幕間:斯くて少女は羽化をする 後
エルンストの言葉に、過ったものはなんであっただろうか。
頼りのないと思われたのだろう自分に対する後悔。不甲斐なさ。
何よりも。構ってくれない、という稚気で、どうしようもない時期……今も続いているかもしれないノルデンベルクの危機に余計に振り回してしまった不手際。
何もかもが許せなかった。
頼ってくれないアウグストにも、やんわりと突き放されていた理由に気が付きもせず、嘆いてばかりで頼らせてあげられない子供であったヴィルヘルミーナ自身のことも。
たおやかであれ。穏やかにあれ。男性を立てて前には出ないよう、されども皇族たれ。
淑女教育だと、アウグストのいないところで元老院たちの限ったものたちから言われた言葉を、場違いにも鮮明に思い出す。
ずいぶんとこの言葉たちに捕らわれていた気がする。
皇族の瞳すら持たない、皇族ですらないヴィルヘルミーナへ向けるに相応しくない。それどころか不敬罪に問われても言い訳のしようもないものたちに。
(――ずいぶんと、虚仮にされていること。兄さまも、わたくしも、この国も)
魔性たちが仰ぐべき尊き存在ですら、地に落ちよと言わんばかりに。若輩とはいえ皇族の守護者でなければならない高位貴族であるヴィルヘルミーナに迫っていただろう、卑劣な悪意はここで絶たねばならない。
これより先に通すわけにはいかないのだ。そうでなければ、皇族……いずれ皇帝になるエルンストを支持するアウグストの隣に立つには足りない。
穏やかな、アウグストが作ろうとしていたヴィルヘルミーネのための箱庭の中で微睡むことは許されなくなろうとも。
(それでも。もう二度と、兄さまの手はお放ししません。どう思われようとも……!)
――光が、弾ける。
ヴィルヘルミーナの決意を歓迎するかのように。甲高い金属音をがなり立て、鎖のようなものが崩れて光のつぶてに成り空気に消えていく。
その光景とともに、いままで曇りきっていた思考が晴れ渡って行くようだ。
(ああ……。本当に、虚仮にされていたのですか)
消えていく光の残滓がなんであるのか、言われずとも理解した。
おぞましい、封印されて然るべき、ひとの人格形成すら狂わせる魔法が行使されていたのだと。
けれどもどんなに強い魔法が使われていようとも、その魔法を使わせる隙を見せたヴィルヘルミーネが悪い。
「ヴァーツェル嬢……」
「殿下、これは……」
どこか呆然としたように、それまで泰然としていたエルンストとフェリクスが、表情は違えども酷く驚いた様子でいることに瞬く。
「……おめでとう、というべきだろうか」
「……いいえ、お叱りくださいませ。臣下の身でありながら、このような為体を」
「構わぬ。強大なる呪いを打ち破ってくれたのだ。私の薔薇と同じように」
「そんな……姫殿下も……」
このような、おのれこそをねじ曲げる術式を、いまだ幼くあるあの心優しき少女に。
療養中の身の上とは聞き及んではいたが。まさか、おぞましくも穢らわしい謀が彼女の身に降りかかっていただなんて。
――過ったのは、紛れもなく怒りであった。目の前が赤く染まってしまうかのような激情が弾けた。
キン、と、先ほどとはまた違う、急激に冷え切ってしまった空気が悲鳴をあげたことを告げる。
令嬢らしからぬ感情の発露がヴィルヘルミーネの高い魔力を示すように。
お茶会の場に季節外れの六花が咲き乱れていた。
「……ヴァーツェル嬢。私は君に感謝せねばならないようだ」
「いいえ。未熟の身で申し訳ありません……御前を汚しました」
「構わないさ。……フェリクス、お茶を変えてくれ」
「承知いたしました」
ヴィルヘルミーネの魔力暴走で折角の場を台無しにしてしまった。
その失態に気がつくも遅く、慌てて魔力を制御しなおせば、台無しにされたにも関わらず機嫌の良いエルンストが戯れのように言った。
「本題に入ろう。ヴィルヘルミーネ・フォン・ヴァーツェル、暫し我が薔薇の世話を任せる」
「皇太子殿下……それは」
「あの子を思ってくれるのならば、そばにいてやってほしい」
再び、ヴィルヘルミーネの脳裏に去来し、浮かんでは消えていくものたちがあった。
相応しくない振る舞いばかりをみせてしまっていると言うのに、やはり、未来に仰いだ彼のひとは健在であるようだった。
「……承りました。非才の身ではありますが、精一杯つとめさせて頂きます」
緩く頷いたエルンストを見遣って、今後どうするかを思案する。
これ以上ない大役を仰せつかったのだ。そのままで終わって良いはずはないだろう。
せめて、どこかぎこちなくある二人の仲が安泰であれば良い。
思って、ヴィルヘルミーネは口を開く。手始めに、彼らの障害となり得るだろう自身の婚約者をどうにかしなければ進むものも進まないだろうから。
アウグストに対する意趣返しにもなる。
ひとの知らないところで婚約を破棄しようとしていたことに腹が立っていない訳がない。
いささか理不尽かもしれないが、堰き止められていた感情が戻ってきた以上、手加減する、という気は起きなかった。