谷に違いない。両者の雑談は、私の耳にも自然に入ってきた。そこでは、新入社員である私に対しての話題が繰り広げられていた。
「それでどうなん。あいつは。」
「正直しんどいですわ。なんもわかってないし、車に一緒に乗っているときも話がかみあいませんし。」
「そんなんやったら、専務に言ったらいいやん。もう一緒にやるの嫌ですーって。」
坂上はうれしそうに笑う。新入社員の噂話、そこから出てくる悪口は社会の常である。特にこの会社にとって数年ぶりの新卒社員となった私に対しての話題には事欠かさないだろうということぐらいは容易に想像できる。しかし、このような会話ですら、私の初心で脆い精神に十分に打撃を与えたのである。私はさらに雑談に耳を傾ける。そして、その後に続けられた雑談は、さらに私のプライドを打ち崩すものであった。それを正確に言行の描写をするのは差し控えたい。私の気が保てないから…
ざっくりとだけ言及しよう。その後、二人はある種の人間――他人を蹴落とすことを生活の一義とする――特有の、陰湿な容姿に関する嘲笑をしてきたのである。私は怒りに胸が震えた。私は我慢できずゴホッと一つ咳払いをした。坂上と浜谷はどうやら私がいることを勘づいたようだった。
彼らは気まずそうだった。私は彼らの人格の醜悪さを知ることになった。私は特に坂上が許せなかった。彼が浜谷をそそのかすように質問していたからである。
それ以来、私と坂上は互いに疑りと悪意を持つ関係となった。それは互いの態度にも表出された。坂上は幼稚な性格だった。坂上は私と接するときは常にまるで幼児のように喜怒の表情を前面に出し、私に業務に対して小言を差し出すようになった。また私の失敗を大いに笑った。私の成功に対して誰よりも憎んだ。
私はというとそれに対応するかの如く彼の悪意に対して相応の態度をとった。要するに態度が悪くなったのである。
それに呼応して、ますます悪意を前面に出すようになった坂上は、あるとき行なわれた会社の謝恩会にて「お前は、喜怒哀楽を前面にだすなあ。」と自らの行動を全くに考慮に入れない愚見を発してきたこともあった。実際、私の対応はそうだったのであるが、何か言及するのも面倒だったので、私は愛想笑いで済ました。
これは多数の人間からすると、こういった類の愚弄は社会人として生きていくための通過儀礼のようなものであり、上のような態度をとるのは社会人としてあるまじき行動であると断定するだろう。しかし実際にこのような敵意――当時のある同僚が評するところによると小学生のような敵意――を前面に出されると、私もそれに抗うためにも反抗的にならざるを得なかったのである。それは私自身も今から考えると幼稚な行動であると思わざるを得ないのであるが、坂上が何十年と雇い人として従事してきた経験と彼一流の処世術を応用して、私に対する悪評を各所に吹聴さえしてきたのを目の当たりにする中、社会経験に乏しく、社会に自分の意思を表出する手段を持たなかったむなしい人間である私は、実務での反抗が唯一の彼の悪意に対する返答であったのである。
このように坂上との関係は悪化していったが、その分、仕事で結果を出すと自ずと他の上司から認めてもらえると思っていた。それは明らかな間違いだというのはサラリーマンとしてつとめている読者には自明であろう。当然正解はその上司と一緒に夜の付き合いを積極的にすることである。しかし実務の成果より付き合いが制裁与奪で明らかで有利を持つことまでには考えが至らなかった。
新入社員の初心な期待を表に出すことは他の上司からは目障りに感じたのだろう。次第に、もう一人の私のメンタ―であった福島は私に対し威圧的な態度で臨むようになった。ある日は私の表計算ソフトの理解の出来の悪さに説教を数時間し、またある日は、CADの処理スピ―ドに対し数時間の説教をするなど私に罵詈をかぶせるようになった。
「なんでそんなんもわからへんねん!」
それが福島の口癖であった。
このような拙い仕事の処理能力を、ベテラン社員から判断させると、出来の悪い新入社員であると思うかもしれないし、あなたもそう解釈するだろう。しかし、前述の通りでも、述べた通り一部の得意先からの評判は自らが積極的に作業に参加するということから評判が良かった。ある上位会社の顧客からは、本当に一年目の社員か否か問われることもあった。
そういったことも上司には生意気に見え、ますます嫌悪をもつ原因となるのである。私は上司に嫌われているという自覚を持ちつつも、取引先には認められているというプライドから態度をますます強固なものとした。これが振る舞いに問題を起こした第二の理由である。
私は、入社当時、希求していた見栄を根本とする切羽詰まった目標の達成の困難を知り、五里霧中となった。アルコ―ルを摂取しないと夜も寝付けなくなる。途中なんども目を覚まし、朝がまだ訪れていないことに安堵し、再び浅い眠りにつくようになる。湿疹ができ、その痒みを緩和するためにマスタ―ベ―ションをすることで、つかの間の快楽にふける。その他にも様々生活は変化する。私の生活はいよいよ荒れてくる一方となった。
そうした苦しい社会人一年目が終わりをつげ二年目を迎えようとしていた時である。
仕事中に、急に数名の社員がいる喫煙所からワハハハと馬鹿笑いが聞こえてくるようになった。それが数日にわたって続くようになる。浜谷は、「これから大変な人生になんで。」と嬉しそうな顔をして私に話しかけてきた。坂上は「俺を包丁で刺すなよ」と満面の笑みを浮かべながら、勝ち誇った顔で言ってくる。どうやら私のことについて笑っているようだった。私は何に関して笑っているのかわからなかった。どうせいつもの通りくだらないことだろうとその時は高を括った。
しかし、その笑い声は数名の参加者がでて、いよいよ大きくなってくる。私は不安になってきた。何に関して笑っているのか聞いてみたくなった。しかし、聞くことはしなかった。上司との冷戦中であり、その関係性がますます悪化していく中で、何をしているのか聞くという考えようによっては下手に出る選択肢でありその質問をするという動機を持つことができなかったからである。何より私の小心から自分に関連する情報(ネガティブに違いない)を受け取ることを本能的に遮断したのである。しかし、その笑い声が非常に気になって仕方がない。私は無い知恵を振り絞り、なぜ笑っているのかを考える。そして、一つの推測が成り立った。それは自分の私生活、つまり自宅であるアパ―ト至る所すべてに監視カメラが設置され、さらに私のスマ―トフォンがハッキングされ、私の一挙手一投足すべてが監視されているというものだ。その思いに至った理由はある上司が自分のネット検索履歴が見られているなという不穏な疑惑があったからである。
その疑いは以下のことから強化されていった。
それから数日後、同僚が嘲りをもった表情で私を見てくる。そしてしきりに、喫煙所に行きワハハハと笑っている。これはなぜだろうと考察する。すると以下のように思考が導かれていく。昨晩、私はマスタ―ベ―ションをしていたのだが、どうやら私のしている様子をスマ―トフォンから観察しているのかもしれない。このような推察に、私はそんなことできる訳ないだろう、と自分に言い聞かせ、やっていた仕事に再び取り掛かかった。しかし、さらなる不可思議な現象が発生したことにより次第に私は本当に監視されていると断定せざるを得なくなっていく。
そして勤務前、自宅にて便意を催したときトイレに行く。そして用を足しているとき「アホや!」と大きな声で、爆笑しながら私を馬鹿にする声が聞こえてきた。思わず上をみてカメラの有無を確認する。しかしトイレの天井には蛍光灯と通気口しかなくカメラなどぱっと見たところどこにもない。すると「なんでわからんねん!」とさらに爆笑し、馬鹿にしてくる。
私は確信した。本当に監視されているのだ。でも方法はわからない。私は寒気がし、とにかくこのアパ―トを出ないといけないと即断した。しかし今逃げると上司とこの戦争に負けることになる。なんとか今日も出勤し、仕事で成果を出し上司を見返えさないといけない。このように自分を鼓舞した。しかし出勤の寸前になると私の悲痛な思いは、グラグラになったジェンガからブロックを取り出し遂に崩れるかのごとく急に崩れ去る。
「もう無理や…今まで威圧や嘲笑に負けないよう頑張ってきたがこれ以上は戦えへん.…」
これが偽らざる私の当時の心境である。安っぽい感情の吐露だなと思わられるかもしれない。しかし人が本当に追い込まれたとき、複雑な心情を抱くことができなかったり、自分なりの精巧な自己分析ができなかったりすることは往々にあるのではないだろうか。とにかく私はこのような考えに至ることしかできなかった。敗北感に打ちひしがれた私は、この失笑ものの思いを胸に会社に休暇の電話を入れた。受話器越しの専務の声は心なしか声が弾んでいるかのように感じた。
休暇を取った私は、もうそのまま実家に帰ろうと身支度をし、その夕方、帰路に就いた。その電車の中でも私を知っている人がいるかもしれない、笑っている人がいるかもしれないと不安であった私はマスクと野球帽を顔から離すことはなかった。
実家の最寄り駅まで着き、徒歩で自宅まで帰ろうとしたが、その途中、上司の今までの私に対してしてきた、嫌がらせ、嘲笑、罵詈雑言など過去の所業、そして今現在行われているであろう勝利の遊宴が一気に脳裏に浮かびあがった。
「もう俺の人生も終わりや.…一生みんなの笑いものになるんやな。」
そのように思った私は急に全身に寒気が走り身動きができなくなった。吐き気も催した。思考も回らなくなった。とにかく、動けなくなった私は緊急回避的に母に電話をし、帰路の途中の場所まで迎えに来てもらえるよう頼んだ。
今から思うとその時、一気に車に飛び込んで自殺していればよかったと思う。そうすれば、今に至るまでの苦しみもなかっただろうし、今自殺を決意し実行するより少ない覚悟――ちょっとした気の思い――で出来ただろう。しかし死ななかった。
私は現在では頻繁に自死に関して思いを巡らす。例えば電車の到着をプラットホ―ムで待っているときである。電車が到着する間際、そのまま飛び込んだらどうなるだろう。一瞬の激痛の感覚が脳に伝播され、その後、永遠の無が待っているのか?このような月並みな想像をすると足がガクガクとすくみ、プラットホ―ム後方のフェンス柵に手を携えなければまともに立っていられなくなる。このように怖気ついて結局自殺に至らないまま現在に至るのだが、その当時、その瞬間、私は自殺に関して思いを巡らす余裕すらなかったのである。
こうしてなんとか実家に帰り、そのまま二度と会社に行くことなく退職したのである。雇用保険等の退職時発行される書類は後日実家に送付された。両親もその手続きに関わった。両親まで出てき、いろいろごたごたした退職劇であり醜態をさらしたが、実家に帰ると平穏が訪れた。実家の周りは静かでテレビゲ―ムとネットフリックスに一日を費やすようになった。外に出ても人にジロジロ見られているような感覚もなくなった。私の様々な不安――多くの人が私を監視しているという――は杞憂に終わり、次の進路をぼんやりと考える余裕も生まれるようになった。
しかしそうは問屋が卸さなかった。私の見当は当てが外れたのである。
実家に帰って一か月後のことである。以前のようにまた私のすべてを監視していると思わせる出来事が多数発生した。起こったことは前回と大体変わらない。ただ、さらに監視している人間が増えた。例えば、コンビニに買い物に出かけると、その店員が私を見るとひそひそ話だし裏の詰め所に戻ワハハハと笑い声が聞こえてくるということが起こったし、外から「お―い」と私に言ってきてその後、恐怖に震える私に対し、最も下等とみなしたものに対する嘲笑が聞こえてくる、なども起こった。
私は恐怖した。混乱もした。また怒りに似た感情も持った。逃げ場であるはずの実家でさえも監視の範囲に含まれたのか。もうどうしたらいいのかわからない。
とにかくどうして監視されているのかを考えた。原因を断定した。弟が私を陥れているのだ。
私は弟との関係も悪かった。元の原因はくだらないことである。
十年以上前になる、私は一階の居間で野球ゲ―ムの実況パワフルプロ野球の確か12だったと思う。それをしていた。私はそのペナントが好きで、ほぼ毎日やっていた。しかし、いつも通り楽しもうと思っていたのに、自分のセ―ブデ―タが消されていたのである。私は弟が了解を得ずに、消したのだと判断して、それを消して自分のデ―タを新たに作り直した。ペナントは一個しかセ―ブを保持できないモ―ドだったのである。そのうち弟が帰ってきた。弟は私のゲ―ムをしている様子を一瞥した。弟は何も言わず舌打ちして二階へと上がっていく。この様子から犯人は弟であると推定できたのだが、舌打ちをしたのは彼は私に非があると感じたのだろう。実際、確認をとらなかったから仕方がないのかもしれない。
ここでお互いに何か会話があればまた状況も違ってきただろう。しかし、ここまでの話からおわかりになる方もいるかもしれない。私は基本的に、何らかのいざこざになった際、必要とされる、込み入った会話、それを経て他人と関係を修復し再構築していく、というようなシチュエ―ションが、絶望的に苦手なのである。話を論理的に組み立てることができない、具体的な話ができない、状況を順序だてて話せない。何より他人と正面切って真面目に話をすることが大の苦手なのである。故に常に他人との関係がガタついてしまう。
そうして私は他人に不審がられ孤立していくのだ。
話を戻そう。あらゆる監視の原因が弟であると断定し、追い詰められた気分であった私は、ある夜、弟に殴りかかった。両親は必死に止めに入った。弟はなぜか薄ら笑いを浮かべていた。
事態を重く見た(当然である。)両親は、救急を呼び私をS病院へ連れて行った。そこは、病床数五百の地域の拠点となる精神単科病院である。そこで私は医療保護入院の手続きをとらされた。主治医は私の他人からは支離滅裂に思える話を聞き、一応の病名として、心因反応と診断名を付けられた。後に統合失調症と診断名が確定された
その後、投薬治療とOTにより、病状が安定した私は予後良好と診断され退院し、二週間に一回の通院と自宅治療の日々を送ることになった。
以上が私の統合失調症へと至った経緯である。少し長くなったがご容赦願いたい。
それでは、いよいよ私の不安の素となる通院に関して述べていこう。
私は、電車でF駅まで乗り、徒歩でS病院へと向かった。駅前は大病院の門前町らしく複数の薬局が軒を連ねている。人通りはそれなりにあるが午前十時頃なので、老人を中心の往来であり辛気臭い、ある種の絶望的な光景に見える。しかし、比較的若い人が私のことを知っていると想定し、それらの人に恐怖感を持っている私には平和的な光景であった。
駅と接している県道を北側にしばらく歩き、二つ目の交差点で山手側に曲がる、そこから、一本道の坂道を上に登っていく。その途中にはなんとか宗の総本山がある。そこは、立派な寺だがいつも閑散としている。これでいいのかと思うが結構、歴史的にも重要な寺であり、聞くところによると、競艇か競輪かどちらか忘れたが公営競技において反則で競技停止となった選手がそこに送られてくるらしい。
このなんだか物騒な寺からさらに上っていくと、本格的な野球場と二面のテニスコ―トを備えた、そこそこの規模の公園が広がっている。それを通過するとS病院だ。駅からおよそ二十分の行程である。風光明媚な趣のある場所だが、少々不便な場所であると言わざるをえない。こんな不便な場所にあるのは、精神障害者に対して世間の目がより厳しかった時代――実際に他人に不便をかけたこともあっただろう――の名残なのからだろうか。
坂道が急で息切れる。まだ時間に余裕があるので途中の公園で少し休憩しよう。
私は、公園の中腹にポツンとあるベンチに腰掛けた。このベンチは上方に目をやると公園の頂上まで目渡すことができ、また下方に目を向けると、テニス場を見ることができる。公園の多くの部分を見渡すことができるこのベンチは、私のお気に入りの場所であり、入院中も外出の際にはよくそこに座って周囲を観察していた。
そこで自分の人生の回顧と、これからの未来を思惟する。
「まあどうにでもなるだろ。何とか一人で生きていけるほどの金もあるし、仕事も人材不足の世の中だし、どこかに採用されることもあるだろう。それに最近は誰かに噂されていると思うことも少なくなったし、すごしやすくなってきた。これはひょっとすると、俺は本当にただの統合失調症だったのかもなのかもしれない。」
「じゃあ、なぜ坂上や浜谷はあんなことを言ってきたのだろう。なんで俺の周りの人間がアホアホ言ってきたんだろう。俺を惑わすため?ただ単に俺のことを馬鹿にしたかったからか?それとも、やっぱり俺を監視しているのか?統合失調所ではやっぱりないのか?」
ここまで考えて私はこれ以上の堂々めぐりとなる愚考を中断する。
「いやいや危ない。こういう考えにはまってしまったらまた入院になる。これ以上入院したらさすがに社会復帰も厳しくなってくる。しっかり自分の現状を受け入れて次を見据えていかないといけない。」
以上のように自分を言い聞かして自身について考えるのを打ち切り、周囲の情景を見渡した。
統合失調症と診断された。公的に精神障害者と認定された。心無い世間は私を気違いとみなす者も大勢いるはずだ。しかし私が見える、感じる風景は以前と変わりはない。周囲をぱっと見渡し、時候を感じる。晩秋も中ごろになり、冬の訪れが目の前に迫っていた。ただ、昨今の温暖化により以前感じられたような、寂寥感に乏しく、なんだかぼんやりとした感じである。しかし、ケヤキの高木は葉が散りイチョウの周りは銀杏のにおいが充満している。冬は確実に近づいている。
視線を前に向ける。十メ―トルぐらい離れた場所に東屋があり二人の女が座っている。一人は若い二十後半ぐらいで、もう一人は、いささか年を取っている、大体六十ぐらいだろう。若い女は服がだぼだぼのスエットで何か羽織ったらいいものの、何も上に着ず、なんだかみすぼらしい感じがする。寒くないのだろうか。老齢側はジ―ンズにセ―タ―とありがちの服装でありきりっとしている。一方がだらっとしているので余計そう感じる。どうやら入院患者とその見舞いに来た親のようだ。二人は座談している。
そこから公園の頂上の方へ眼をやる。芝生が直径百メ―トルほど広がっている。そこでは園児と引率の保育士がクスノキの周りで遊んでいた。私は、幼児が純真に楽しそうに遊んでいるのを見ると心が洗われる気分になる。大人の世界に身を飛び込み、その陥れるための根回し、陰口、陰謀等が見舞われた汚い世界で無残な敗北を遂げた私にとってはひとしおそう感じられるのだ。
幼児は常に純真である。これは虚飾なのかもしれない。幼児の中には、このような状況の中でも苦しみを持って生きている子もいるかもしれない。腹の中にあくどいような憎たらしいような心持を所有している子もいるのかもしれない。いやきっといるだろう。
しかしこのような考えは捨象しよう。そうしなければ私はまたあらゆることに疑義を持ち、本来持つべきである心の均衡を崩し平穏を得られなくなる…。俺は大丈夫だ。
そう言い聞かして、心に表面的な安定を保ったものの、その奥にある莫大な不安はついに消えず、それをぐっと無理やり胸にしまい込んだ私は、いよいよ病院へ向かっていった。
病院の敷地に入る。駐車場を横切り構内の出入り口から入場しようとする。病院から出ようとしている製薬会社のMRと目が合う。なんで俺のことを見ているんだ?少し不安な気持ちになる。気にするな。俺のことなんか知っているわけない…。
窓口にて外来の診察の受付をする。病院事務の女――男もその時はいた――は私の予約票と保険証を無表情で受け取り、パソコンに予約票に記載されている情報を入力し、プリンタから診察票を打ち出す。
そして診察票に記入されている名前と、私の実際の名前とが間違っていないかうつむきながら確認した。私は無愛想にうなずく。「はい」という声を想定していた病院事務の女は私を見返し、もう一度同じ質問をする。私は今度は「はい」と低い、まるで全く声を出さない人間が久しぶりに声を出したかのような声で返事をする。少し鬱陶しそうな表情をして女は「二診へどうぞ。」と私は案内した。この表情を見た私は、疎まれているのかもしれないとますます不安になる。
ここで取り乱してはいけない。また入院になるから… 。
不安を押し殺した私は、とにかく言われた通り、受付の裏にある第二診察室の前まで行った。
そこにはおおよそ十人ぐらいの人が、診察を待っていた。診察室は四部屋ある。実際に診察しているのは二部屋であるから大体五人ずつ待っているのだろう。少人数であるが、老若男女満遍なく診察を各々待っており、その様子は、高齢者が、介護の必要のために同行してきた人と話をしたりスマ―トフォンを眺めている人がいたりと三者三様であった。
その中の一人に、若い金髪の男がいた。その男は隣の男と何か話をしていた。大方入院中に知り合ったのかデイケア入所者同士なのだろう。
その若い男と目が合う。私は若い人間が苦手なのは、先に言った通りである。私の緊張はいよいよ高まる。もし笑って見てきたり、繰り返し俺のことを見てきたら…。
しかし、その男は私を一瞥するとすぐ、隣の男に顔を向きなおし、自分は大変な経験をしたが、まだ仕事があるということに大変な幸運を感じている、という若いながらも爺臭い話題を展開しだした。このような話は大抵、ある程度年を取っていく過程で同僚等がドロップアウトしていく中で得られる境地であるはずなのに、若いながらもこのような話をしているということは本当に大変な経験をしたのだろう。
まあ、そんなことはどうでもいい。男が私を知らない、もしくは関心を持っていないことに私は胸をなでおろす。若い人間が知らなかったら、何とか大丈夫だ…。私は安心して、二列ある待合室の座席のうちの後方の中央付近の座席に腰を下ろした。
座席に座った私はいつもの暇つぶしである、5ちゃんねるのニュ―速(嫌儲)板をスマ―トフォンで見ることにした。
閲覧していると、いつものごとく、安倍のせいで日本が没落しただの、宝くじは陰謀だだの、某弁当チェ―ンのから揚げはまずいといったようないつもと変わらない話ばかりしている。
私は書き込みしている彼らについていろいろと考えてみる。5ちゃんねるは前身の2ちゃんねるから合算すると開設してもう二十年以上になる。その歴史のうち、彼らはどのくらいの間、この板に常駐してきたのだろう。ある書き込みによると、嫌儲のメイン層は三十代から五十代らしい。ということは住人は、2ちゃんねるが開設当初から常駐し、様々な板を掛け持ちして、嫌儲に辿り着いた人も多いかもしれない。嫌儲開設当初からの住人も大勢いるのかもしれない。いずれにしても年季が入っている
これは怖いことだ。十年以上、もしくは二十年にわたって同じようなことを書き込み延々と騒ぎ続ける、集団催眠にかかり他人を非難する。そんなことは考えられるだろうか。この中には恐らく扇動を目的とした工作員や、企業の宣伝のために雇われたステマ要員も多数いるのかもしれない。そうじゃないとこのような現象に説明がつかないのではないのか。もしかすると、ほかにも何か奇妙な陰謀があるのではないか。
このような私の足りない頭脳では理解の及ばないことに直面するのを目の当たりにすると、実際自分が、自分のわからない方法でスト―カ―されていても何らの不思議はないのではないか…。私の感情は二転三転する。
また不安になった私は何か気分を変えるため、理解不能で曖昧な、しかし確かに実在している仮想世界から目を離す。
前列には老齢の夫婦のような一組が座っている。二人は座談している。かなりの高齢と自身の障害からかはっきりと聞き取れる物言いではない。しかし声が大きいので言っていることはなんとなくわかる。
私はその話に耳を傾ける。女は言う。
「とにかくしんどいねん。毎日変な声も聞こえてくるし、周りの人間みんなスト―カ―してくんねん。あんたは違う違う言うけど、なんでわからんねんな。」
男は当初、それを聞き流していた。しかし、何か言う方が穏当だと察したのか、
「そんなら、そういうことも先生にしっかり言わなあかんな。」と言った。
どうやら老女は私と同じ統合失調症の診断を受けているようだ。もしくは認知症の一種かもしれない。私は老女の次の言葉を待つ。
「でも、私もそれでも運がいい方やわ。あんたがついてきてくれるし。一緒に来てくれる人がいいひんかったら、どないしたらいいのかわからんもんな。」
老女は老人に感謝の意を表明する。
「それはしゃあないからや。それが義務やさかいな。」
「え、なんて?」
「だから義務やからしょうがないって言ってるんや!」
老人は、今度は周囲全体に聞こえる声で言い返す。しかしそれでも聞こえない老女は「え、なんて」ともう一回聞き返してきた。徹頭徹尾理解しない。老人は今度は耳に手を当て「だから」を加えて先ほどの言を言い返した。老女はようやく理解する。二人はしばしの沈黙に入る
数分後、二診から医師が出てきた。この人が私の主治医――山本先生――だ。山本先生は診察室付属のマイクで呼んだらいいものを、わざわざ、直接診察室から出て、次の患者の名を呼び診察室に入るよう促す。呼ばれた中年の男が診察室に入っていった。
老女は再び言葉を続けだした。
「あと何番目なんやろ。でもまた、ホンマにいい先生にあたってよかったわ。あの先生は話もホンマによう聞いてくれるし、ホンマにようわかってくれる。」
ホンマを無暗に繰り返す。よほど医師と相性が良いのだろうと察することが容易にできる。大方、うまく先生にやり込められているのだろう。そのような先生の社交の器用なところが私の苛立ちを増幅させる。
実際、私は、自分の担当医でもある山本先生に対して、信頼を持って診察を受けることはできなかったのである。私は先生が嫌いであり、もっと言うと精神科医の存在そのものが大嫌いなのである。私は精神科医という、いまだ未知な分野に関してわかったような口ぶりで何らかの病状に診断名をつけ、ガイドラインに沿った処方箋を書くだけで、一般人をはるかに上回る高年収を獲得できるという存在、肩書を軽蔑しているのである。その中でも特に山本先生に信頼を寄せることができないのである。
なぜ嫌悪を持っているのかを説明するには時計の針を初診の時まで戻す必要がある。話が何度も前後して大変申し訳ない。
救急車で運ばれた私は救急用の診察室で診察に通された。診察室には私が暴れることを想定してか看護師が待機していた。そこで待つこと五分後、先生が微笑を浮かべながらやってきた。これが先生と私の初対面である。
先生は、白衣の下にワイシャツにビジネススラックスという出で立ちであった。背は178から180ぐらいある。すらっとしている。年齢は四十代ぐらいだろうか。健康そうに見え、申し分ない図体だが、顔については凡庸である。なんだかとっちゃん坊やみたいである。それは短髪ながらも髪を下ろしているからであろうか。あと目の位置が少し奥まっている。河童みたいにも見える。とにかくそんな第一印象を抱いた。
お互いの軽い挨拶の後、診察室では通り一遍の診断が行われた。
そこで繰り広げられた会話は、両親からすると、至極当たり前の診察であったように思ったようだったが、私の視点からすると、ひょっとしてこいつ俺のこと事前に知っているな、と思わせるような点が多数含まれていた。
診断の内容は、当時、朦朧としていたので詳細に覚えていない。ただ、自分が先生――この病院の人間全体――が私のことを知っていると疑いを持った会話に関しては、鮮明に覚えているのでその部分だけでも抜粋したい。
「それで就職は、大阪の方の建設会社に就職したんだ。」
「はい。」
「それで、どうしてわざわざ中小企業の就職のためにわざわざ県を飛び越えて行こうとしたんだい?」
「それは…、それは、大阪には交流がある親戚がいるんで、一人暮らしをしてもいざというとき、そういったつながりがあると何かと便利だと思ったからです。なにより、内定もらった会社がそこしかなかったから…。」
私の自分への言い訳じみた返答は曖昧模糊としている。
「地元だと、知っている人に会うことに負い目があるから、あなたは大阪まで行ったんじゃない?」と先生は含み笑いをしながら聞いてくる。看護師を見てみると、笑いをかみ殺しているような表情をしている。
私は合っているとも、間違っているとも言わなかった。しかし、その先生の推測は間違っていた。実際には私は地元の市役所も受けたが失敗し、その建設会社しか内定が出なかったから、そこに行くことに決めたからである。
間違っていることは、どうでもいい。でもなぜ、この河童先生は、こんな見当違いの質問をしてきたのであろう。
私は思い当たる節があった。私は高校三年生のころ、ある事件をきっかけにクラスの女子に嫌われることになった。私は、そのコンプレックスと、誰にも傷つけられたくないという自尊心から、他人と積極的に関係を持つこととに極端に恐怖感を持つようになり、その後、誰とも交流を持つことがなくなった。大学にも現役で合格したのだが、入学することはなくふらふらと数年過ごした。その後、形式的に二浪という形で大学に入学したが、その負い目はついにとれることはなかった。
このことを先生は事前に知っているのではないのか?私は冷静に判断をする能力を持ち合わせていなかった当時そのような疑いはすぐ確信へと転化した。その後医療保護入院となったのは前述の通りであるが、この先生ないしこの病院全体の人間が、私が本当は正常な人間なのに、何らかの陰謀によりこの病院に監禁している、と思い込んで以来、精神科医という人間、山本先生という人柄が信用できなくなったのである。
このように、山本先生に対しての私の信頼は、限りなく低いのであるが、先ほどの老女の先生に対する信頼感のように、先生の患者からの評判は悪いものではなかった。この乖離が私を苦しませる、もしくは怒りの源泉となるのに充分であった。
二診前の光景に戻ろう。この老夫婦のような二人の会話はまだ続いている。
「でも、なんで、あんたはわざわざ、私と一緒についてきてくれるんや?あんた、実は私に気ぃあるんちゃうか?」
「アホなこと言うたらあかんわ。俺は嫁さんもまだ生きてるし。そんな変な気持で、わざわざ付いて来てるんちゃうわ。」
「そんなわけないわ。私のことが好きにちがいないんやろ。」
老人は失笑する。そして再び「そんなわけない」と言って否定する。どうやら、この二人は夫婦ではないようだ。関係性はよくわからないが、少々滑稽である。
それからすぐ、二人は先生に呼ばれて診察室に入っていく。
不安にさいなまれていた私はこの二人の会話を聞いて、自分を鼓舞する。少々緊張がほぐれていく。
「こんなに年を取って訳も分からなくなっていったら、気楽な考えになっていくもんなんかな。俺もこのぐらいの年になれば何もかもを気楽に考えて生きられるかもしれない。」
私はこう言い聞かせて、今日の診察も、この会話劇のように何らの意味を持たず無事平穏に終わることを祈願する。
そういったことを考えているとさっきの関係性の不明の二人組が出てくる。
そして、その後、少し経つと私の名前を先生が扉を開けて呼んだ。いよいよ私の番だ…。
席を立ち、診察室へ入る。四畳ぐらいの大きさの診察室の上座には先生と、その端に担当看護師が座っている。普段、看護師はそこには座っておらず、隣の詰め所で業務をしているのだか、ぐちゃぐちゃと駄弁を呈しているのだかわからないが、とにかくそこに常駐している。たまに、診察室で暇をつぶすためなのか診察に付き添うのだが、何のためそこにいたり、いなかったりするのか理由はよくわからない。私はこの一見したところ、対して業務量もないのに看護師という職務上、ある程度の給与が保証されているであろう、そして何より私をきっと馬鹿にしているのであろうこの看護師も好きではなかった。
私は今日はいるのかと、半ば落胆した気持ちと、馬鹿にされるのではないかという不安の気持ちを持ち丸椅子に座る。
私が椅子に座って、五秒ほどの沈黙の後、パソコンを見ながら先生は
「大分、お待たせしてごめんなさいね。」といった。
実際、三十分ほど待ったのだが私は、「いえいえ。そんなに待っていません。」と陰気でいかにも病人風の語調であるが、そこまで世間離れしていない返答をした。
先生は「で、どう?」と聞いてくる。
この「で、どう?」は毎回、開口一番に先生が発する質問である。これは先生と患者の、年齢差、関係性に合わせて「最近はどうですか?」とか「最近の調子の方はどうです?」と様々な形に変化する。だが質問の主意は変わらない。誰にでも、同じ主意の質問をするなかで私に対する「で、どう?」は私と先生の関係性を表すのに割合、便利な言動であった。
ただこの言動から、先生と私の関係性が気心の知れたものであったり、数年の関係から生まれた親しさを含んだものであったりするものではないことに留意しなければならない。先生は私を明らかに見下していたし、軽蔑していた。その侮蔑からきた「で、どう。」である。
私は毎回この質問が来るたびに屈辱感から生まれる発狂に近い感覚を覚える。しかし私はいつもの通り無表情の顔を造り、「そんなに、変りはありません。」と実際にそうには違いない感想を述べる。
「あぁ。変わりないんだ。ハハハ。」。
先生は軽く笑いながらブラインドタッチし、私の現状をカルテに記入する。私は無表情を貫く。
「訪問看護の方は、進んでいるの?」
この質問は二週間前にもした同じ質問である。
「二か月前に申し込んで、その二週間後に始まりました。今では週に二回、火曜と木曜に来てくれはります。」
「どんな感じ?どういったことをしているの?」
「そんなにたいしたことはしないんですけど、まず看護師さんが今の体調を聞いて、今後の目標を作って、それに向かってやっていこうっていう話をしたりしています。」
「どんな目標?」
「生活のリズムの崩れてしまっているから、まず夜は十二時ぐらいには寝て、朝は昼までには起きていこう、っていう目標を立てました。あとそれ以外にも、看護師さんと少しだけ散歩に行ったりしています。」
「へぇ―。」
質問が途切れ、ここでしばし互いに沈黙する。
実はここまでの問答はほぼすべて前回の診察で行わたのとほとんど変わらないのである。これは先生が私を軽く見ていることが明らかな証左であった。
私は失望した。私は心の隅にあるしつこく残っている一縷の希望――私が本当に統合失調症で、それに苦しんでいる私に先生が同情を寄せて治療にあたってくれている――が完全に壊れ去ったように感じた。
私は以前、5ちゃんねるで匿名の自称精神科医が降臨した際、興味深い書き込みを見たことがある。それは精神科医やカウンセラ――は患者の治療にあたるさい、転移や逆転移を患者との間でなるべく起こさないよう配慮しないといけないらしい。
その時、転移、逆転移についてあまり理解できず、何言ってんだこいつはと思ったものだが後日、wikipediaで簡単に調べてみるとどうやら精神分析学において使用される用語らしい。転移とはザックリ言うと、患者が治療者に対して、両親など重要な人に抱いたような感情を抱くことをいうことらしい。逆転移は文字通り転移の逆で治療者が患者に対して転移してしまうことをいう。
しかし、私が、先生から感じたのは、単なる無関心であり、治療のための患者に対する繊細な配慮ではなかった。これも一種の治療だよと言われても信じることができない。侮蔑からくる無関心でなければ、上のような会話はきっと起こらないから…。
私は絶望感と虚しさを浮かべた表情で先生を見る。
「それじゃあ、二週間分のエビリファイと下剤だね。時間は二週間後の同じ時間でいい?」
もう切り上げるのか…。いつもはこのまま私も適当に相槌を打って、診察を終えるにだが、今日は少しこの先生を少し私のことについてどのような心持であるのか試してみたくなった。
私は勇気を出して、こう言った。
「すいません。もう診察も終わり掛けなんですけどちょっと伺いたいことがあって…。」
「なに?」
先生は一寸、迷惑そうな面持ちで私を見る。
「さっきの質問、あの訪問看護のことなんですけど。二週間前と全く同じ質問だったんですけど。」
「あぁ。そうだった?すいません。すいません。言い訳になっちゃうけど似たような患者さんがいるもんだから、ちょっとこんがらがってしまったみたいだね。」
「あのこんなん言ったら、また統合失調症の症状だといわれてしまうだけかもしれませんけど、投薬治療をしても、まだ誰かに見られている感覚は残っているんですよ。」
先生は少し困ったような、私を憐れむような、なんだか理解に困る判然としない表情をする。
「この病院の人、先生も含めて僕のことスト―カ―してるっていう、感覚はまだ持ってますし、結局、僕のことを先生自体馬鹿にしてるのではないですか。」
「さっきの僕についてよっぽど不信を持ってるんだね。確かにこれは僕の方が悪いけど、はっきりと言えることはあなたがそういう周りに監視されていると思ってしまうことは、確かにものすごくしんどいことだということは僕もよくわかる。」
私は返答に窮する。先生は真剣な表情を作り上げる。
「後、誤解もちゃんと解いておかないと駄目だね。僕は最初からあなたを見放すようなことはしていないし、ちゃんと責任もってこの後もあなたを治療する。僕はあなたを見捨てない。」
……この野郎!何そんなふざけたこと言ってんだ!
そんな上辺な口上で俺をいなしたつもりか?大体、お前ら全員が俺のことスト―カ―していることは明らかなんや!俺がアホやから証拠が見つけられへんだけで、お前らがいかに卑怯な人間かっていうのは火を見るより明らかなんやからな!お前らなんか全員地獄行きや!
オイ…。これで山本は診察を終わらせて、キチガイ一人イッチョあがりってか?めでたいな。俺の気持ち一つでお前なんか簡単に殺すことができんねんぞ。大体なんで今日、包丁でも持ってこうへんかったんやろ。いつも理性が勝って持ってくんのやめてしまうけど、大体後悔する…。今度は持ってこよう…。
まあいいわ。今日はなんもせんとこ。楽しみは後にとっといた方がいいからな。とりあえず会計しとこ…。
オイ!なんで病院事務の糞ババアは何を楽しそうに談笑してんねん!それになんで受付に男がいんねん!普通受付っていったら女がするもんやろ!大方仕事ができんかってそこにまわされたんやろなあ。むなしい奴や…。
大体なんで待合の奴ら全員俺のことチラチラ見て笑っとんねん!
大体俺なんかリクル―トのおばはんが三十ぐらいですごい出世してそうとか言われるぐらいやし、お前らなんか相手にしてられへんし、それに英語もある程度できるから海外にいつでも行けることができるし、そうやな…アメリカでもいいしドバイでもいいから、そこでお前らなんか目じゃないほど出世してお前らが数年後、日本の財政危機で全員生活に困っても、俺が億万長者になっても絶対に助けてやらんし、ニュ―ヨ―クで何人もの女を侍らしながら、テレビを見てお前らの苦しむ姿、笑いながら見たるし、そんでお前らなんかより百倍ガキ作って、そいつらが俺の復讐のためお前らの元に送り込んで全員苦しませてそれからぶち殺すよう指示するから最終的に俺の勝ちやから、お前らが笑ってられるのも今のうちだけやぞ!
会計もすましたし、今日はもう帰ったるわ。オイオイ…、鳥がなんかアホアホ、俺のこと馬鹿にして鳴いてるぞ…。オイ…、まだ子供が遊んでんのか…。オイ!お前ら何を楽しそうに笑ってんねん!クソッ!なんで今日、包丁持ってきいひんかったんやろ…。
……なんでお前らも全員笑ってんねん!お前ら、俺のオナニ―してるとこ見たやろ!ウンコしてるとこ見たやろ!殺すぞ!
肯定否定にしろいずれかのこめんとをくださったらありがたいです