ご主人様のこと
さて、これからどうしようかな。
部屋には少女と小鳥の姿のわたし。少女は窓辺にある椅子に座り本を読んでいる。広い部屋には必要最低限の家具しか無く、静まり返った部屋はがらんと寂しい雰囲気だ。
私を召喚した彼女の名前はディアーヌ・フォン・ランバート。冬のランバート家の長女であり年齢は10歳。
たしか、簡単なプロローグのあと貴族院に入学する場面から本編が始まったんだよね。主人公とディアーヌは同い年で、貴族院入学が15歳だから……うん、まだ時間はあるね。
彼女は悪役令嬢といっても一章で断罪されるちょい役だ。
つまり、何もしなければこのまま貴族院に入学してすぐの5年後には、彼女は表舞台から姿を消すのだ。
この物語は平民として暮らす主人公マリーがフラゴナール公爵と対面する描写からはじまる。
彼女の母はフラゴナール公爵家で働くメイドだった。
公爵とメイドは深く愛し合っていたが、身分の差を乗り越える事が出来ず泣く泣く離別する。
2人が別々の道を歩むことを決めたその時、彼女のお腹には新しい命が宿っていた。
フラゴナール公爵の政略結婚の噂をきいた彼女は、ひっそりと娘を産み育てた。決して裕福では無かったが、その暮らしは平穏で穏やかなものだった。
しかし、穏やかな日常は長くは続かず、彼女が14歳の時母が流行り病で亡くなってしまう。
「――君さえ良ければ公爵家へ共に帰らないか?」
彼女の母は天に召される数日前、一通の手紙をしたためていた。あなたの娘が居ますと。
マリーは公爵の手を取りマリアナ・オブ・フラゴナールとしての人生を歩み始める――
マリーって基本的に人に恵まれているから捻くれてなくて、真っ直ぐ育っているんだよね。
お母さんのこととか、婚外子なこととか、それなりに辛い境遇ではあるんだけど、愛される力のある子というか…まぁ主人公だもんね。
そんなマリーと同じ歳の、ちょい役悪役令嬢である私のご主人様は、公爵令嬢として育てられてはいるが、なかなか10歳にして既にハードな人生を送っている。
彼女の母はランバート家の傍系貴族の出であり、魔力と血筋を繋ぐことを目的とした政略結婚だった。
母は長男クロードと長女ディアーヌを出産したが、産後の肥立ちが悪く間もなく帰らぬ人となった。
当主であるランバート公爵はクロードとディアーヌの母が亡き後すぐに愛人を正妻とした。
再婚後直ぐに後妻メラニーは男女の双子を出産。正式に公爵家の子供とするため出産前の結婚を急いだのだろう。
そうしてランバート公爵家の子供は4人となった。
ランバート家当主は完全なる実力主義者であり、当主としては優秀だが、父親としては未熟な人間だった。
たまに補佐官に様子を確認する程度、子供たちのことは後継者を決める時に見極めれば良いと思っていた。
兄クロードには剣の才能があり魔力量も同世代の子供と比べて頭ひとつ抜き出ていた。幼い頃から頭角をあらわしていた彼は、彼の母が亡くなり、後妻が双子を産んだ後も傍系一族からの指示が厚く、自分の居場所を自分で作ることが出来る人間だった。
一方でディアーヌは美しく聡明な子供であるにもかかわらず、大人しく目立たないよう息を殺して生活していた。
いつも部屋の目立たないところで本を読み幼い頃から言葉が少なく何かを要求することも殆どなかった。
それもそうだ、優秀な兄と比べられ後妻と異母兄妹に嫌がらせをされ抑圧されて育ったのだから。
容姿を褒められることが多くなると専属の侍女は外された。
真面目に取り組む彼女を双子より熱心に教えた家庭教師はクビになった。
気がつくと、彼女はいつも1人だった。
クロードがもう少し、ほんの少しでもディアーヌに目を向けていたら…。そんな考えがふと頭に浮かんだが、それは彼に求めすぎか、と思いなおす。
彼もまた若干5歳にして最愛の母を失ったのだ。
実力主義の公爵家で子供ながらに身を立てて生きるのはさぞ大変なことだっただろう。
クロードが貴族院に入学するまでは、いつかは兄が優しく微笑みかけてくれるのでは、たまに一緒にお茶をするような関係になれるのではとディアーヌは僅かに希望を抱いていたようだが、一言の挨拶もなく貴族院の寮へと向かう兄の背中を窓から見つめた時、そんな小さな願いすらも、心の奥底にしまいこんでしまったようだ。
ちょい役のディアーヌについて原作ではここまで言及されていない。
何故ここまで彼女について詳しいかというと、彼女に召喚されたことにより少しずつ彼女の記憶や思いがわたしに共鳴しているから。
無口なディアーヌ、何も考えていないわけでも辛くないわけでもなかったんだよね。
ポツンと薄暗い部屋で本を読む彼女の小さな後ろ姿を眺めながら思いを馳せる。
その時、彼女の部屋のドアがバンッと開いた。
「お姉様!使い魔の契約してきたんでしょう。わたしたちにも見せてください!」
ドアの向こうにはディアーヌとあまり歳の変わらない見た目の金髪の少年少女。
彼女が早々にこの物語から退場する原因となる2人がそこに立っていた。