馬車の旅
(やっぱり、いくらなんでもこの馬車は酷いと思うわ)
商人の移動など平民の利用を想定した馬車の乗り心地は最悪のようで、ガタガタと大きな音を鳴らして進む。道が悪い上に無骨な木のベンチに薄い布が敷かれただけの座席に座るディアーヌの小さな身体は、時折跳ねている。もうかれこれ一週間以上馬車での移動の日々を送っており、座り心地の悪い馬車の窓から雪景色を眺めながら少女はため息をついた。
(ランバート公爵は口止め料込みで、御者に十分なお金を握らせていたから、この節制の旅は自分の懐に少しでも多くの温もりを残したい御者の計画でしょうね)
(子どもを追い落としても利を得ようとすることに貴族も平民も差はないのね。物語で読んだような人々が手を取り合って生きる世界が、所詮お話の世界だということがよく分かるわ)
言いたいことはわかるけど、全く子どもらしくない言葉だと思う。
あれから私は念話の練習を重ねたことで、考えを全てディアーヌに垂れ流すことは無くなった。会話する際、側から見るとディアーヌが独り言を言い続けているような様子になってしまうため、馬車での移動中にパイプを通して言葉を送るイメージを教えたところ、彼女はあっさりと習得した。すごい。
この馬車での長距離移動はとてもじゃないが良い旅とは言えなかったが、わたし達は話したいことや、やりたいことが、山ほどあった為、退屈はしていなかった。
(そろそろ魔力量の訓練に戻ろうか?)
(そうね)
ディアーヌは想像していた以上に優秀だった。素気ないことでよく冷たい印象を持たれる彼女は、実際にはとても素直な性格のため、スポンジのように教えたことを吸収した。元々彼女が持つ資質が優れているのは勿論のこと、その資質におごらず努力を怠らない。
わたしはぐんぐん伸びるディアーヌの魔力量を感じながら、この子の運命が変わっていくことを確信した。
あの日、わたしの話を聞いて、突然叫び半狂乱となったディアーヌは、気が触れた貴族令嬢を見事に演じ、父親であるランバート公爵に自分がどのような精神状態かを訴えた。公爵は面倒そうな視線をディアーヌに向け、帝都から離れた領内僻地での療養を言い渡した。
実父の命により、ほとんど厄介払いのような形で公爵邸を出る事となったにも関わらず、古い馬車に乗るディアーヌの表情はすっきりと晴れやかに見える。
(継母と双子が反対だったのは意外だったね)
(そうかしら。彼女たちにとってわたしは良いサンドバッグだったもの。お父様よりもよほど寂しがってくれているかもしれないわね)
真剣な表情で魔力コントロールをしながらディアーヌは言う。継母と双子、とくに妹のサンドラはディアーヌが屋敷を出る当日まで「お姉様のお世話はわたしがするわ!」とかなんとかいって反対していた。貴族院に入学してから突然ディアーヌを都合良く使うようになったとは思えないし、何かディアーヌにやらせようと企んでいたことでもあったのかな。入学までのことは詳しい描写がないからなぁ。どうせ碌なことじゃないんだろうけど。
わたしはディアーヌから放出される魔力を雪玉にぽんぽんと変えながら馬車の外に飛ばし、ぼんやりと考える。腹立たしいので御者にぶつけてやりたいところだが、万が一事故にでも繋がっては大変なのでぐっとこらえる。
ちなみにわたしの魔法の調子も上々で、まるで初級魔物の技程度だった氷魔法は、精巧な氷像を作ることが出来るほど繊細に扱うことが出来るようになった。ちなみに氷の柱を尖らせて飛ばしたりも出来るので、まあまあ殺傷力は高いと思う。
そんなわけでのびのび魔力を伸ばし、魔法の練習ができる馬車の旅は公爵邸で過ごす毎日より、ディアーヌにとっても、わたしにとっても、精神的に過ごし良い日々だった。
(ヴァイクス男爵が話のわかる方だと良いのだけれど)
(元々は辺境伯がよく使っていた傭兵団の団長で、すこし前に叙爵したって話だけど、帝都では全く話題になってなかったからなぁ。どんな人なのかさっぱりだよ)
(武勲を立てて爵位を得たということね)
(そうそう。あのあたりは隣国との小競り合いが続いてる上に魔物も多いから、守りを強固にするためにも傭兵たちに定住して欲しかったみたい)
その経緯からまだ他貴族との繋がりが薄く、話が漏れにくいだろうと辺境伯の紹介でディアーヌの療養先は決定した。公爵家長女の気が触れてしまったとあれば外聞が良く無いものね。
(何を考えているのか、何も考えていないのか、年若い乙女の療養先に選ぶ家ではないと思うんだけど。ほぼ最北端で寒いし)
(実際の扱いがどうであれ、これでもわたしは正真正銘の公爵家の人間だもの。あの家より酷い扱いを受ける可能性は低いでしょう)
そんな話をしていたら、キューッと馬車の車輪が音を立てて車体が減速した。
「こちらで間違いないでしょうか?」
馬車の外から御者の張り上げるような声が聞こえたので窓から外を見ると、公爵邸と比べるとこじんまりとした石造りの屋敷が見えた。
(さあ、行きましょうか)
(今日こそ広いベッドで眠れるといいね)
馬車の扉が開かれ、わたし達は原作とは違う一歩を踏み出した。