きっかけ
ざあざあと音を立て、雨粒が激しく打ち付ける。二車線の道路が走る連絡橋の上、純蓮の目の前を流れているのは、この豪雨でその勢いを増した濁流だ。肌に張り付く髪すらも気にせずに、彼女は冷たく濡れた欄干へとそっと手をかける。
「……ここで、わたくしが終わらせてしまったならば……、お父様は、わたくしのことを……」
虚ろな表情で、彼女はつぶやく。言葉の先は声が震え、口にすることも叶わない。ふると震える指に彼女が力を込めた、そのときだった。
「ねえ、ホントにそんな方法でいいの?」
純蓮の隣から不意に声が響いた。張り上げているわけでもないのによく通るその明瞭な声は、明らかに純蓮へと向けられたものだ。はっと顔を上げ、声の主の方へと顔を向けると、番傘を深く指し、表情を伺うことすらできない男がそこには立っていた。年は二十ほどだろうか。半纏を羽織った男のそのゆったりとした服装は、彼の浮世離れした雰囲気をより一層際立たせている。
「そんな方法じゃあ、つまらないよ? こんなところで死んだって、誰もキミに気づいちゃくれないし。ただ泥水に流されて、ぐっちゃぐちゃの死体になるだけなんだから」
ケラケラと、心底愉快そうに男は笑う。彼の言葉に、おもわず体が強ばるのを純蓮は自覚した。覚悟はしていたつもりだった。死ぬことも、それがただの無駄死にかもしれないということも。それでも、赤の他人であるこの男からただ言葉を投げられただけで、そんな覚悟は簡単に揺らいでしまう。
「……それなら。それならあなたは、わたくしに一体どうすればよいと言うのですか!? わたくしの事情なんて……、何も知らないくせに!」
絞り出すような純蓮の叫びに、男はにっと口の端をつり上げて番傘をポイと放った。金属の立てる甲高い音と共に、彼は軽く欄干へと着地する。そのまま欄干の上でゆるりとしゃがみこんだ彼の瞳が、純蓮の光のない目を真っ直ぐに射抜く。
「だったらさあ、オレがいい方法教えてあげるよ。大丈夫。ただ死ぬなんかより、ずうっといい方法だから」
にぃと口で弧を描いた彼の、その温度を感じられない冷たい瞳は、黄金色に爛々と輝いていた。まるで蛇だ、と純蓮の背筋に悪寒が走る。蛇に搦め取られた獲物のように、体が微塵も動かない。
もう後戻りは出来ないのだと、何故か強くそう思った。