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上司、幼児化する  作者: 永瀬
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2.ぷるぷるスイーツ


全速力で悲鳴のあがったトイレへ駆けつけ、扉を開けはなつ。


「どうされました!!?」


なかでは部長が歯を食いしばっていた。


「あららー」


お尻が便座にすっぽりとはまってしまったご様子。

んー、まだちょっと早かったかな。


「えらいえらい、がんばったよぉ」

「……森さん」

「大変失礼いたしました、部長」

「予期せぬ事態が起こりました」


ハイそのようにお見受けしますね。


「部長、ご指示を賜れますでしょうか」

「今この状況における最善策を検討しています」

「僭越ながら、ひとつご提案申し上げても?」

「お願いします」

「はいはい抱っこちましょうね~!!!」


指を組みフリーズ状態の部長を便座から引っ張り上げ、お風呂場へ連れていく。


「あれ、泣いてます?びっくりしたね?」

「私は泣いていません」

「きれいきれいしようねぇ」

「身体は一人で洗えます」

「そうですか。あ、シャンプーハットは?」


確認しようと振り向いた瞬間、鼻先でぴしゃりと浴室の扉を閉められる。


(……なにか、甘いものでも用意しておくか)


こんなときは甘味で心を癒すに限る。

とはいえ、部長のキッチンには乾きものしかない。

糖分といえば、四角い黒糖とガムシロップぐらいか。


(実に効率的な糖分摂取ですね)


まぁ甘いものが嫌いというわけではなさそうだ。


(そうだ。アレ、つくりたくなっちゃったな~)


材料は、片栗粉で代用できそうだ。


まずは、シロップづくりから。

鍋に黒糖と同量の水を入れ、中火にかける。

木べらでゆっくりと混ぜながら黒糖を溶かし、沸騰したら弱火にして、ふつふつ煮詰めていく。

カラメルの甘い匂いがキッチンに広がり、とろみがついてきたところで、火からおろし冷ましておく。


(これで黒蜜はヨシ!っと)


次は、本体をつくる。


ミルクパンに、スプーン山盛り大さじ一杯の片栗粉をいれ、コップ一杯分のお茶を注ぐ。

水でもいいけれど、お茶の香りで粉っぽさが消え、上品な後味になるのだ。


さらにガムシロップを追加していると、部長がお風呂から上がってきた。


「森さん、何をされているのですか」

「スイーツづくりです!」


ほかほかになった部長はカウンター越しに、白く濁った茶色い液体がたゆたうミルクパンをみる。


「鍋にはいっているのは何ですか?」

「片栗粉とお茶とガムシロです!」


いかん。部長が重大なバグを発見したような目で、こちらをみている。


「飲料ですか?」

「まぁ飲める食べ物ですかね。さぁ弱火にかけますよ!ここからは手を止めずに一気に~!」


木べらで鍋をグルグルとかきまぜる。

液体はだんだんともったりして、ノリのように固まってくる。


「透き通ってきましたね」

「まだまだこれからです、もっとかきまぜますよぉ!」


鍋を火からおろし、濡れ布巾の上で、手を止めずにかきまぜる。

ぐるぐるぐるぐる~!


「ハイ!ここですかさず冷やす~!!」


氷水をはったボウルへ、のっぺりとしたカタマリをいれる。

まるで氷海に浮かぶ野生のアザラシのようだ。


「部長、これ一口大にちぎっていただけますか?」


部長はおそるおそる冷たいボウルに手を入れ、つんつんと生地をさわる。


「ぷるぷるしています」

「ぷるぷるですか」

「はい、ぷるぷるです」


あまりの可愛さに、ついリピートしてしまった。

部長は小さなお手てで、ちむちむとちぎってくれる。


(なになに天使の泥団子あそびなの?!)


あまりのキュートさに悶絶している間にも、部長は丁寧な仕事ぶりでガラスの器に盛りつけている。

部長は、スライムのような物質に首を傾げた。


「これは一体なんでしょう?」


ここで、カバンから取り出したのは秘密兵器だ。


「ふっふっふ」

「そちらはまさか」

「その通り、きな粉です」

「きな粉ですね」


金色に輝く粉をみても、部長は冷静さを失わない。たいしたものである。


「忙しい現代人のはしくれとして、きな粉は常に携帯しております」

「森さん、文脈がわかりません」

「大豆の良質なたんぱく質、豊富なアミノ酸、食物繊維。ひとさじかければ、栄養満点!これぞ手軽で究極のエナジーチャージ!!」


おや部長の目が虚ろなようだ。こんなときこそ、きな粉だ、きな粉。


「どうします?山盛り、いっときます?」

「良識の範囲でお願いいたします」


透明なスライムの上に、きな粉をさらさら~とふりかけたら、先ほどつくっておいた黒蜜シロップをたっぷりかける。


「これは……!」


部長もようやく謎スイーツの正体が分かったらしい。


「なんちゃって、わらび餅の完成~!」

「まさか、こんな短時間で和菓子がつくれるとは」

「出来立てが美味しいので、どうぞどうぞ」


部長は、ティースプーンでふるふるの餅を口に運ぶと、目を輝かせた。


「口に入れると溶けてしまいます」

「ほとんど水ですからね」

「まるで水のお饅頭のようです」


おまんじゅう!もう表現がかわいいすぎる。

一連の流れを絵日記にして永久保存したい。


「この餅は、片栗粉でできているのですか」

「はい、コップ一杯のお茶に、片栗粉をひとさじ足して練るだけです」

「先ほどのお焼きと同じ粉とは思えません」

「わらび粉がなかったので代用したのですが、ポテンシャル高すぎですよね片栗粉」


これぞ粉の醍醐味だ。

ひとさじで食のレパートリーが無限に広がる、もはや小さな宇宙コスモ


「森さんの発想力には驚かされます」

「恐れ入ります」


部長のぷよぷよほっぺをみていたら、食べたくなりましたなどと絶対に言えない。


部長は気に入ったようで、きな粉黒蜜を追加し、おかわりをもきゅもきゅと食べている。


背後にまわり、無理矢理許可を得て部長の髪の毛をタオルでわしゃわしゃと乾かしていると、小さな頭が呟いた。


「森さん、今日は本当にご迷惑おかけしました」

「とんでもございません」

「姿形が変わるのは自然の摂理だと、片栗粉に大切なことを教わりました」

「え?まさか片栗粉からラーニングしてる?」

「私も姿は変わりましたが、どんな形状でもパフォーマンスを最大限発揮できるよう精進してまいります」


部長は、AIらしいロジックで決意を新たにしている。

きりりとしたお子様部長に、先ほどから考えていたことを切り出す。


「あのぉ、部長」

「はい、なんでしょう」

「しばらく、うちにきませんか?」


突然の部下の提案に、部長は無言になる。

もしかして検索ワードになかったのだろうか。


「うち、というのは私の自宅をあらわす俗称なんですけど」


ハッと再起動したらしい部長は、ぷるぷると首を振る。


「上司としても男性としても、そのようなことは、コンプライアンス上いたしかねます」


さすが令和のアンドロイド、倫理規定がアップデートされている。

などと適切なマネジメント力に感心している場合ではない。


「ここで、子どもの身体で一人暮らすのは難しいと思うんです」

「たしかに見た目は子どもですが、中身は35歳です。お気持ちだけありがたく受け取ります」


口の周りにきな粉をつけて、きりりと語る5歳児。

いつもの鉄面皮で完璧な部長は、見る影もない。


「やれやれ。幼児化していいのって、ギリ高校生までっすね」

「なんのお話でしょう」

「感情が迷子になっちゃって。よし、そうと決まればお泊りの用意しましょうね!」

「森さんの責任感の強さは知っています。ですがこれは業務外です」


そう断言する子どもは、人間ひとりひとりの特性を把握している、いつもの部下想いな部長だ。

部長のどんなときもブレない姿勢に、思わず笑ってしまう。


「部長。これは業務とは関係なく、私の良心の問題です」

「良心……」

「この状態の部長を、ひとりにしておけません」


そういうと、部長は眉を下げて、黙りこんだ。


「このまま帰っても、不安で眠れませんよ。私のために一緒にいてください」


幼児は何か迷っているようだったが、最後に小さくコクンと頷いた。

茶碗洗いを終えると、荷造りをした部長がソファの上でウトウトしている。


(あららお腹いっぱいになって、眠たくなっちゃったかな)


そのまま荷物と一緒に抱き上げ、高級マンションに鍵をかけ、雨上がりの夜道を歩いて自宅へ向かう。


(子どもの頃、弟たちが泣くたびにこうして抱っこして散歩したな)


年の離れた弟たちを思い出し、自然と鼻歌を口ずさむ。

家に着くころには、部長はすやすや寝息を立てていた。


狭いベットの上にそっと寝かしつけると、シャツを引っ張られる。


「ぶちょー?」


裾をぎゅっと握ったまま寝入ってしまったようだ。

仕方なく、隣に寝そべって、こっそり寝顔を拝見する。


(よかった、悪い夢はみていないみたい)


幼児化した部長は、合理的な考え方も紳士的な態度も変わらないのに、なんだかとっても愛おしい。


こどもの高い温度が冷えた身体に心地よく、気付くと横で眠りに落ちていた。





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