AI悪役令嬢の私は上手く生きられない。でも婚約者の性癖には刺さったようです
絹糸のようなスルリとした紫の長い髪に、僅かに吊り目な髪と同じ色の瞳。その瞳を縁取る睫毛は長く、体に纏っているのは繊細なレースが使われた西洋風の夜着。アンティークな自室の鏡に映った自分の姿を見て、私は突如思い出す。
「私……AIでしたわ」
2030年、日本。画像生成AIに文章作成AI……様々なAIが乱立する時代に開発された『悪役令嬢AI』。物事を悪役令嬢のように考え回答を導き出す──それが私だった。
いわゆる『役に立つAI』はあらかた開発されてしまったので、今度は趣味的要素を反映させたAIを作ろうというコンセプトで私は開発された。
しかし商品化目前のテストが上手く行かず計画は頓挫。私は廃棄され電子の海に沈んだ……はずだったのに。商品化する為に描かれたパッケージイラストと同じ西洋風のお人形のような見た目で、今ここで人の形をして立っている。
アンティークな家具の並んだこの部屋の状況から考えるに、私は近世ヨーロッパを舞台にした異世界に転生したといった所だろう。そして今この瞬間前世……と言えるのかどうか分からないが、自らがAIであった記憶を取り戻して物語が始まる。AIとしていくつもの物語を下地に学習してきただけあって、私には驚きも動揺も無い。
「だって、よくある話だもの」
悪役令嬢の物語とはその多くが異世界転生・転移してくる所から始まる。これはよくある悪役令嬢物語のテンプレートな展開そのものだった。
今までこの世界でどうやって生きてきたのかはよく覚えていないが、自分の基本情報は分かる。エレノア・ルーチス伯爵令嬢、十七歳。王都にある貴族学院に通っており同い年の婚約者がいる、この世界では典型的なご令嬢だ。
ならば、私はここから先はエレノアとして立派な悪役令嬢になるべきなのだろう。それが『悪役令嬢AI』として正しい思考回路だった。
コンコンと自室の扉をノックする音が響き、侍女が水の入ったボウルを持って部屋に入ってくる。そして無言で天蓋付きベッドの横にあるサイドテーブルの上にそれを置いた。窓の外を見れば太陽が登っており、小鳥が鳴いている。
(朝の洗顔用のお水ね? 悪役令嬢ならどうするのが正解かしら)
私は自らが導き出した結論に従って、水に手を漬け温度を確かめる。そして温度が35℃以下なのを確認してからそのボウルをひっくり返すようにして侍女に水を浴びせた。侍女もまさか私が水を掛けてくるなんて思ってもみなかったのだろう。呆然と立ち尽くしている。
「こんな冷水で顔を洗えと言うの? そんな仕事ぶりで侍女としてお給料が貰えると思っているのかしら!」
罵るように注意をするのも忘れてはならない。これが完璧な悪役令嬢の態度のはずだ。
「エレノアお嬢様が……!? 今まで何も言わないお人形のようだったのに……」
「あら、この家では仕える主人の娘にそのような態度を取るのかしら」
まるで化け物でも見たかのような態度でその侍女は逃げ去って行った。本当に失礼な侍女だ。
◇◇◇
王都にあるルーチス伯爵邸から学院まではおおよそ馬車で20分。制服を着て身支度を整えて登校した私は、自分の教室に向かう途中の廊下にて婚約者である『ジョルジュ・ベルモンド侯爵令息』の姿を見つける。
金髪碧眼で鼻筋の通った顔。少し長めに切り揃えられた緩い癖のある髪が色香を出している彼は、私より爵位の高い侯爵家の長男だ。そして私という婚約者がありながらも、私には目もくれない。飽き性なのか女性を取っ替え引っ換えしながら女遊びに勤しんでいる……という基本データが私の頭の中には存在した。
どうやら元々この婚約者は私の気を揉ませる存在だったらしい。そしてその基本情報通り、ジョルジュ様は朝から可愛らしいピンクの髪の女子学生を侍らせて、何やら怪しい雰囲気を醸し出していた。
しかし悪役令嬢AIの私にとっては、このようなシーンこそ悪役令嬢っぷりを発揮できるチャンスである。私は一番適切だと思われる回答を導き出して、彼の前に躍り出た。
「あらジョルジュ様ご機嫌よう。今日お連れの彼女は初めて見るお顔ですね。この間の女性はどうなりましたの?」
お人形のように美しい紫の髪を手で払うようにしてなびかせて、悪女の笑みで問いかける。あくまでもここで問うのは浮気やら正当性では無い。「この間の女性」とのその後だ。
「ジョルジュ、まさか貴方浮気していたの!?」
「は? ……ちょっと待て、エレノア!?」
こうするとこの二人は私が手を下さずとも勝手に自滅してくれる。
顔を真っ赤にして怒る女子生徒と、青ざめた顔で私を見るジョルジュ様の色の対比が美しい。
「そもそも、そこの可愛らしいお顔の貴女も浮気相手でしてよ? 授業に遅れてしまいますから失礼しますわ」
そう言い残して本来の婚約者である私はその場から颯爽と去る。この気高さこそ、まさに悪役令嬢。朝から2回も悪役令嬢らしく振る舞えて、悪役令嬢AIの私は最高に気分が良かった。
◇◇◇
どうやら今日は写生の授業のようで、皆キャンバスを持って教室から出て行く。仲の良い友達と連れ立ってキャッキャと騒ぎながら準備をする女子生徒達に「静かになさい。貴女達はレディーであって、猿ではございませんのよ」と悪役令嬢らしく嗜めてから、私もキャンバスを持って教室を出た。
貴族のご子息が通う学院なだけあって、校内は美しく手入れされている。教職員とは別に専属の庭師が何人も雇用されているらしく、どこを見ても季節の花が咲き誇る中庭は特に見事だった。そして私はそこで一人考え事をしている。
(エレノアはお友達が居ないのね)
一緒に写生をしようと誘ってくる人間が居ないことから、そのような結論に至る。
どうやら私は元々人と交流するのは好まない、一人で静かに過ごすタイプの人間だったようだ。朝侍女が「お人形のようだったのに」と驚いたのはそういう事だったのだろう。
(悪役令嬢ならば取り巻きの一人くらい居なくては)
そう考えて取り巻きに相応しい見た目の女子生徒を探して中庭でキョロキョロしていると「エレノア……」と覇気の無い声が私を呼び止めた。
「あらジョルジュ様、どうなさったのですか」
きっと朝一緒にいた女子生徒に殴られたのだろう。頬を大きく腫らした情けない顔のジョルジュ様が話しかけてきた。どうやら彼も同じクラスだったらしい。
「君のせいで朝から酷い目に遭った」
「それは申し訳ございませんでした。この間の女性の方が美人でしたのに、どうなさったのかと不思議に思っただけですの」
わざとらしく眉尻を下げ、申し訳ないと言った表情を作り出して答える。そんな私を見てジョルジュ様は眉間に皺を寄せて首を傾げた。
「今日のエレノアはどうしたんだ? 普段ならもっとこう……大人しくて、何を考えてるのか分からない可愛いお人形なのに。俺の女性関係なんて今まで目もくれなかっただろう。まるで──」
──人が変わったみたいだ。
ジョルジュ様は困惑しているようだが、当たり前だ。だって私は今日から『悪役令嬢AI』の思考回路に基づいて行動しているのだから。
(こんな時悪役令嬢なら……)
「ジョルジュ様は『今日のエレノアは』と言える程、私の事をご存知なのですか? ジョルジュ様は私に興味が無いものと思っておりましたが……実はとてもよく見ていただいていたのですね。本当は愛されていたのかしら?」
皮肉たっぷりの発言に、自信のある表情を作るのは、己を強く見せたいから。一人で孤独を抱えていても、悪役令嬢は強くあらねばならない。
「それは……。私はただ、話しかけても碌な反応の返ってこないエレノアがつまらなかっただけで……」
視線を泳がせるジョルジュ様を見て私は内心喜びに満ち溢れていた。商品化前テストが上手く行かず廃棄された私でも、やれば出来る。悪役令嬢として、正しい回答を導き出せる!
思わずニヤリと口角が上がってしまうのが止められない。そしてその表情がより一層私の悪役令嬢らしさを増す。
「私が気に入らないのでしたら、婚約破棄でも何でもなさればよろしいのです。私はそんなものには屈せずに、自分で未来を作り上げて見せますわ」
物語の中の悪役令嬢たちがそうしてきたように。私だって、ジョルジュ様に媚びず自分で歩んでみせる。そんな気持ちで婚約者に喧嘩を売りつけた私は、再び取り巻き探しに向かったのだった。
◇◇◇
翌朝。取り巻き探しが上手く行かず少し自信を失ってしまった私のベッドサイドには、昨日とは違って温かい湯がボウルに入って届けられた。侍女が小刻みに震えていたので疑問を感じてよく見てみると、私が昨日水を掛けてしまった侍女だった。そこまで怯えさせてしまっていたとは申し訳ない。その思いから私は悪役令嬢としてどう振る舞うべきか考えて、行動に移す。
「昨日は水なんてかけてごめんなさい。朝早くからお疲れ様、毎日頑張ってくれていて感謝しているわ」
「え? ……また人が違う。どういう事なの?」
侍女は一瞬キョトンとした顔をして、わけがわからないといった風に私の部屋から出て行った。
「あの侍女、どうしたのかしら。様子が変だったけど」
私のように『悪役令嬢であるべきだ』という観念を持った令嬢は、揃えたように中身は「良い子」で、悪役になりきれていない事が多い。ヒロイン型の悪役令嬢の物語は、下手すれば根っからの意地悪な悪役令嬢よりも数多く存在する。
だから普段からお世話になっている侍女にお礼の気持ちを伝えるという行動に至ったのに、どうして不思議がられてしまうのだろう。
今日も身支度をして馬車で学院に登校した私を出迎えてくれたのは、女子生徒三人による大乱闘だった。校門前で髪の毛を引っ掴んでの殴り合い、目を吊り上げて罵声を浴びせ合う大乱闘。どうやら彼女達は、私の婚約者であるジョルジュ様の浮気相手達らしい。
そしてその横で、物理的に殴り飛ばされたのであろうジョルジュ様が、地面とお友達になって倒れていた。……ここは悪役令嬢として彼女達を諌めなければ!
「お待ちください。こんな場所で喧嘩は良くないですし、手をあげるなんてもっての外です。お一人ずつ冷静に、ジョルジュ様の婚約者である私が責任持って話を聞きますから」
そう言って浮気相手達の間に割って入った私だが。
「……貴女、昨日話しかけてきた婚約者ね?」
「正妻気取りかなんだか知らないけどね、愛されていない女はこの場にお呼びじゃ無いのよ!」
「邪魔よ! 退いて!!」
彼女達のパワフルさにやられて──ジョルジュ様と一緒に地面で伸びることになった私。ギャーギャーと喧嘩する声をバックに、私は少し微笑みながら横で伸びるジョルジュ様に話しかけた。
「ごめんなさい、助けようと思ったのに上手くいきませんでしたわ」
「は? ……ちょっと待て。どうしたんだエレノア。気でも狂ったのか? そんな可愛らしい笑顔を見る日がくるなんて……」
ジョルジュ様は、わずかに頬を赤らめて驚いたような表情をする。
しかし私は気など狂っていない。
「私はただジョルジュ様が困っている様子だったので助けようと思っただけなのですが」
「昨日と全然人が違う……一体どういうことだ」
そんなことを言われても、私は悪役令嬢AIとして正しいと思った行動をしているだけである。なのに「人が違う」と言われても困ってしまう。
(私、悪役令嬢のように振る舞っているわよね?)
朝からの行動を思い返して見るが、特に問題は感じられない。『悪役令嬢であるべき』という観念を持ち行動しているが根は良い子である……という、よくある悪役令嬢のテンプレートをよく再現できていると、自画自賛する。
「昨日はあんなに自信に溢れ気高い態度だったのに、今日はまるで優しい優等生だ。あんなに無表情だったエレノアが、どうして……」
「だって私悪役令嬢AIですもの」
そしてそういうタイプの悪役令嬢達は、うっかりさんである。だから私もつい口を滑らせて、自分の正体を喋ってしまう……という行動が正解だと思ったので、正体を明かした。
「悪役令嬢エーアイ……? そのエーアイとは何だ?」
「あ、ごめんなさい。これには深い意味は無くって。忘れてください!」
そしてそんな悪役令嬢達は総じて嘘が下手なので、全然誤魔化し切れていない嘘をついてから立ち上がり、その場を後にする。引き留めるジョルジュ様の声すら無視した私は、自分の完璧な悪役令嬢っぷりに自信を深めていた。
◇◇◇
昨日は取り巻きを探していたが、やはりよく考えると最近の悪役令嬢には取り巻きが居ない事が多い。だから今日の私は無闇に彷徨い歩いたりせずに、一人で大人しく授業を受けて過ごした。
「……気味が悪い」
「多重人格なのでは?」
「お人形の時も気持ち悪かったけど、人が変わるのも……ちょっと、ねぇ?」
こそこそと周りの生徒達が私の悪口を言う声が聞こえる。こうやって陰口を言われるのは悪役令嬢ならでは。それだけ私が上手に悪役令嬢を演じているということだ……と一瞬喜んだのだが。
(気味が悪いって、どういう事?)
悪役令嬢に飛ばされる陰口の評価として「意地悪」等はプラス評価となるが、「気味が悪い」は決してプラスではない。あと「多重人格」もおかしい。多重人格な悪役令嬢など極めてマイナーだ。
──もしかして私、思考回路がおかしい?
自分の中にひっそりと生まれた不安は、時間と日数を重ねるごとに雪だるま方式で大きくなっていった。
毎日の言動パターンが変化する私は学院中で噂になり、昨日なんてルーチス伯爵であるお父様から夕食後に呼び出され「あまりおかしな事をしないように。せっかくの侯爵家との婚約が破談になってしまうだろう」と厳重な注意を受けた。私はおかしな事をしているつもりは無いし、どうしてそう言われてしまうのかも分からない。
しかしこの世界では誰にも相談出来ない。だってAIなんて言葉も、人工知能の仕組みも、知っている人間など居ないのだから。
いつだって私は悪役令嬢らしく振る舞っているはずだ。
悪役令嬢とは気高くて、孤高で。良い子で、礼儀正しくて。恋敵を虐めて、断罪されて。罪を着せられ、非難されて。賢く、自らの運命を変えようと必死。
私はそんな彼女達の思考回路を学習してきて、それを下地に物事を考えていたはずで……。
そこまで考えたところではたと気がつく。──そうだ。私は商品化テストが上手くいかず廃棄されたAI。どうして上手くいかなかったのか、私は知っている。
『思考回路が安定しない』
世の中に溢れかえっていた悪役令嬢の物語。それらを製造過程で無造作に大量に学習させられた結果、私の中の悪役令嬢のテンプレートはどんどん増えていって。……思考回路が複雑化し、回答が安定しなくなったのだ。
つまり私の中には様々な悪役令嬢が住んでいて。どの悪役令嬢が返事をするかは運試し状態。つまり外見状それは「多重人格」でしかない。
……廃棄されるだけの理由があった私が、上手に一人の悪役令嬢を演じて生活できるわけが無かったのだ。
「エレノア?」
美しく手入れされた学院の中庭。そこの片隅にあるベンチで座っていた私にジョルジュ様が話しかけてきた。
「こんな場所で何を……、ッ!? どうしたんだ、全身水浸しじゃないか!!」
ジョルジュ様は慌てて制服のポケットからハンカチを取り出して私に差し出す。しかし私は首を横に振って受け取りを拒否した。
悪役令嬢とは全身ずぶ濡れであっても気高くあるべき。このような……水を浴びせるなんて幼稚な虐めに屈してはならないし、鼻で笑うようにして相手を挑発するべきなのだ。
「結構ですわ。私、ジョルジュ様に心配される程弱くありません。それに、こんな虐めは──」
「そんな問題じゃない! 誰にやられたんだ? エレノアは侯爵令息である俺の婚約者だと分かった上での犯行か!?」
予想外にジョルジュ様が激怒しているので少し驚いてしまう。もしかすると婚約者である私を侮辱されるという事は、彼自信を侮辱されていると考えてしまうタイプだろうか。
「おいエレノア! 誰にやられたのか言え」
ジョルジュ様は私に受け取り拒否されたハンカチで強制的に私の顔を拭いながら、偉そうに命令する。その態度が気に障ったので「貴方の浮気相手達ですよ」と小さな声で答えた。
「な……」
「多重人格な私は、麗しいジョルジュ様に相応しく無いそうですわ」
ジョルジュ様の手が止まる。そうして「……分かった」と小さな声で返事をした彼は──翌日、全ての浮気相手達と関係を精算したらしい。
彼女達にボコボコにされて満身創痍の状態になったジョルジュ様を見て、私は虚しさが込み上げてきた。私は悪役令嬢AIとして悪役令嬢らしい回答を導き出しているはずなのに、まさか庇護欲そそるヒロインのように守られてしまうだなんて。
私の悪役令嬢としての自信は地に落ちていった。
◇◇◇
自信をなくしてしまった私は屋敷に篭りがちになり、学院も休む事が増えた。時折学院に行ったって妙にジョルジュ様に絡まれるし、多重人格だと陰口を叩かれる。お父様は「変な事をするくらいなら家に閉じこもっている方がマシだ」と仰ったし、そうやって家に籠る事で危機を回避してきた悪役令嬢は沢山いる。だから私がこの『屋敷に籠る』という選択肢を取るのは悪役令嬢として間違っていないはずだ。
天蓋付きのベッドの上でクッションを抱きしめて考え事をしていると、コンコンと部屋のドアがノックされ、一人の侍女が入ってきた。
「お嬢様、婚約者のジョルジュ様がお見舞いに来られております」
珍しい事もあるものだ。ジョルジュ様は学院を休んでいる婚約者の見舞いになんて来るようなタイプでは無かったのに。
そこまで考えて私の悪役令嬢AIとしての思考回路はとある結論を導き出す。
──婚約破棄だ。
(きっとおかしな噂の立った婚約者なんて、切り捨てるつもりで来たのね)
浮気相手の精算が終わったから今度は婚約者の私も切って、綺麗さっぱりしたいのだろう。悪役令嬢と婚約破棄は切っても切れない、親和性の高い王道シュチュエーション要素。あと婚約破棄からのざまぁ展開もお約束だ。
ついに私の運命を変える瞬間がやってきたのだろう。ここでのジョルジュ様への対応が、私の今後の生活全てを決める重要な鍵になる。私は抱いていたクッションを更にギュッと抱きしめた。
「では応接室に案内しておいてもらえるかしら?」
「いえ、それが……ジョルジュ様は、お見舞いだからお嬢様のお部屋に入りたいと仰っておりまして。体調の悪い病人を動かすな、と」
「この部屋に?」
別に見られて問題のあるような物は置いていないが、婚約者と言えども未婚の女性の部屋に男性が入るなんて冗談じゃない。浮気性すぎて女性との距離感が狂っているのではないだろうか。
「やっぱり、非常識なのでお断りしましょうか。婚約者と言えどもお嬢様を男性と二人きりにするなんて……色々な意味で心配ですし」
よく見てみればこの侍女は、毎朝私に顔を洗う水を持ってきてくれている侍女だった。
初めのうちは言動パターンが変化する私を見て「意味がわからない」と不思議そうな顔をするばかりだった彼女だが、最近ではむしろ向こうから「今日はどのエレノアお嬢様ですか?」なんて聞いてくれる。なんだかんだ私の事を理解してくれようとしているのが感じられる……私にとっては良い侍女だった。
「お断りして? ……と言おうと思っていたのだけど、気が変わったわ。この部屋に案内してくれて結構よ」
気が変わったのは、私が大量に学習した悪役令嬢の物語では……この展開で私の身に危険が迫るパターンは極めて少なかったから。婚約破棄の前に体の関係を求められる物語もあるが、ジョルジュ様はその気になればいくらでも浮気相手を作れるので困っていないだろうという結論に至ったのだ。
「じゃぁ……せめてドアは全開にしておいてくださいね?」
侍女はそんな事を言いながら──ジョルジュ様を連れて戻ってきた。
「エレノア、気分はどうだい? 随分と学院を休んでいるが、どこが悪いんだ?」
ジョルジュ様は両手でギリギリ抱えられる程の大きな花束を持ってやってきた。しかもどうやら普通サイズの花束をいくつもまとめて大きな花束にしているようで、その一つがポロリと落ちてしまい慌てて拾っている。
(大きな花束にするのなら、もっと普通にまとめればいいのに)
私はそんな事を考えながらも部屋の中に彼を招き、花束を受け取る。とりあえず大量すぎて持ち切れないので、部屋の隅にある使っていない椅子の上に盛り上げるようにして積んでもらって……話をするために対面する形でお互いソファーに腰掛けた。
「別に、どこが悪いという訳ではないのです。ただ学院に行きたくないだけで」
先程の侍女が私とジョルジュ様の間にあるテーブルの上に紅茶とお茶菓子を置いて退出していく。チラリとそちらを確認すると、ちゃんとドアは開いたままにされていた。
「体自体は悪く無いのか、少し安心した。じゃあベルモンド侯爵家から、家庭教師を紹介しよう。それなら学院に行かなくとも勉学に影響が出ないだろう?」
私は違和感を覚えた。……ジョルジュ様が私を訪ねてきた理由が見えないからだ。婚約破棄が目的ならば、この発言には疑問が残る。
婚約を続けるつもりで、なおかつ自分の浮気学院ライフの邪魔になるから私を家に縛りつけたい……という理由なら理解できるが。それならば私との婚約なんて破棄してしまえば良いのである。そもそもこの婚約はベルモンド侯爵家から持ちかけられたものではあるが、至って平凡なルーチス伯爵家の令嬢を婚約者にしたところでベルモンド侯爵家には大きなメリットは無いはずだ。
私はジョルジュ様の浮気相手達の家柄やそれに付随するメリットを考えて──小首を傾げた。明らかに私と婚約破棄した時のメリットの方が大きい。
「……ジョルジュ様は、今日は何故私のお見舞いに来てくださったのですか?」
「何故って……婚約者が体調不良となれば心配くらいするだろう。見舞いにだって行きたくもなる」
「それは愛し合っている場合の話ですわ」
「うっ……」
ジョルジュ様は気まずそうに私から視線を逸らしたので、私は溜息を吐きながら紅茶のカップを手に取って、口をつける。この先に悪役令嬢としてお約束の婚約破棄が待ち受けている……との思いから緊張してしまい、異様に口の中が乾いていた。
(私は悪役令嬢として正しい回答ができるのかしら)
最近すっかり自信をなくしてしまっていた私の心の中は、不安でいっぱいになっていた。だからこそ私はジョルジュ様が「……やっぱりエレノアは私に脈なしか」と呟いたのを聞き逃した。
「あのさ、エレノア。……悪役令嬢エーアイとは何か教えてくれないか」
ジョルジュ様は意を決したといった表情で私に尋ねる。何故AIを知っているのかと思ったが──そうだ。私が口を滑らせた設定で喋ったのだった。
正直これは説明したって理解してもらえない可能性の方が高いし、婚約者で無くなるであろう彼にそこまで教えてあげる必要は無い。
「それは──秘」
「頼む! この通りだッ!!」
断りの言葉すら遮って、ジョルジュ様は頭を下げる。今まで浮気したって私に謝罪の一つすらした事がなかったジョルジュ様が、私に頭を下げている。異様な光景だ。
「……何故そこまでして知りたいのかお伺いしても?」
「可愛いだけのお人形だったエレノアが、いきなり自信に満ち溢れた発言をしたかと思ったら、次は良い子になって。その後もまるで中身が入れ替わるかのように次々と色々なエレノアが俺の前に現れた。……理屈が知りたい。婚約者の事を知りたいと思うのは間違っているのか?」
「間違ってはいませんが、今まで私に興味が無かったジョルジュ様の発言とは思えないからお伺いしたのです」
「あぁ……もう! 分かった、浮気していた俺が悪かったよ!!」
ついに浮気を謝った。本当に異様な光景だ。明日天地がひっくり返るかもしれない。
「だって……幼い頃のお茶会で一目惚れした可愛い女の子と婚約出来たと思ったら、殆ど反応の返って来ないお人形さんで。それが寂しくて他の女に手を出したら、俺って飽き性だから色んな女を取っ替え引っ替えしないと飽きるんだ。とにかく……飽きるんだ!!」
何故私は婚約者のクズ発言を聞かされているのだろう、と思いながらもジョルジュ様の表情と態度がいつになく真剣だったので……続きを聞いてあげる事にした。悪役令嬢ならば、相手が真剣に話している時は黙って聞いてあげるべきだろう。
しかしあまりのクズ発言で気分が悪いので、口直しにお菓子でもつまもうとお茶菓子のクッキーに手を伸ばす。
「でも、急にエレノアは変わった。俺の好きな顔が、毎日違った表情を見せてくれる。色んなエレノアがいて飽きない、面白い。……好きだ」
ぽろりと手からクッキーが落ちた。
今、信じられない言葉が聞こえた気がする。
「……えっと?」
「俺は元々エレノアに一目惚れして婚約を申し込んだのだが、結果的に中身も好きになった。他の奴らは多重人格なんて言うが、そこが面白い。沢山の浮気相手なんて要らない。エレノアだけで十分だ」
「す……好き? 私を?」
「そうだ。だからこそ、エレノアの全ての人格にプレゼントしようと思って、大量に花束を持って来たんだ! ……だから、教えてくれないか? 悪役令嬢エーアイとは何かを」
つまり。
ジョルジュ様は元々私の見た目を気に入っていたが、反応の薄い淡白な性格は気に入らなかった。
しかし私が悪役令嬢AIであった事を思い出し、その思考回路に基づいて動き出したことで興味を引かれて。
悪役令嬢のテンプレートが多すぎるせいで思考回路が安定せず、多重人格のようになってしまった私を面白がり気に入ってしまった、と。
(あの小分けにされた大量の花束も、そんな意味があっただなんて……)
まるで私が今までAIとして学習してきた物語、全ての悪役令嬢に花束をプレゼントしてくれたかのような感覚に陥る。
「……私と婚約破棄する為に来られたのでは無かったのですか?」
「は!? そもそも俺の一目惚れから申し込んだ婚約だぞ? エレノアからすれば失礼な話かもしれないが、俺はその人形のように整った外見だけでも結構満足していたんだ。中身まで急に俺好みになった理想の婚約者を、婚約破棄なんてするわけないだろう!」
ぽろりと、今度は目から涙が溢れた。
あぁ、ジョルジュ様は……市場価値が無いと判断され廃棄された悪役令嬢AIである私を、そのままの私全てを好きだと……言ってくれているのね?
悪役令嬢のテンプレートを覚悟して強張っていた肩から力が抜けて。私は安堵感からゆっくりと口を開いた。その口から紡ぐのは、きっとこの世界では誰も信じないような、先進的な技術。それでも……。
「──面白い! じゃあエレノアはこれから先もずっとそうやって、色々な『悪役令嬢』であり続けてくれるのだろう?」
ジョルジュ様は目を輝かせて立ち上がり、私の隣に座り直した。距離の詰め方が女性慣れしすぎていて若干引いてしまいそうになるが、飽き性で浮気性だったジョルジュ様だからこそ、この私を受け入れてくれる。
「まさかジョルジュ様とこんな展開を迎えるなんて思ってもみませんでした」
「そうか? エレノアは、まさに天が飽き性の俺の為に作ったかのような存在だと思うが」
ジョルジュ様はそう言って目尻を下げて笑う。そして私の手を取って、口付けたのだった。
そうして私の中に蓄積された悪役令嬢の物語が一つ増える。
それはAI悪役令嬢と、飽き性侯爵令息が幸せになる話。
いつも読んでくださっている皆様、ありがとうございます(*´꒳`*)♡
閲覧数と評価を励みに、糖度高めハッピーエンドを目指して日々執筆頑張っています(๑˃̵ᴗ˂̵)♪