ネロ・オフィーリア
ゆっくりと瓦礫の中からその老人が立ち上がった。
深く被ったローブは脱げており、なんだか一回り小さくなったように見える。
ぼんやりとしか見えていなかった姿が、家の中から漏れ出た光を浴び、やがてはっきりと映し出される。
先程まで追いかけていた老人とは思えぬ華奢な体が目に入り、そのまま視線を顔へと向ける。
「え?」
リヒトは信じられない物を目にした。
キラキラと輝く長いオレンジ髪にぱっちりした目、小さな唇に桃のように火照った頬の少女がそこにいた。
「だっ…誰だお前!?あのジジイはどこ行った?というか消えた!?」
飲み込めぬ状況の最中、辺りを見回すがさっきまでいたはずの老人はいない。
目の前にいる少女と入れ替わった…だとしても、そんな事が可能なのだろうか?
だったらこの少女はどこからやってきたのか…
それに、少女が羽織ってるローブは紛れもなくあの老人が着ていたものだ。偶然とは思えない。
「あっ…やだ!変身溶けてるー!!やだやだ見ないでー!!」
疑いの眼差しを向けられている事に気付いた少女は急に大声を上げ、恥ずかしがる様に手で顔を覆い、首を横に振る。
「お、おい…お前何なんだよ?どっから出てきた?さっきのジジイは!?変身ってなんだよ!?つーか壁どうしてくれんだー!!」
矢継ぎ早に質問をするリヒトに、少女はあわあわとしながら手の隙間からちらりとこちらの様子を伺っている。
「えっと、それは…!色々あって…あの…」
モゴモゴと口篭りだんだん声が小さくなる。
このまま問い詰めたら本当に消えてしまいそうだ。
「…なんだかよく分からんが、とりあえず中に入らんか?」
少女の背後でずっと固まっていたラナ爺が口を開いた。人参パイを皿に戻し、自身の背の丈より高い椅子からひょいっと飛び降りる。
羽織ったちゃんちゃんこの裾を叩き、大きな穴の空いた壁を眺めて、
「随分と見晴らしが良くなったのう…月がよく見える」
へっへっへ…と笑った。
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「本当にごめんなさい!」
丸いテーブルを挟んでリヒトの向かい側に座っていた少女は、頭を机にぶつけて謝った。
ゴンッと鈍い音と共に少し揺れた机から顔を上げると額が赤くなっていた。
(こいつまた家のもんを壊す気か?)
先程の前科がある故、警戒するリヒトを他所にラナ爺が尋ねる
「良いんじゃよ。ワシは兎族のラナン・マクゴットじゃ。リヒトとここで暮らしておる。お主、名前は?」
「私はネロ…ネロ・オフィーリアです」
「リヒトに追われていたようじゃが、ここに来るまでに何があったんじゃ?」
「こいつ、何にもしてねぇのに急に逃げ出したんだよ」
「リヒト、お前は少し黙っとれ」
「んだよ…」
不服そうな顔して、目の前に取り分けられた人参パイにフォークを突き刺して頬張った。
お前のせいだそと言わんばかりにリヒトは少女を睨む。
よく見ると、やせ細った白い左手首に高そうな青と白のブレスレットを付けており、両耳には同じデザインのピアスが揺れている。
明らかにサイズが合っていない古いローブは薄汚れており、糸の解れが目立つ。
見た目からしてだいぶ訳アリのように見える。
「私はただの旅人でした。帰る家を持たず、家族を持たず、いつもその場しのぎでなんとか生きてきました。ですがある日、目的地とは別の船に乗ってしまい彷徨っていた所、この街に辿り着きました。」
「本当の目的地はどこだったんじゃ?」
「中央国家です。どうやら私は昔、中央国家にいたようなんです」
「他人事みたいに言うじゃねぇか」
リヒトはふんっと鼻を鳴らし、フォークをネロに向ける。
グッと何かを堪えた表情をして、ネロは真っ直ぐリヒトとラナ爺を見つめた。
「…信じられないかもしれませんが、私には旅を始める前の記憶が無いんです。気付いた頃には見知らぬ土地で倒れていて、なんとか必死に生きてきました。でも、最近になって中央国家にいた事だけぼんやりと思い出したんです。だから、そこに行けば私に何があったのか分かるんじゃないかなって…」
ネロの瞳は揺れていた。
彼女自身、不安でいっぱいだったのだろう。
見知らぬ土地で、記憶がないまま、自分がいたであろう中央国家を目指さなければならない。
誰かに頼りたくなっても仕方がない。