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上司、幼児化する  作者: 永瀬
1/3

1.もどき焼き


超有能な上司(35歳)が、ピンク色の雷に打たれて5歳児になった。


何を言っているのか分からないと思うが、私もである。

よし落ち着こう。


そう、我々が務めるのは中堅食品メーカー・ほしのこ製粉。


焼いてしっとり、煮てもっちり、揚げればさっくり。

あなたのそばにいつも粉、振り返れば粉がいる、粉は世界をつなぐ。


そんな社訓の弊社は、小麦粉・米粉をはじめどんな粉でも幅広く取扱う製粉会社だ。


今週は社運をかけた新商品の発表を控え、商品企画部は大変忙しかった。


その長である平井部長は、アホ毛ひとつない完璧なヘアセットに、オーダーメイドスーツを九頭身で着こなし、整った造形をより際立たせている。


「平井部長!配布用サンプルが足りません!」

「福岡倉庫に305食、仙台に211食、在庫があります」

「本当だ!ありがとうございます!」


「部長、プレス向け想定Q&Aできました!」

「この業界初という表現は、ナルミ製粉が04年に出願した特許を侵害する可能性があります」

「わわわ、法務に確認します!!」


相次ぐトラブルに平井部長は眉ひとつ動かさず、高速で業務をさばいていく。


「さすがアンドロイド部長!」

「全国の在庫状況に20年前の特許まで脳内クラウドに入ってるなんて」


外資系企業から転職しすぐに弱冠35歳の若さで部長に抜擢された平井部長は、その優秀さと完璧な美貌からひそかにアンドロイドと呼ばれている。


「なんでも最先端の人工知能搭載されてるとか」

「あとは感情のラーニングだけですね」


先輩とヒソヒソとバカ話をしていると課長に怒られる。


「失礼なこと言わないの!……なんでも島井社長のお嬢さんとお付き合いしてるらしいわよ」

「秘書課のアイドルじゃないすか!」

「どうしてあんな優秀なアンドロイド……じゃなかった、エリートがうちの会社にいるのかと思ってたけど謎がひとつとけましたね」


社員たちの羨望のまなざしをよそに、部長は本日も淡々と業務を遂行していた。


(あれ、もうこんな時間か)


倉庫室でノベルティの準備をしていたら随分と遅い時間になっていた。

金曜の夜とあって社内にはすでに人がいない。

シンとした薄暗い廊下を小走りで駆け抜け、ちょうど扉が開いたエレベーターに乗り込むと。


「ヒィッ!!」


アンドロイドが無表情で首を傾げながらこちらを見ていた。


「おつかれさまです。」

「あっ、部長か!おつかれさまです!」

「森さん、まだ残っていたのですね」

「えへへ。おまけ付けに熱中しちゃいまして」

「そうでしたか」


平坦な声からは感情が読み取れないが、アーモンド形の無機質な瞳には、非効率な動物ヒューマン)が映っている。


「帰れそうですか?」

「あっはい、帰巣本能は備わっています」

「……大雨で交通機関が止まっています」

「えっ!!」


さっきまで窓のない倉庫室にいたから、気が付かなかった。


「よろしければ、最寄り駅まで車で送りましょう」

「ありがとうございます~」


愚かな人間に最適なソリューションを提案してくれる、アンドロイド部長。

会社のエントランスを出ると、ザァーザァーと滝のように雨が降っていた。


「うっわ、すごい雨!」

「車をとってきます。こちらでお待ちください。」

「助かります~!あ、よかったら私の折りたたみ使って下さい!」

「ありがとうございます。」


ヒト科に優しいアンドロイド部長は花柄のチープな傘をさし、目の前の駐車場へ車を取りに行く。


(意外に紳士なんだよなぁ…しかし花柄が絶望感に似合わない)


屋根の下から、水しぶきで白く見え隠れする後姿をぼんやり眺めていたその瞬間。


ピッシャァァァーーーアン!!!


花柄の傘に、ピンク色の光線が直撃した。


「ぶぶぶ部長~~~~!!!!!」


カバンを放り出し、雨のなか急いで駆け寄る。


「大丈夫ですか!!??」

「……これは一体」


転がった傘の近くでは、まぁるいほっぺに、つぶらな瞳をした男児が、こちらを見上げていた。


「あら!きゃわいい!」


思わず声をあげると、子どもはビクッとする。

その拍子に、ほっぺがぷるっと揺れた。

甥っ子と同じ背恰好だから、5歳くらいだろうか。


「迷子?こんなところでどうしたのかな?」

「森さん、私は平井です」


子どもは抑揚のない、愛らしい声で名乗る。


「いやいやそんなバカな」


だが、子どもが着ている仕立ての良いぶかぶかのスーツには見覚えがある。


(部長のと同じだ。まさか)


冷たい雨が全身を叩き、身体の芯から体温を奪っていく。

幼児は濡れた前髪をかき上げ、車のサイドミラーに自分の姿を映す。


「どうやら身体が縮んだようです」


落ち着いたその様子は、冷静に現状把握をしている上司の姿に重なる。


「ほんとに、部長なんですね」

「はい」

「こんな可愛くてちったいのに!!部長なんですかぁああ!!!」

「はい、私が平井です」


パニックで絶叫する私に、冷静な部長は小さいおててで、傘を差し出してくれる。


「森さん、濡れています。大丈夫ですか。」

「やさしいでしゅね~、とか言ってる場合ですか!どうするんですか!えっなに病院?!」

「森さんは信じられますか?」

「うぅっ」


この目で見たからこそ信じられるが、雷に打たれて幼児化したなど、聞いたこともない。


「申し訳ありません。今夜は送るのは難しそうです」

「むしろ部長、お送りしますよ…」

「私のことは気にしないでください」


目の前で幼児化した上司は平然としているが、このまま放っておけるわけがない。


「部長、いけません。この時間に幼児の一人歩きなんて、警察に即保護されますよ」

「私は身分証明書を持っています」

「いやいや無理だって。事件になるって。ほら、お送りしますから」


しぶる部長から高級車のキーを預かり、後部座席に乗せる。

ナビに入っていた部長のご自宅は、うちの近所にある高級マンションだった。


地下駐車場に車をとめ、途中のコンビニでゲットしたタオルで抱っこしようとすると拒否られる。


「抱っこはいけません。私は重たいです……わっ?!」

「粉屋の営業なめてます?」


去年まで流通営業でスーパーを飛び回っていた私には、5歳児なんぞ余裕の軽さである。

これ以上は風邪をひかせてしまうと思い、無理やりくるんで、抱き上げる。


「ほら、ぜんぜん軽いですよ?」


声をかけたのに、部長は赤い顔をしてぷるぷるしている。


「はやくおろしてください」


いかん、アンドロイドに過度な接触はNGだったようだ。

厳重なロックをいくつも抜け、最上階にたどり着く。

さすが部長、随分いいとこに住んでるじゃないか……。


「森さん、本日は大変ご迷惑をおかけしました」

「とんでもない。それでは、こちらで失礼します。なにかあれば携帯にご連絡ください」

「そのままでは風邪を引きます。よかったら雨が止むまでお茶でもいかがですか?」

「えぇそんな~、では遠慮なくぅ!お邪魔しまっす」


中身は35歳のおぢとはいえ、子どもを一人にしておくのは心配な気持ちもあり、つい上がり込む。


広々とした部屋はモデルルームのように美しく機能的なインテリアで、夜景もばっちりだ。大雨で何も見えないけれど。


着替えにいった部長は、ブカブカのTシャツの裾を引きずりながらトテトテ出てきた。


「私服かっわ……!彼シャツを超える威力……!」

「コーヒーか紅茶、どちらがいいですか?」

「紅茶でお願いしまーす」

「わかりました」


キッチンへ向かった部長は、カウンターに手が届かないことに気づくと、リビングから自分の身体より大きな椅子をえっちらおっちらと運び、椅子によじ登ってお湯を沸かそうとする。


「はわわ初めてのおもてなし!キュンです!じゃないよ私の馬鹿!子どもが火を使ったら危ないよ!」


とっさに部長を抱き上げると、小さなお腹がクゥ~と鳴る。

耳を赤らめる部長、かわゆい。


「よかったらキッチンお借りして、何かつくりましょうか?私も夕飯まだなので」

「おねがいします」


部長の許可を得て冷蔵庫を開けるが、調味料とお酒くらいしか入っていない。

あとは自社製品である薄力粉くらいか。


「部長は省エネタイプなんですね」

「はい。食事はあまりしません」

「あれ?それにしては調理器具は充実してますね。圧力なべに、ミキサー、パンメーカーまで!」

「商品勉強のために揃えましたが、私に料理は難しかったです」


部長は心なしかしょんぼりしている。意外にも苦手なことがあったらしい。

まだ子どもなのに勉強熱心なアンドロイドである。


カウンターを見渡していると、おつまみの乾物を見つける。


「このおつまみ、少しいただいても?」

「はい、ご自由にお召し上がりください。このようなものしかなくて申し訳ないです。」

「ふっふっふ」


申し訳なさそうな幼児に、不敵に笑いかける。


「なにをおっしゃいますか。薄力粉があるじゃないですかぁ!」

「もしかして、お好み焼きをつくりたいですか?」


さすが粉屋のアンドロイド、意図をくみ取ってくれる。


「しかし具材も卵もありません」

「そんなときは、コイツにお任せを!!」


ジャジャジャジャーンとカバンの中から取り出したのは、片栗粉 ※自社製品 だ。


「薄力粉に……片栗粉ですか」

「はい!掛け合わせることで食感がグッとよくなります!」


幼児の澄んだ瞳には、粉を片手にはしゃぐ陽気な類人猿が映っていた。


「森さん、なぜカバンから片栗粉が?」

「アッいつもは薄力粉なんですけど。荷物が多くなりがちな金曜日は持ち運びしやすい片栗粉かなって☆」

「なぜ片栗粉を持ち歩いているのですか」

「満員電車で蹴られてもおいおい私のカバンには粉が入ってるんだぜ?と思うと心強いですよね。まぁ精神安定剤みたいなもんです!」

「それほんとうに片栗粉ですよね?」

「粉もんは正義!!」


疑惑のまなざしを向けられながら、広々としたキッチンで調理を開始する。


まずは、チータラとイカを拝借し、みじん切りにする。

つぎに小麦粉と片栗粉をボウルにいれ、同量の水で溶いたら、切った具と軽くまぜる。

卵も出汁もないけれど、味が濃い目の干し物からはいい出汁がそうだ。


やや水っぽい生地を、ごま油を熱したフライパンに流し込む。


ジュッツ


「いい音ですね。美味しそうな匂いがします」


部長は台所のまわりをそわそわと歩き回る。よほどお腹がすいていたらしい。


フライパンの中で、ふちが乾いてきたらひっくり返す。

ここでためらわずに鍋肌にそって油を追加するのがカリっとするコツだ。


「ここで油を足すのですね」

「油は粉の美容液です!」

「おっしゃっていることが、よくわかりません」


部長は首をかしげているが、そのままフライパンで焼き、焦げ目がついたら完成だ!


「できましたー!」

「こちらの料理は?」

「なんちゃってイカ焼きです!我が家ではなにもないときにつくるので、もどき焼きって呼んでます」


部長はいそいそと分厚い辞典をもってくると椅子にのせ、その上にちょこんと座った。

このままアクスタで保存したい可愛さである。


「「いただきまーす!」」


部長のおててに大人のお箸は大きすぎたため、二人で手づかみでイカ焼きもどきにかじりつく。


外はサクッと、中はもっちり噛み応えのある香ばしい生地に、イカの旨味とチーズの塩気が最高である。


部長はかわゆいほっぺを動かし、はふはふと食べている。


「とても美味しいです。まさかこんなご馳走になるとは、驚きました」

「フフフ、片栗粉と薄力粉の最強コンビ!たまらないですよね」

「粉を混ぜ合わせていましたね」

「同じ粉でも、片栗粉はじゃがいも、薄力粉は小麦ですから全然別物なんですよ。片栗粉を入れるともちっとした食感がでます」

「ビールのつまみにぴったりです」

「絶対その体で飲んじゃだめですよ」

「それは残念です」


アンドロイドジョークをかまし、ぎゅもぎゅと夢中で口に運ぶ部長の姿は実に愛らしい。


(……あれ、なんか前にもこんなことあったような?)


なにか遠い昔の記憶を思い出しかけたような気がしたが、出てこない。

ここは人間らしくすぐ諦めることにする。


「ご馳走さまでした。とても美味しかったです」


部長は完食すると、ナプキンで上手におくちを拭いている。実にしつけのなったお子さんである。


食後の温かいお茶を差し出す。


「ありがとうございます」

「いえいえ。こちらこそ、すっかり長居してしまって」


窓の外を見ると雨は止み、霧の向こうに街の明かりがぼんやりと浮かび上がっていた。

ハッ、このシチュエーションは!


(しごでき上司の部屋で二人っきり~~!!)


その肝心の上司はちいさな両手で湯呑みを持ちながら、ふぅふぅと唇をとがらせている。

なんだよかわいいかよ。


「部長、正直に話してくださいね」

「はい」


律儀に辞書の上に座りなおした部長にキュンとしながら、本題を切り出す。


「ずばり悪の組織に狙われてますね?」

「……もう一度おっしゃっていただけますか?」

「こうなっては元に戻る薬が開発されるのを待つしかないと思うんです!」

「お話がよくみえないです」

「やっぱり親切な博士的な、どなたかに保護していただくのがよろしいかと!」

「友人は現在、海外にいて連絡がとれないのです。本当です、そんな目でみないでください」

「大丈夫、粉は友達に入りますからね」

「はいりません!」


意外とノリがよい。


「森さんは落ち着いていますね」

「まぁ、そうですね。粉があればなんとかなるかなって」

「そうですか」

「おなかが膨れてれば人間なんとかなるもんですよ。それが旨いものならなおよし!」


そういうと、部長の目が少し丸くなる。


(あれ今の、笑ったのかな)


どこか見覚えがある瞳は、近所の人見知りな猫に似ているせいか。


「そうだ、秘書課の島田さんに連絡しましょうか」

「どうしてここで彼女の名前が出てくるんですか」

「あれ、部長とお付き合いされてるのでは?」

「そのような事実はありません。ぼくに恋人はいません!」


広々としたリビングに、部長のカワイイ声が響く。

先ほどまでニコニコ食べていたのに、ほっぺをまんまるに膨らませ椅子からおりる。

35歳児むずかちー。


「部長、どちらへ?」

「お手洗いへ」

「わぁ、ひとりでおトイレいけるの、えらーい!一緒にいこうか?」

「結構です!」


部長は扉を開き、リビングから出ていく。


(そうだよな、中身はクールで超有能なおぢさんだもんな)


どうにもビジュアルにひきづられていかん。

反省していると、トイレから悲鳴が聞こえた。


「ど、どうしました!!??」


慌てて駆けつけると、そこには―――



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