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第35話 水と薬と、オレンジジュース

「……ふふ。なるほど、確かにこれは使えるかもしれませんね」


 そんな声を聞いて、純蓮はおもわず彼を見返す。すると彼は先ほどまでとは一転し、いつも通りの表情を見せていた。


「え……? か、影吉? もう大丈夫なのですか?」

「ええ、とりあえずは。……そうですね。水をもらっても?」


 影吉の言葉を聞き、想定通りだといった様子で、アルマはもう片方のグラスを差し出した。ごくごくと一気にそれを飲み干すと、影吉は小さく息を吐く。

 これならやっぱり騙せるかもしれない、と満足そうに笑うアルマと、それに同意する影吉の姿。それを見て純蓮は頬をぷくと膨らませた。


 先ほどの影吉の反応で、彼にもしものことがあったのかもしれないと思い心底心配したというのに、当の本人は涼しい顔でアルマとともに談笑している。そんな酷いことがあってよいのだろうか。

 

 なんとなく仲間はずれにされたような気持ちを感じながら、純蓮は視線をテーブルに戻す。純蓮の目の前にぽつんと佇んでいるのは、純蓮とともに蚊帳の外に追いやられてしまった先ほどのグラスだ。見たところ、まだ半分ほど液体が残っている。

 じっとそれに視線を向けながら、純蓮はごくりと喉を鳴らした。


 ――結局、先ほどの薬の正体はなんだったのでしょうか。


 どうせ作戦を実行するとなれば一度はこれを飲まねばならないのだ。今ここで予行練習をしておいて、損になることは無い、と心の中でもっともらしい理由を無理やりに並び立てる。そして純蓮は、ひとりこくりと頷いた。

 南無三、と心の中で唱えると、純蓮はひと息にグラスを煽る。視界の端では目を見開く影吉の姿。アルマは純蓮を見ると、やべ、なんて言葉を残してカウンターの向こうへと消えていったが、既にその声は純蓮の耳には届いていなかった。


「――〜〜っ!?」


 声にならない声が口から漏れる。苦い。渋い。苦い。そして酸っぱい。

 今までの人生で感じたことが無いほどの刺激に、純蓮はおもわず口元を抑えてえづくようにうめき声を漏らした。ゲホゲホと咳込む純蓮の目には、涙がじわりと滲んでいた。

 

「おーい、お嬢サマ。……大丈夫か?」


 いまだ苦しむ純蓮に向かい、アルマはグラスに入ったオレンジジュースをそっと差し出した。グラスを両手で受け取ると、純蓮は急いで果汁を喉に流し込む。口内には果実の甘みと爽やかさがふわりと広がるが、まだ舌の上にはあの苦味が残っているようだった。


「……まぁ、というわけで。これは不味さで演技を本物にしよう、っていう狙いの偽の毒薬……というか、簡単に言ったらただのクソ苦いビタミン剤なんだけど。こんなんでも結構信ぴょう性はあっただろ?」


 ようやく落ち着いた純蓮を見ながら、アルマは笑った。 

 そんな笑顔に対し純蓮は、本当にこれはビタミン剤なのか、と疑いの目を向けるものの、確かに今のところ純蓮や影吉の体調に異常はみられない。安全だ、という言葉をひとまず飲み込むしかないのだろう。


「……そうですわね。たしかに、何もないよりはそれらしい演技になるとは思いますわ」

「そうですね。それには私も同意します」

「やっぱそうだろ? いいアイデアだと思ったんだよな〜」


 にこにこと、楽しげに彼は笑う。そして、純蓮に言葉を続けた。


「ま、やるかやらないかは別としてさ。選択肢のひとつってことで置いとこうぜ。夕飯食ってるときとかも、『ワタクシはいつでもお父サマの前で死んだフリをできるですわ〜!』とか思っとけば少しは気も楽だろーし」


 アルマの言葉に聞き捨てならないものを感じて、おもわず純蓮は声をあげる。なんだあの下手くそな裏声は。

 

「ちょっと待ってくださいませ!? もしかして今のはわたくしの真似ですの!?」

「そりゃそうだろ。え、似てるくね?」

「な、なんてことを! わたくしそんな声と喋り方じゃありませんわ!」


 と、純蓮たちが言葉をぶつけ合う。そのときだった。純蓮の隣からふふ、と小さく声が聞こえる。ぴたりと二人は動きを止めて示し合わせたように影吉を見やったものの、彼の表情は平静のものと変わらない。


「……影吉」

「はい、お嬢様」

「今……、笑っていたのではありませんか?」


 そんな純蓮の問いかけに、彼は表情を崩すことなく答えてみせる。


「まさかそんなこと。私があんなお嬢様を馬鹿にするような言動を、笑うはずがないでしょう?」

「……ワタクシ」

「ふふっ……っ!」


 影吉はおもわずといった様子で声を漏らすと、口元をハッと押さえる。ただ、その声が明らかに震えていたのは誰が見ても明らかだった。


「――っもう! アルマさんも影吉もひどすぎますわ! わたくし、あのような喋り方ではありませんのにっ!」

「もちろんわかっています。ただ……、あまりにも質が低すぎて……」


 彼は表情こそそこまで変わらないものの、いまだ小刻みに肩を震わせていた。むむむ、とそんな彼の態度に不満を表明しつつ、純蓮は考える。――影吉がこんな風に笑っているのはいつぶりのことだろう。 

 そんな中、緩みきった空気を引き締めるようにアルマは口を開く。


「あー、まぁ話が逸れたけど、いったんこの作戦でいかねぇ? これなら……、お嬢サマが犠牲にならなくてよくて、お父サマ相手にも言いたいこと伝えられるいい機会になると思うんだよな」

「そう、ですわね……。えぇ、きっとそうですわ!」

「だろ? てことでこれな」


 意気込んだ純蓮の返答を聞くと、アルマは笑う。そして彼はふたつの小瓶をトン、と純蓮の目の前に置いた。


「……アルマさん、どうしてふたつも小瓶を?」

「んー、まぁ保険的なヤツ? あ、中身はどっちもおんなじな。飲み物に混ぜるのがひとつと……、もうひとつはお嬢サマが持っとけよ。簡単に言えば予備だ予備」

「予備……」


 まぁたしかに想定外のことが起きたときには使えるかもしれない、と納得し、純蓮は小瓶をひとつ影吉に渡すと、もう片方を制服のポケットに忍ばせる。


「よし、お嬢サマ。それじゃあ、『対お父サマ作戦』はじめるぞ!」

「はいっ! えいえいおー、ですわ!」


 アルマの掲げた拳に合わせて、純蓮をぐっと勢いよく拳を上げる。


 ――壁にかけられた時計が示すのは午後五時四十分。決戦まで残された時間は、あとわずかだ。

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