一人の物語
涼しい風は葉を揺らす。風は木々を揺らし、森が鳴いているようだ。
真夏の暑い日差しを木々たちは遮り、道に木陰を作る。遠くで、蝉の声が聞こえてくる。ガラッと窓を開けると、密かにゆっくりと白いカーテンが揺れた。
窓辺の机には、夏の日差しが入り込み、柔らかな風で揺れるカーテンが時折、透明な影を作る。その机に置かれた、まだ何も書かれていない原稿用紙。散らばった、参考資料と称した本と、一本の万年筆。
外を眺めたまま、止まった手。自分の体重を背もたれに移動させ、座っている椅子をゆらゆらしてみる。真っ青な空に、真っ白な入道雲。夏だなと思わせるこの風景を見るのは今日で10回以上続いている。何にも進まない、マス目の書かれた紙を眺めるより、ゆっくりでも進む雲を眺めている方がいいんじゃないのか、そんな気すらしてしまう。ただ、何の意味もなく、歩いて数歩の本棚から一冊本を取り出した。手にはずしっと重みのある長編が描かれた小説。きっとこれはこんな話だったかと思い出しながら、そっと棚に戻す。
また、何にも始まらない日常が始まる。木々の揺れる音の後に、大きく揺れたカーテン。白いカーテンは私の頬をそっと撫でた。
「さあ、今日も1日が始まる。」
何もない、でもそこに確かにある日常が私を待っている。
机の上の本のページがパラパラと捲られていくのをみて、そっと思った。