1話 始まりの始まり
まさかこんなことになるなんて。
「フェオドーラ嬢、私と踊ってくださいますか?」
私の目の前にはこのセルディア国の王子、エル・フォクスラーク様。
彼は私の目の前で膝をついて、私の手の甲にキスをする。その初めての光景にパーティの参加者の視線は全て私たちのものだった。彼の婚約者、私の婚約者含め全ての人が私たちを注目していた。
この状況を説明するのに少しだけ頭を整理させてほしい。
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そう、今私たちがいるのは学校の大講堂。
私が通っているのは、この国唯一のリルケ魔法学園。600年の歴史を誇る学園だ。そこで、学園の一大行事でもある卒業プロムが行われている。
卒業プロムには、卒業生の7年生だけではなく、6,5年生であれば任意で参加できる。貴族の学生にとっては、学生である自分たちが主体でハメを外せる舞踏会はこの卒業プロムだけで、庶民の学生にとってはこの様な豪勢で貴族の方と対等になれる舞踏会は卒業プロムが最初で最後であった。そのため、任意であるがこのパーティには5.6.7年ほとんどの学生が参加する。
6年生である、私、フェオドーラ・リヴォフもその卒業プラムに参加していた。少しだけ私のことを話すと、侯爵家の末端でもあるリヴォフ侯爵家の一人娘である。古くからある家ではあるのだが、財力等でいえばそこらへんの伯爵家には劣る。今日も、母のおさがりの濃紺の地味なドレスを纏って舞踏会に参加している。この卒業プロムは(繰り返しになるが)一大イベントであるために一張羅のドレスを纏うことが多い。その中でも私は超地味と言えるだろう。
私はワイングラスを片手に、壁際でこの舞踏会に参加しているであろう、ある人物を探していた。
「フェオドーラ!」
突然声をかけられビックリする。声の主が自分の視界にいないからだ。
声のする方向、つまりは私の隣を向くとそこには私の探している人物がいた。
「ラヴィ、探しました。どこにいらっしゃったのですか?」
ラヴィと呼ばれるその青年は、ラヴェンティ・ローゼン。私の同い年の婚約者だ。
落ちぶれた侯爵家の私だが、最も権力のあるローゼン公爵家の嫡男と婚約している。詳しい話は聞いていないが生まれた直後に私とラヴェンティの婚約は決まっていたらしい。お父様にこの婚約のことを聞いてもはぐらかされてしまう。
私がラヴェンティを探していたのは、彼が婚約者であるからだ。社交界のマナーとして、その舞踏会の初めてのダンスはパートナーがいるものはパートナーと踊るという風習がった。始まりのダンスをパートナーと踊らないと、すぐ社交界で「破局間近」「浮気」などへんな噂が流れてしまう。それを未然に防ぐためにも私たちは初めのダンスは一緒に踊ると決めていた。
「お前を探していた。ったく、どこ居たんだよ」
「ラヴィを探して、ずっとここに居ました。星詠みで私の居場所探せばよかったのに」
「そんな便利な能力じゃねーよ。お前が地味すぎるのもいけねぇ」
「いたって普通です。まぁ、真紅の貴公子様と比べたら地味ですけど。」
その名前を言われた瞬間、ラヴェンティは顔を真っ赤にした。
「お前…どこでその名を!?」
「さっきそばに居た令嬢が話していましたわ。真紅の貴公子様」
「その名で呼ぶな!」
真紅の貴公子。というのは、ラヴェンティの通り名である。赤い髪に赤黒い瞳。サラサラの髪の毛に少し三白眼気味のキツめの瞳が織りなす佇まいは、貴公子にぴったりだ。その上、中身が乱暴な言葉遣いという粗っぽい中身のギャップで女子生徒からは憧れの的であった。
私は、ラヴェンティの正面に立ち、軽く礼をした。そして手を差し出す。
「私と踊ってくださいますか?ラヴェンティ様」
「それ普通男が誘うもんだろ」
「そうかもしれませんが、今私はあなたと踊りたいと思ったのです。それを素直に伝えちゃダメですか?」
「ったく。お前には敵わないよ」
ラヴェンティは私の手を取りダンスフロアに一緒に向かう。
曲に合わせて私たちは踊り始めた。ラヴェンティからは、バラの香りがした。彼が愛用している香水だ。
「ラヴィは昔と比べてダンスが上手になりましたね」
「ダンス好きなくせに下手くそな奴の相手をしていると自動的に上手くなった」
「おほほ、誰のことかしら」
「お前だよ!ったく、あの狸野郎に本当に似ているな」
「狸野郎ってシエル様のこと?」
「それ以外誰がいんだよ」
「シエルは狸野郎なんかじゃないわ」
「じゃぁ何だよ」
「狸の皮を被った長老ってとこかしら」
「……………確かに。あいつは狸なんて器じゃねぇな」
「でしょ?」
曲も終わり、私たちは互いに礼をした。ラヴェンティは早々に女子生徒に引っ張られてどこかに行ってしまった。
ふと視界に女子生徒の大群が見える。そこから女子生徒をかき分けてこちらに向かう人の姿が見えた。
「シエル!卒業おめでとうございます!」
女子生徒に囲まれていたのは、リヴォフ侯爵家の本筋でもあるアルムリッド公爵家の次男であり、今年学園を卒業するシエル・アルムリッドであった。三大公爵家でもあるアルムリッド公爵家の分家であったリヴォフ侯爵家は昔から付き合いがある。私とシエルは小さい頃からの付き合い、つまりは1歳年上の幼馴染で、私の兄のような存在だ。
「ドーラ。久しぶり。ありがとう、君に言われると嬉しいよ」
「おめでとうございます。シエル。相変わらずモテモテですね」
「あはは〜」
「否定はされないのですね」
シエルは、今年19歳になるのだが未だ婚約者が決まっていない。シエルはアルムリッド家の次男であり時期公爵家当主ではないのと、結婚の必要性本人も婚約する気がないのが合わさりこの歳になっても婚約者を作ろうとしない。人柄は、物腰の柔らかい優しい男性だ。その上、黒髪に漆黒の瞳は人目を引きつける容姿だ。家柄良し、人柄良し、容姿も良しの社交界で結婚したい男ナンバーワンの異名を持つシエルは、学園でもたいそうモテている。
すると会場が一瞬静まり返った。
何かと思ってシエルを見ると、視線の先にはこのセルディア国の第一王子エル・フォクスラーク様と、その御婚約者シルメリア・ルゥ公爵令嬢がいた。
ちなみに、ローゼン家を筆頭に、ローゼン、アルムリッド、ルゥ家がこの国の三大公爵家である。つまりはフォクスラーク王家に次ぐ権力者だ。
エル様は、『フォクスラークの碧』と言われる、フォクスラーク家特有の美しい青い瞳を持つ。そして、フォクスラーク家の特徴なのは瞳だけではなくそのアッシュブロンドの髪の毛だ。その美しい銀髪は見るものを魅了する。銀髪に青い瞳、それは王族の証である。
私は遠い昔出会った時、彼を見た瞬間、おとぎ話に出てくる王子様はこの様な姿なのだろうと思った。それほどに彼は美しいのだ。
シルメリア様は、長いウェーブかかったブロンドと、灰色とグリーンが混色し透けるような瞳を持っている。白い肌と合わさり、消えそうな儚い彼女の風貌は、『妖精』と社交界では言われている。
ダンスホールには、エル様とシルメリア様だけがいる。二人に合わせるように曲が鳴り響き、二人はダンスを始めた。エル様は赤いマントを翻して、シルメリア様は美しいブロンドの髪を揺らしている。何回かこの二人のダンスを見たことがあるが見るたびに釘付けになる。まるで、完成された芸術のようだ。それほど二人は美しいのだ。
この二人は婚約者かつ、恋人同士というもっぱらの噂だ。エル様は舞踏会では絶対に、シルメリア様以外とダンスをしない。エル様が誰一人としてシルメリア様以外をダンスに誘った瞬間を見たことがないのだ。学園内でも、学年一つ下のシルメリア様だが、エル様が専攻している授業にはよく顔を出して二人で仲睦まじく授業を受けている。理想の恋人として世間では言われている。
ダンスが終わると、自然と会場から大きな拍手が送られる。
「あの二人は、本当にお似合いですね」
「そうだね、僕たちみたいだね?」
「え?」
「ん?」
「シエル様、その女性が勘違いしちゃうのを控えないと将来刺されても知りませんよ?」
「ドーラに刺されるなら本望かな」
「あらあら、では10年後刺しに行きますね」
「わかった。そしたら、ドーラが捕まる前に二人で亡命しないとね」
シエルの冗談は冗談に聞こえないのが本当に厄介だ。「東の国は住みやすいらしいよ」なんてまだ冗談を続けている。昔からなのだが、シエルは本当につかみどころがない。
「シエル様の冗談は本当に心臓に悪いです」
「冗談のつもりなんて毛頭もないよ」
「あーはいはい。わかりました」
「信じてないね、本当なのに」
このまま彼と話しても拉致があかないと思って、軽く挨拶をし、その場を去ろうとしたら、誰かとぶつかりそうになる。そして、その相手に肩を掴まれた。
「すいません」
とっさに謝って、相手を見上げると其処には見たことある顔。
「ルシオ様?」
「やぁ、久しぶっす。フェオドーラ嬢。それにシエルも、卒業おめでとう」
「僕をついでのように言わないでくださいよ、先輩」
「あはは、フェオドーラ嬢に霞んで気づくのが遅れただけっスよ」
私がぶつかりそうになったのは、ルシオ・リュクスタール。リュクスタール伯爵のご子息だ。そして、シルメリア様付きの護衛でシエルの卒業後の働き先の先輩。
ルシオ様とシエルの働き先は、この国の最強武装機関、図書会直属の『司書隊』である。
『図書会』というのは、600年前この国に神の子、つまりは神子として生まれたリュシル様を祀る機関だ。リュシル様はこの小国であったセルディア国を世界一の国まで大きくした。その魔力、知識、星読みの力で。その能力は人間離れをしており、この国では神の子として崇められているのだ。
リュシル様は、膨大な魔法技術や星読みで得た予言を本に残した、その本を管理するのが『図書会』だ。彼女の知識は膨大、いやそれを超越しており数百年先でしか確立されないとされていた魔法技術を生み出した。そんな彼女の知識を記した本はとても価値あるものとされている。そして彼女のもう一つ特出していたのは星読みだ。星読みとは、一握りの魔導師にしかできない『魔法特恵』の一種だ。星と言われる運命の流れを読むことで先の未来を詠むことができるのだ。その能力は変えられる未来を示す。先しか見えないが未来を変えることができる能力と言える。しかし、彼女の星詠みはほぼ確定した未来を詠むのだ。彼女が出した予言において少し誤差はあるがほとんどその通りになっている。彼女はその予言を本に記した。そして、この国は本により魔法技術と未来予知をもって魔法国家として台頭したのだ。
そして、神子リュシルに忠誠を捧げた騎士隊を『司書隊』という。550年ほど前に、リュシル様の死後図書会が結成され、図書会の中で本を司る管理司書と、本を守る武装司書で構成される司書隊も生まれた。この500年以上の時間の中で司書隊はこの国の一番の武装機関と言えるほど大きな機関になった。4家により図書会が建てられ、それらはフォクスラーク王家とローゼン、ルゥ、アルムリッド公爵家である。フォクスラーク王家の命令により司書隊は動いているが、現在の図書会の運営はローゼン公爵家にある、それが、ローゼン家が最も権力のある公爵家として言われる所以だ。
「ルシオ様は今日もシルメリア様の護衛ですか?」
「そう。今日も頑張って仕事っす」
ルシオ様はにこやかに返事をした。ルシオ様は小さい頃からシルメリア様の護衛をしている。司書隊に入隊しても、司書隊の武装司書としてシルメリア様を護衛しているらしい。司書隊のような人材をずっと護衛兼付き人として連れて回せるのは王子の婚約者かつ、ルゥ公爵家の令嬢だからできることだ。あのローゼン家の嫡男のラヴェンティでも、護衛はローゼン家の衛兵だ。
ルシオ様が私に手を差し出す。
「フェオドーラ嬢、ダンスを一曲お願いできないスか?」
「ええ!光栄です。ルシオ様、喜んで!」
久々の舞踏会で殿方からダンスに誘われて喜んだ。ルシオ様の手を取ろうとすると、
「ルシオ!!!!」
声の方向を二人で振り向くと、シルメリア様がこちらを見ていた。
「シルメリア様」
「ルシオ、踊っている場合ではりません。仕事中です」
「…失礼しました。ただいま戻ります」
「よろしい」
シルメリア様はそれだけ言って踵を返し、歩いて行った。そしてめちゃめちゃ私を睨んでいた。
「あはは、怒られちゃいましたね。フェオドーラ嬢、シルメリア様のご無礼をお許し下さいっす」
「そんな、とんでもございません。早く戻って下さい。次の舞踏会で踊りましょう」
「マジですか?そんなこと言われちゃうの、光栄だなぁ」
少し照れたように頭をぽりぽりとルシオ様はかいた。
「もちろん、約束です」
「では、いいパーティをお過ごしくださいっす。あなたにリュシルの加護があらんことを」
シルメリア様の後をおうようにルシオ様は歩いて行った。そしたら、シエルが私の横に並んだ。
「振られたね、ドーラ」
「誤解を招く言い方はやめて下さい、シエル様」
「じゃぁ、僕と踊る?」
「じゃぁって何ですか。じゃぁって。ついでみたいに」
「ルシオに振られて寂しいでしょ?」
「結構です。シエル様と踊ろうなんて命がいくつあても足りないわ」
実際、ずっとシエルと一緒にいる私を見ているご令嬢はたくさんいる。ずっと思っていたが視線が痛いのだ。「幼馴染だが何だか知らんが、あなたには婚約者がいるだろう。その隣を渡せ」と言わんばかりの視線が刺さる。
「寂しいな。小さい頃は僕と結婚するってずっと懐いていたのに」
「昔の話です」
「そういえばずっと僕たち色んな令嬢から見られているね」
「やっと気づきましたか!?」
「気づいていたよ。でもね、この話したらドーラは気を使って僕から離れちゃうだろ?」
流石に絶句した。シエルと同じ土俵には上がれない。私はいつも彼の手元で転がされている。
「シエル様の将来のパートナーは本当に苦労すると思います」
「僕もそう思う」
「自覚されているのですね」
「うん。……そろそろドーラのためにも僕はお暇するね。楽しんで。君にリュシルの加護があらんことを」
私はシエルには敵わない。これが惚れた弱みなのか。昔、私は本気でシエルのお嫁さんになると高らかに宣言していたものだ。
ちなみに、惚れたというのは現在進行形ではない。シエルは私の初恋であって、今は家族のような、もっと違う大切な存在になっている。
では、現在お慕いしている殿方はいるのか?答えは否。私は、ラヴェンティと結婚するわけで、恋愛をしてもその殿方と結ばれる可能性はゼロに近い、恋愛は無駄だと早々に悟ってしまった。悟った私は、ローゼン家に嫁入りする身として恋愛の労力を勉学に全シフトし励んできた。そして、ど真面目ガリ勉令嬢として今まで過ごしてきた。
シエルと別れた私は、ボーイからまたワインを受け取り、あたりを見渡した。数人の男子生徒と目が合うが私をダンスに誘う気配もなく、目をそらされてしまう。あからさまに避けられている気がして少しだけ気分が沈む。
やっぱり、ダンスを誘ってくる方なんていないわよね。
恋愛に対して悟りを開いたと行ったが、少しは憧れがあって、舞踏会くらい殿方(ラヴェンティとシエル以外の)に誘われて踊りたいという願望がある。私から誘ってもいいのだが、その話をラヴェンティにしたら「ダンスなんて女から誘うもんじゃないし、俺以外を誘うとかすんなよ。赤っ恥だから」と言われてしまった。確かに、女性が婚約者以外の男性を誘うなど社交界では風評被害につながる。諦めた私は、殿方から誘われるのを待つようになったのだが誘われる機会はなかった。
手元のワインをくるくる回しながら、「もっといいドレスでも着ればよかったかな、いや、でも我が家にそんなお金は…」なんて問答していると、澄んだ聞き覚えのある声が私の動きを止めた。
「フェオドーラ嬢、私と踊ってくださいますか?」
会場が静まり変ええり、皆の動きも止まる。
そして私も動きが止まり、回していたワインだけが揺れている。
なぜなら、エル・フォクスラーク様が、私の目の前にいて、私に向かって膝をついて私を見つめているのだ。
会場の視線が集まる。ラヴェンティも、シルメリア様もこちらを見る。
さらには、私の手をとり、手の甲にキスをした。
その異様な光景に呼吸をするのも忘れそうだ。あのエル様が、婚約者以外の方をダンスにも誘ったことない方が、この私に、膝をついて手の甲にキスまでしてダンスを申しこんでいるのだ。
「………」
声を出そうともうまく声が出ない。ただ冷や汗がほほを伝う。
確かに殿方に誘われたいと思ったが、ハードルの高さが世界最高記録を更新している。無茶すぎる。落ち着け私、断ったら不敬罪打ち首、断るという選択肢はない。とりあえずワインをどうにかしないと。ワインをボーイに返そうとすると跳ねたワインの水滴がエル様の顔についた。
不敬罪、死
その二文字が頭をよぎる。
「返事はイエスということですね。」
不敵な笑みで彼は私を見つめる。もう何も言葉が出ない。何を発しっても、ただの言い訳にしかならないということを悟る。
エル様に手を引かれ、ダンスホールに向かう。そこからの記憶はあまり覚えていない。引かれるがまま、リードされるがまま、曲が流れるままにダンスをした。
「ルシオ」
「はい、シルメリア様」
「フェオドーラ・リヴォフのことを調べなさい。至急よ」
「仰せのままに」
冷たい表情で、シルメリアはエルとフェオドーラを見つめる。
「面白いことになったね、ラヴェンティ」
「面白いわけねぇよ」
にこやかにラヴェンティを見つめるシエルに、顔を歪ませるラヴェンティ。
運命は動き始めたばかり。