方針に変更はありません
「はい、できましたよ」
「ありがとう、ディアナ」
背の高い成人男性でもゆとりを持ちそうな、前世のもので言うところの自販機よりも大きそうな姿見を眺めながらくるりと一回転する。
二つに結われた少しだけ波打つ銀のような、よく見れば金のような……ゲームのテキストでは満月の光を吸い込んだ髪、などと表現されていたプラチナブロンドと、小さい顔に行儀良く並ぶ各パーツは自画自賛ながら物凄い美少女である。
スチルで成長後を知ってはいるので新鮮な驚きではないが、これが自分の顔だと思うと傷でもつけようものなら周囲が騒ぐレベルのやつではなかろうか。
特に、かつて竜と交わった証明とされる皇族の瞳は、何度見ても不可思議な輝きを放っている。
色合い自体は前世で見たバイカル湖の色合いに似ている気がする。
ただ、なによりも驚くのは瞳の中に星のような煌めきが散っていることだ。
ラメチップの入ったマニキュアみたい……と言うと安っぽくなってしまうが、イメージとしてはそれが近いのではないだろうか。
異物が入っていて視界の邪魔になるのでは、と思わなくもないが特に問題なく普通の視界だ。
そういうものだと思えば気にはならないのだが、鏡で直視すると一瞬驚いてしまうのは仕方ないだろう。
流石はツェントルム。
代々美形の家系は伊達ではない。前世とは違うのだよ、前世とは――。
(……やめよう。普通顔はわるくない)
自爆ダメージの手酷さに顔が引きつりそうなのをなんとか堪える。
やはりお手入れは専門職に任せて素人は手を出さない方がいい。
改めて納得しつつ、服装までが手間暇かけられただろう一級品であることに目眩がしそうだ。
そのうち慣れる、と何度目になるかわからない暗示を掛けつつ、ディアナに先導されるまま、衣装室からサロンのほうへと向かう。
朝食は食堂室などで食べるのが慣習のようだったが、駄々広い食卓にがらんとした雰囲気の中、お一人様で食べるのは遠慮したい。
ディアナにしどろもどろながら伝えたところ、主人の意を汲んでくれてサロンで取ることになったのだ。
がっつりとしたものではなく軽食にするにも量が足りないくらいのもので足りていたローザリンデなので、スープとパン程度で十分であるのだが。
そこにサラダなどもう一品追加するのには理由がある。
格式ばった食事をよりも簡易的なサロンで取る軽食のほうが、忙しいエルンストの時間を貰いやすいことに味をしめて、ついつい時間を延ばそうと画策しているせいだ。
少食をなんとかしようとしているローザリンデの周囲は、彼女が兄のように慕っているエルンストと共にありたいという、ささやかでいじらしい行動に微笑ましく思うのと同時に。
これ幸いとあれこれローザリンデの好みを把握しながら、手を替え品を替え、どうにか量を取らせようとしている。
ひしひしとそんな策略を感じるのだが、ごはんが美味しいに越したことはないので気がつかないふりをしていた。
「おはよう、ローザリンデ」
「おはようございます、おにいさま」
サロンには既にエルンストが来ていたようで、従者たちを横に何か討論していたようだ。
皇族が使うような食堂だと身分の関係で入れない場合があるらしく、サロンを使うようになったのはエルンストにとっても渡りに船だったようで、ローザリンデとの軽食を楽しみつつもこうした頻度は多い。
エルンストの麾下にある人たちは申し訳なさそうにするのだが、それだけエルンストへと謁見を賜る時間と身分差による不便さがあるのだから、解消できるに越したことはない。
国の大事に我侭で遠ざけるに、ローザリンデの前世が社会人であるからして聞き分けるのも難しくはないのだ。
「おはようございます、姫殿下」
「おはようございます」
完璧な仕草で臣下の礼を取るのは、エルンストの側近中の側近であるフェリクス・フォン・レーヴェライン。同じくユルゲン・ルーデンドルフ。
それぞれ趣きは異なるが、乙女ゲームの範疇とすればどちらもモブとは言い難い。
それもそのはずで。
フェリクスはゲーム内でもファンの多いサブキャラで、優しげな雰囲気に似合いのミルクティー色の髪と瞳を持つ美丈夫ながら、執事のような完璧な立ち回りとエルンストに次ぐ頭の回転を見せるインテリキャラだ。
お忍びで国内を視察していたエルンストが、ズューデンブルグ内で長く続いていた貴族たちの権力闘争に巻き込まれたレーヴェライン伯爵領に偶然立ち寄った。
その中でフェリクスが伯爵領を失わないために、古狸が多いズューデンブルグにありながらも悠然と立ち回って領土を安寧に導き、フェリクスの異母兄を無事に領主へと固めて引き継がせた手際をエルンストが手伝いがてらに間近に見、引き抜くことを決めたらしい。
三男で引き継ぐものもないフェリクスは後継者争いに発展しないように、エルンストから誘われるがままお忍びの視察に同行した果てに。
旅の行程でエルンストに心酔したフェリクスは今も、そして未来においてもエルンストを裏切ることなく右腕として活躍していたと記憶している。
そしてユルゲン――。
彼は騎士侯の爵位を持つれっきとした貴族であり、ゲームの中では『アーデルハイト』になったローザリンデの従者を務めていた男だ。
ヴェステンシュテルン地方出身であるからか、黒髪黒目で欧州系というよりアジアンな雰囲気を覚えるユルゲンは、帝都で行われた剣術大会で入賞を果たしただけでなく、魔法の腕も音に鳴らすほど。
囲い込みも兼ねての叙勲であったのだろうが、エルンストへの忠誠は高く、『アーデルハイト』に仕えていた彼はいわゆるスパイの位置にいた。
けれども『アーデルハイト』に絆され恋慕のようなものを抱くことになっても、彼はエルンストへの忠誠を曲げることなく、『アーデルハイト』をエルンストの元へと連れ戻してしまう。
だがそれで本当に『アーデルハイト』が幸せになれるのか。
その葛藤をマリーア教団に利用されてしまい、『アーデルハイト』が教団へと囚われてしまう一因になってしまうのだった。
その時の彼の心境はいかほどのものだったのか。
主君の大切なものを取り戻す機会を自ら壊した、というのは考えたくもない。
怨恨を覚えるよりも同情しかわかない。
なぜこの場に一介の騎士侯でしかない彼が同席しているのかは、ローザリンデがエルンストにしていた頼みごとの結果なのかもしれない。
そう思うと期待に少し足早になってしまう。
「ローザリンデに良い知らせだ」
姫君の尊厳を保つほどには優雅にできているのは、これまでのローザリンデが身につけていた教養に他ならない。
突然姫様業をやることになった身としては素直に重宝させて貰っている。
心なし落ち着きのないのはエルンストもわかったのだろう。
ローザリンデが席に着くと微笑ましげに言葉をくれるくらいには。
子供らしすぎる反応だったかと慌てて居住まいを正すも、給仕の準備を始めていた周囲も含めて微笑ましくされれば罰も悪くなるというものだ。
「……今までのことをすべて否定するわけではないが、ロゼがやりたいことをやって良い。お目付け役は必要だけどね」
「そのお心に感謝いたします、おにいさま」
「うん」
微笑ましげな様子からエルンストの雰囲気が一気にやわらかさを増した。
氷の美貌。
それが雪解けを迎えて春を告げるように。周囲に見せてこなかっただろう、初夏に吹く清涼なる風が通り抜けたかのよう。
どう表現すればいいのか。
取り組んできたゲームだとか、読み漁った小説の一文だとか。
そんなものが目まぐるしく浮かんでは消えて、ただひたすらにローザリンデの意識を奪うのだ。
画面の向こう側で想像していた、彼のやすらいだ顔。
それをいま、ここで見ている。
まだ二十三と、若すぎるくらい若い『お兄様』が、ローザリンデを前にしてその表情を見せてくれるだなんて。
確かに、大変な選択をしてしまったかもしれない。
けれども、『お兄様』……エルンストを幸せにできるのは、ローザリンデしかいない。
そのことを漸く認識した。できた、のだろう。
エルンストを幸せにする。
そのことが推しを見守りたいだけだと豪語していた主義主張に反するかもしれない。
けれどもそんなことよりも優先されるのは、エルンストなのだ。
彼を攻略することが自分の生存だけではなく。
彼の笑顔を守ることにも繋がるのだと、ルートをこのまま開拓する腹を括ろう。
そのためにはまず、と許可されたことに思いを馳せるのだった。