難易度に頭を抱えてもオートセーブで覆りません
やわらかな陽射しと共に、遠くで知らぬ鳥の楽しそうな鳴き声が覚醒を促す。
ぱちぱちと瞬きを重ねながら、不本意にも見慣れつつある天井を眺めてローザリンデは小さく溜め息を落とした。
――あの出来事は、夢ではなかった。
どころか、ここ数日に至って漸くここが現代日本ではなく、どこか遠い世界のものである、と認識できるようになったのだった。
とかく。
運命とでも言うべきあの出来事を乗り越えて目覚めた時は、既に『兄』の手で絢爛豪華な城へと戻された後。
半ば混乱しきっていて奇行に走らなかっただけでもましであろう。
そして幾らか周囲のひとたちから情報収集をしながら精査をかけた結果、やはり自分はあの時よくわからない理由で殺されて。
今生では前世とやらでそれまでやっていたゲームのシナリオに酷似した世界であることを思い出したのだと、認めざるを得なかったのだった。
(人間、追い詰められているときって冷静な判断できるひとのほうが少ないよね……)
取り乱しようがあまりにもあまりだったせいか、医者や宮廷魔術師、魔術師として優れているエルンストたちの結論は一致を見せ、洗脳を受けた影響で記憶が錯綜し、人格すらも抑圧されて改変されてしまったのでは、という診断が下った。
前世を思い出した結果、その分の年月を重ねた記憶を持ってしまったからありがたい話ではあるし、一部において診断は間違っていない。
騙しているような気分にならないこともないが、告げるまでもない些細なことだとローザリンデは思っている。
確定で死んでしまった過去のことはそれまでだ。建設的に今この世を謳歌すべき――なのだが。
蒼穹のラビリンス。
大体は『ぶるらび』と、ルビは振っていないが公式がそう呼ぶのでそう呼んでいるゲームを思い浮かべる。
世界は二極に分かれて戦禍の最中にあり。
世界大戦とでもいうべき争いを終息させ、陰謀劇を暴きながら恋愛要素があるロールプレイング系恋愛シミュレーションゲーム、とでもいうべきか。
そんな重っくるしい背景のゲームにぶるらびなる可愛らしい名称をつけていることに呆れもする……完全に余談なのだが。
人間と、人間の姿をした長命種たる魔性たちが織りなす架空戦記ものの面もあるためか、歴史好きにも一定の評価があるのだ。
出てくる名称のおおよそがドイツ語圏というのも厨二心を大いにくすぐるのであるが、自分が巻き込まれるのは勘弁願いたいもので……しかしながら巻き込まれてしまったのはどうにもならないのである。
そんなこんなで、ローザリンデ=アーデルハイト・フォン・ジルヴェスター・ツェントルムとかいう長ったらしい舌の噛みそうな名前を頂戴する羽目になったわけだ。
ちなみに名前がローザリンデ=アーデルハイト。
ローザリンデが皇族としての名で、アーデルハイトが日本で言うところの幼名にあたるらしい。
それもこれも、皇族でなければ名を二つも持たないからであり、ふたつあるのは呪術に分類される魔法対策なのだとか。
故に持てるのは更に限られていて大体が皇族出身、確定で持っているのは皇帝、皇妃、皇太子、皇太子妃あたり。
それより下は候補にあたる。
ローザリンデは現皇太子、皇帝代理たるエルンストの従妹であり婚約者。
この婚姻はローザリンデが生まれる前から決まっているもので、エルンストでも覆せない特級の約定なのだから驚きしかない。
フォンが貴族階級にあることを意味する。
一代限りの名誉である騎士侯にもフォンが付くが、わざわざフォンを名乗る騎士侯はいない。
皇族だけでなく、公爵などの上位にいる貴族たちにも適応されるものであるから、目をつけられないためでもあるのだろう。
ジルヴェスターは母方の姓であり、姓の後ろにくるのが称号だ。
エーデルヴァルトの首都名でもあるツェントルムが付くものは皇族と決まっているが、エルンストの場合はツェントルムを性とし、国を背負うために国名が号として最後についている。
エルンストのような性を持つものはこの国には筆頭公爵である四家が該当するようだ。
この辺りはゲーム内ではあまり出てこなかったもので、前世を思い出す前のローザリンデの記憶と照らし合わせると、東西南北に分かれてそれぞれ東の森、西の星、南の砦、北の山と言う。
公爵たちに会ったことは生まれた時を除いてまだないと言うことで少しだけほっとしている。
ノルデンベルク公とズューデンブルグ公の南北を統治する二人はシリーズ内の攻略者であるので情報はあるが、特にノルデンベルク公は油断のできない切れ者という設定だった。
できればもう少しだけ会いたくはない人物だ。
という訳で自分の名前を振り返ってみたわけだが、結論から言うとローザリンデは魔性側にとっては尊い姫君であり、エルンストへ嫁ぐことが決められた配偶者であるのだった。
改めて思い起こすとそんな役なんて務まるわけがないと、叫び出したいくらいの羞恥と責任感が襲ってくる。
そういった事情があるのに、お兄様を攻略する!、なんて勇んでいたわけだが。
恋愛など数えるまでもないほどやったことのない干物に無茶振りだ。
冷静になった今こそ言えるのだが、自分の命が掛かっていたし、今この時も気が抜けないレベルであろうことも理解している。
だからこそ対抗策を練るべきであることを、ローザリンデはこの上もなく実感しているのだった。
「姫殿下、おはようございます」
「おはようございます」
起きてから随分と考え込んでいたらしい。起きる時間になっていたらしく、呼びけられて殆ど反射で返事をしていた。
前世は社畜だからね。
仕方ないと済ませるにはノックの音も聞こえないほど熱中するのはよくない。
一度集中してしまうと何も聞こえなくなってしまうのは、良いか悪いか別としても前世からの癖だった。
治さなければならないのだろうが、うまく行く気はこれっぽっちもしていない。
意識を逸らすように部屋の中を一瞥する。
豪奢で些か装飾過多に映るが、ローザリンデはまだ十二になったばかりだ。
姫様の部屋だなと納得するような、レースを模した飾りが多いのもそのせいだろう。
個人的に見学するならありだが、総額幾らであるのかは初日で数えるのをやめた。
なお、部屋の広さにはいまだに慣れていないもよう。
前世の部屋だって奮発して1DKだったのだからお察し。
都内の賃貸は高いのです。
……そんなことを気にして生きてはいけないし、上流階級がお金を掛けるところにかけないと下には還元されないのだ。
ストラテジー要素を全力で思い出せと自分自身に発破をかけるしかない。
貴族の勤めと言えばそれまでなのだし、なるべくよく使うようにすれば良いだろう。
「本日のお召し物はどうされますか?」
「……そうですね。よくわからないので、ディアナに決めて欲しいです」
「お任せくださりありがとう存じます。それでは殿下、お着替えいたしましょう」
差し出された手入れの行き届いた指先に自分のものを重ねながら、ゆっくりとベッドから降りる。
一人で降りるには足がつかないので、こういう気遣いがとても有難い。
特に、ローザリンデの専属であり、若くも筆頭の立ち位置にいるのがディアナ・フォン・クライシュという宮廷女官だ。
烏の濡羽のような艶のあるブルネットを丁寧に後ろで纏め、琥珀のように綺麗な透き通ったアンバーの瞳が印象的なたおやかで物腰の柔らかい美女。
皇太子の婚約者ともあり、女官や侍女はたいていが出が貴族である。
ディアナもまた貴族で、婚姻前の箔付け名目で侯爵家から上がったらしい。
が、彼女には嫁ぐ気はないらしく、仕事に生きる尊敬のできるお姉さまである。
ゲームの中においても、彼女は皇籍を捨てた『アーデルハイト』に付き従い、影に日向にと力になってくれたひとである。
洗脳されてしまったローザリンデを救うべく、護れなかった責任の果てに死を賜る覚悟でお兄様へと伝令を果たしてくれたのだ。
今世でもローザリンデ――エーデルヴァルトへの忠誠はかわらないようで、城へ戻ってもいわくがついてしまったローザリンデの世話を完璧な態度で完遂してくれるのだ。
慣れの問題もあるかも知れないが、息を抜ける場を作ってくれる彼女の存在はとてもありがたい。
その他に付いてくれる女官や使用人たちもローザリンデを気遣ってくれるものの、どこか腫れ物を扱うような態度が目に余るのだ。
帰還した理由が理由であったし、邪推も含まれてはいるがエルンストの婚約者であることも遠因なのではないかと思っている。
婚約者とするにはローザリンデは幼い身だ。
覆せない決定事項ではあるものの、エルンストに見初められたいと思う女性は少なからずいるのである。
だが、そうと決めた宝物以外にあまり頓着せず、許容範囲の内であれば振るう力の大きさを理解するが故に静観しがちなのがエーデルヴァルトに君臨するツェントルムなのだが。
ツェントルムの優しさがイコール、魔性の全てを指すわけではなく、一枚岩ではないのだと改めて感じさせるのであった。
「お色はどういたしますか?」
「……水色か青色でお願いします」
「はい」
ウォークインクローゼットどころか、ルームインクローゼットとでも呼ぶべき広さを誇る衣装部屋にいき、洗顔を補助され入念にケアをしてもらう。
こういった事に詳しいディアナに任せっきりだが、その道のプロでもあるひとに任せられるなら任せてしまいたい。
面倒なことは極力しない方向にしたい干物なので、身なりに気を遣ってくれる第三者は大歓迎だ。
興味がないわけじゃない。
興味の向く先が人とは違っているだけなのだ――なんて、言い訳がましく思いながらも。
今日も完璧なお姫様へと仕立て上げられていくのをローザリンデは眺めた。