男爵令嬢の末路は、
☆月◯日
今日、ついに王家からの使者が来た。
「マリーゴールド・タゲテス男爵令嬢。王太子を惑わし、国王の定めた婚約を妨げた罪として、貴族としての身分を剥奪の上、王都を追放し、身柄を修道院に送るものとする」
使者は私にそう告げると、冷たい瞳でこう続けた。
「喜ぶがいい。本来ならば国外追放か処刑となってもおかしくないものを、この程度の処分で許してやろうと言うのだ。寛大な処分に感謝し、王家のため神に祈りを捧げるように」
使者の言葉通り、せめて命があるだけでも……なんて、思う訳はない。
王太子を惑わした罪?
惑わすも何も、しつこく口説いてきたのは第一王子であるシブレ殿下のほうだ。
立場的に無下には出来ず、適当にあしらっていたのだが、あちこちの令嬢やら夫人やらに手を出していると噂になるような男に、恋愛感情など抱くわけもない。
だから、それでかえってシブレ殿下が熱を上げた事も、暴走して婚約破棄を宣言した事も、私にとっては完全に想定外の事だった。
まして、よりによって公衆の面前で婚約破棄を宣言するなどと、どうすれば予想できたというのか。
そもそも、国王が定めた婚約を破棄するという事は、国内の政情にも大きく影響する。
それを勝手に撤回するだなんて事は、常識的に考えれば有り得ない事なのだ。
今更私が心配する事ではないかもしれないが、王太子がそんな事も理解していないなんて、この国は大丈夫なのだろうか?
***
☆月◇日
「マリーゴールドさん。色々ありましたけれど、わたくしは貴女の更生と幸せを願っておりますわ」
先触れもなく、突然屋敷にやってきたカルミア・ラムキル公爵令嬢は、涙ながらに私にそう言った。……ハンカチと一緒に握りしめている目薬が丸見えだったけど。
というか……いかにも寛大な雰囲気出してるけど、がっつり私のこと虐めてたよね?
まあ、百歩譲って嫌味を言った事とか、根も葉もない噂を流した事はいい。
でも、階段で足をかけてきた事とか、招待してきたお茶会で紅茶にヤバイ薬入れてきた事とか、集団で罵詈雑言を浴びせながら扇子でビンタしたのは、流石にやり過ぎだと思う。
そもそも、婚約破棄事件では冤罪みたいな雰囲気になってたけど、けして無実ではない。むしろ、実際にやっていた内容よりもマイルドになっていたくらいだ。
だが、そんな私の思いとは裏腹に、男爵である父は「なんと寛大な」「流石に未来の国母様は器が違う」とカルミア様を褒めそやし、抗議しようとする私の頭を押さえつけていた。
***
◎月◯日
今回の婚約破棄の騒動は、王家とラムキル公爵家の共謀であり、男爵である父も了承済みだったと見て間違いない。
シブレ殿下の無能ぶりと女癖の悪さは、社交界では周知の事実だった。当然、国王陛下がそれを知らなかったはずはない。
しかし、王家の公式発表では『優秀な王太子だったが、身分違いの恋によって国王の定めた婚約者を蔑ろにし、国内に混乱を齎したために廃嫡とした』という事になっている。
カルミア様の悋気も有名で、彼女からの嫌がらせに遭ったのは私だけではない。
それでも同級生達はカルミア様を清廉潔白な人間だと証言し、証拠として保管していたボロボロの教科書や制服は、いつのまにか新品にすり替えられていた。
あまりにも、手回しが良すぎる。
つまり、王家とラムキル公爵家では、予めこうした騒動が起きる事を見越していたのだろう。そして、問題ばかり起こすシブレ殿下に見切りをつける事にしたのだ。
シブレ殿下の暴走も折り込み済みだったのであれば、国外には情報を漏らさず、迅速に国内に緘口令を敷く事が出来たのにも納得がいく。
だが、流石にシブレ殿下の醜聞が全て知られてしまっては具合が悪い。そこで、私を悪役に仕立てる事にしたのだ。
私の母は、男爵の元愛人だ。
先妻であった男爵夫人の死後、母ともども男爵家に引き取られたものの、父が私を政略の駒としか見ていない事は明白だった。懐柔するのは、さぞ容易かった事だろう。
……なんて、今更こんな事に気づいたところで、どうにもならないけれど。
***
◉月△日
「皆さん、今日も神に祈りを捧げましょう」
王都を追放された私が送られたのは、どうしようもない不良令嬢達が送られる事で有名なトゥーレ修道院だった。
トゥーレは、魔獣が跋扈する最前線の町である。
にも関わらず、王国軍に所属する正規の衛兵や騎士を街中で見かける事はほとんど無い。おそらく、傭兵でも雇っているのだろう。
修道院であるからには、ここで負傷者の手当てに当たるのだろうが、今は魔獣の侵攻が落ち着いているのか、院内に修道女以外の気配はなかった。
だが、安心する事は出来ない。
これまで、トゥーレ修道院に入れられて王都に戻ってきた貴族令嬢はいないのだから。
きっとこれから、私は長生き出来ないだろう。
魔獣に喰い殺されるかもしれないし、気の荒い傭兵に手篭めにされるかもしれない。
もしかしたら、王家やラムキル公爵家、場合によっては実家であるタゲテス男爵家の手の者に暗殺される可能性だって、否定は出来ないのだ。
震えながら祈る私の耳に、修道院長の静かな声が響く。
「……では、祈りはここまで」
修道院長が、すっと背筋を伸ばして立ち上がる。
そのまま、祭壇の十字架に触れ……いや、なんか握り締めているような……?
不可解な行動を訝しんだ次の瞬間……私は、信じられないものを見た。
修道院長が握り締めた十字架を勢い良く引き抜き、そこから一振りの剣が現れたのである。
「皆さん。今日も、神に感謝を込めて、悪の尖兵たる魔獣を根絶やしにするべく邁進いたしましょう」
にっこりと笑みを浮かべて告げた修道院長の目は、聖母というよりも猛禽類を思わせた。
***
⌘月◉日
修道院に送られて、一ヶ月が経過した。
目の前にあるのは、コップになみなみと注がれたプロテイン。
そして、皿にこれでもかと載せられた茹でササミと温野菜である。
まるでストイックな訓練兵のような食事に、私は何度目かも分からない溜め息をつく。……その時だった。
「シスター・マリーゴールド」
音も気配もなく、修道院長が背後に現れ、私の肩を叩く。
「食事中、片手でハンドグリップを握る事を忘れるなと言ったでしょう」
「も、申し訳ございません」
「規律はきちんと守りなさい。そんな事では、一人前の修道女にはなれませんよ」
聞き間違いだろうか……?
修道女という言葉に、変なルビが振られている気がする。
そんな私の疑問などお構いなしに、ゴトリ、と修道院長がテーブルに何かを置いた。見れば、私が手にしている物とよく似たハンドグリップである。
「お気をつけなさい。また鍛錬を怠るような事があれば、貴女のハンドグリップは七十キロに変更しますからね」
にっこりと、それこそ聖母のように穏やかな笑みで、修道院長は告げた。
な、七十キロ、だと……?
私は、仮にも元貴族令嬢である。
フォークより重い物など持った事がない、なんて言う気はないが、それでも一般的な女性よりも非力だ。
私は、修道院長が渡してきたハンドグリップをチラリと見る。
よく見れば、二十キロのハンドグリップでは女性のデザインだったパッケージには、雄々しいゴリラが描かれていた。
***
●月〓日
修道院に送られて、三ヶ月が経過した。
ここでは、祈りの時間より、武器の手入れや、戦闘訓練の時間の方が長い。
また、ロザリオや聖典を忘れてもさして注意はされないが、トレーニング器具を携帯していなかった場合は、罰としてトレーニングを五倍の量に増やされる。
戦闘訓練では、急所の狙い方やカウンターの繰り出し方、相手の油断を誘うフェイントのかけ方といった、実践的な技を叩き込まれた。今更だが、修道女が目潰しの訓練なんてしていいのだろうか。
食事は基本的に高タンパク低脂肪なメニューで、一日三回の食事には、何故か必ずプロテインが添えられている。
これでは、修道院というよりも軍の養成所だ。
思い切って、修道院長にそう言うと
「祈ったら魔獣が逃げてくれるのですか?」
と真顔で返されたので、黙って自主トレーニングに励む事にした。
***
◆月◇日
今朝起きたら、無意識にベッドの中でハンドグリップを握りしめていた。着実に、この修道院に染まっている事を実感する。
最近はプロテインを飲まないと落ち着かないし、ササミと鶏胸肉中心の食事も、舌が慣れたのか意外に美味しいと感じ始めている。
野外演習では、本気で修道院長が殺しに来るので、連携を取るうちに他の修道女とも打ち解け、親友と呼べる存在が何人も出来た。
……もしかしたら、ここの暮らしも、そんなに悪いものではないかもしれない。
***
○月□日
修道院に送られて、一年が経過した。
ようやく魔獣を一人で狩れるようになり、一人前の修道女と認められる日も近い。
はじめは二十キロのハンドグリップにも悲鳴を上げていたが、今は五十キロのハンドグリップを片手間に握れるまでになっている。
プロテインを溶かしながらハンドグリップを握っていると、食堂に姦しい声が響く。
「ねえ、今日の新聞見た?」
「見た見た!ラムキル公爵家の御令嬢でしょ?」
「ティナス殿下付きの侍女を暗殺しようとしたらしいわよ。この間は屋敷のメイドを殺そうとしたって話だし……婚約破棄される日も近そうね」
「ほんと、怖いわあ」
どうやら、新入りの修道女達であるらしい。
新聞を片手に何やら噂をしているようだったが、全く危機感のないその様子に、私はハンドグリップを強く握り締め、ため息とともにプロテインを飲み干した。
まあ、新入りであれば、仕方のない事かもしれない。
私自身、数ヶ月前までは王都に帰りたいと考えた事もあった。
だが、王都に一体どれだけの価値があるのだろう。
最新のドレス?
豪華絢爛な夜会?
見目麗しい貴公子?
強者たちとの命がけの戦い、その戦いの中でしか得られない高揚感を知らないからこそ、そんなものに現を抜かしていられるのだ。
そもそも、魔獣を素手で仕留める事も出来ない軟弱な男になど、いったい何の魅力を感じろというのか。
王都でのぬるい生活など、今更戻れる訳がない。
それは、ここで長年を過ごした修道女の多くが抱く思いでもあった。
カンカンカンカン!
突如として、修道院の食堂にけたたましい半鐘の音が鳴り響く。
「魔獣襲来!総員、戦闘態勢を取りなさい!」
副修道院長の声に、私はすぐさま立ち上がった。
今日の魔獣は、私の心と筋肉を躍動させる存在だろうかと胸を高鳴らせながら。
***
★月△日
「修道院長、用意が出来ました」
「御苦労様でした、シスター・アマリリス」
新たな国王が即位し、五年が経った。
私が修道院に送られてからは六年の歳月が経ち、その間にも目まぐるしく戦況は変わって、気づけば魔獣との戦闘中に殉職した先代の跡を継ぎ、私は修道院長になっていた。
もはや、王都で私を知っていた者に再会したとしても、すぐには誰だか分からないだろう。
軟弱であった肉体は、プロテイン摂取と筋トレ、そして魔獣との実戦によって鍛え上げられ、多少の斬撃ではかすり傷一つ負う事はない。
かつては慄いていた七十キロのハンドグリップも、手に馴染んで久しくなっている。
だが、変わったのは私だけではなかった。
現国王、ティナス二世。
シブレ殿下の代わりに立太子された、かつての第二王子である。
兄とは違い、聡明で品行方正だと即位前は評判であったが、やはりシブレ殿下の弟である事に変わりはなかったらしい。先王が崩御して間もなく、馬脚を現した。
民の納めた税を湯水のように使い、不要かつ高価な調度品をいくつも買い求めたのまでは、まだいい。
国政をほったらかし、一夫一妻制であるヴィヴァーナム王国で何人もの妾を囲っているのも度し難いが、何より許せないのはくだらない遊興費のために修道院への寄付金を減らした事である。
おかげで必要物資の供給は滞り、タンパク質に飢えた修道女達の筋肉は、日に日に貧弱になっていた。
このままでは、前線は崩壊しかねない。
私達は大切な物を取り戻すべく、立ち上がる事にしたのだ。
「皆、揃っていますね」
居並ぶは、共に神に祈りを捧げ、長年研鑽を積んだ修道女達。
その手には、各々が得意とする戦斧や星球武器、棍棒などが握られている。
極限まで鍛え上げられた肉体は、修道服の上からでも僧帽筋と三角筋が確認でき、一切隙のない顔つきからしても、頼もしい事この上ない。
いずれも、魔獣と素手で渡り合えるベテランの修道女である。
「……では、行きましょうか」
彼女達ならば、鈍りきった王都の衛兵どもの首を刈る事など、造作もない。
かつて追われた王都を目指して、私は歩みを進めた。
ジャンル別ランキングで日間一位をいただきました!
感想やブックマーク、本当にありがとうございます……!
【登場人物紹介】
○マリーゴールド・タゲテス
元男爵令嬢。
王太子に勝手に一目惚れされ、言い寄られていたところ、王家と公爵家の陰謀に巻き込まれた。
本人は気づいていなかったが、戦士としての素質は一流。かつては華奢であったが、現在は腹筋が八つに割れている。
基本的に素手での戦闘を好むが、武器の扱いにも長ける万能型。
○修道院長
元傭兵。
マリーゴールドの才能を一目で見抜き、戦士としてのノウハウを叩き込む。
最期は魔獣の攻撃からマリーゴールドを庇い、彼女を戦士として覚醒させた恩人だが、本編でのバトル描写はない。愛用の武器はモーニングスター。
○アマリリス
修道院長となったマリーゴールドの側近の一人。
マリーゴールドに絶対的な忠誠を誓っている。
握力は70キロオーバーの強者で、愛用の武器は鉄槌。
○カルミア・ラムキル
公爵令嬢。
マリーゴールドを陥れた張本人。
婚約破棄の騒動後は、第二王子であるティナスと婚約していたのだが、お付きの侍女に悋気を起こして暗殺しようとし、失敗。
流石にもう庇いきれないと公爵家から放逐され、のちにトゥーレ修道院へと送り込まれる事になるのだが、それはまた別の話である。