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幕間:斯くて少女は羽化をする 前

「拝謁、光栄にございます、皇太子殿下」

「儀礼はよい。少し長くなるだろう、掛けるといい」


 身についたカーテシーから、促されるまま静かに身を起こす。それを完璧な仕草でエスコートするのは、現皇太子殿下であるエルンストの側近中の側近、レーヴェライン伯爵家のフェリクスであった。

 立場上はヴィルヘルミーネよりもフェリクスが上ではあるが、身分で言えば公爵家に連なるヴィルヘルミーネの方が伯爵家の出であるフェリクスよりも高い。儀礼的な意味もあるのだろうが、高位のものが率先して礼を尽くす意味合いを履き違えてはならない。

 単純な、高位貴族に生まれ育った者であれば教育されて然るべきことを、ヴィルヘルミーネは何故かここ数年忘れていた。それもたった数刻前までは、という、貴族にあるまじき失態である。

 呼び出された原因に思惑を巡らせると、秘密裏に処分されても仕方のないことをしてしまったとさえ言える。未遂にほど近く、その場で事件に巻き込まれたとは言え、本来ならば皇族に連なる者か、許可が必要な東宮へと故意に押し入ってしまったのは事実だ。

 流石にこの国の四大公爵家の一員と言えども叱責は免れない。

 そも、今まで西宮側で起こしていた騒ぎを咎められずにいたことさえも、本来ならばあってはならないはずなのだ。


「まずは……そうだな。フェリクス、お茶を」

「承知しました」

「……殿下。差し出がましくも、わたくしへの気遣いは無用にございます」


 初めに叱責が来ると思ったが、肩すかしだったらしい。てきぱきと揃えられていく茶器に慌てて声を上げれば、気にするなとばかりに手を振られてしまえば何も言えなくなってしまう。


「話を聞くだけと言うのも味気がないだろう? 暫し、私に付き合ってもらいたい」

「……拝命いたします」


 それで良いとばかりに、エルンストの空気が少しだけ柔らかくなる。

 表出すような無作法はしないが、その事に驚いてしまうのは、アウグストの傍らで拝謁していた彼の纏う空気が、恐ろしいほどに冷えていたからだ。

 何者も寄せ付けない永久凍土。竜神(かみ)の生まれ変わりと称されている通りの美貌と途方もない魔力。彼から放たれる空気は高位貴族ですら近寄り難く、年数を重ねた古参のものですら圧倒させられると言う。

 その彼が僅かにでも暖かみを帯びるのは、恐らくは彼の婚約者である、先程まで共にいた姫殿下がいるからだろう。

 金色を溶かし込んだかのようなプラチナブロンドは、光の加減で色味を変える。どこまでも白く透き通った肌は、女性たちの憧れを体現したかのよう。

 皇族であるツェントルムに連なる証の瞳は宝石ですら根をあげるほどの希少性を持ち、似ていると称されるヴィルヘルミーネのものとは比べものにならないことを改めて知った。

 市井に預けられていたからか。高貴であるのに親しみやすい雰囲気を持ち合わせた彼女は、完成された、けれども未だ幼い美貌による近寄り難さを忘れさせる。

 実際、初対面にも関わらず、強く当たったヴィルヘルミーネを慮って励まそうと言葉を重ねて頂けるとは思わなかった。

 ヴィルヘルミーネもツェントルムの血を引いていおり、何かと持て囃されてはいるのだが。本物、というものと相対してしまえば如何に虚しいことであるのか思い知らされた気分だった。

 そして目の前に座すエルンストもまた、本物の一員であり。

 かつて北の地で、その強大なる力を持って滅びの先へ向かうところだったノルデンベルクを救った。

 その理不尽なまでの強さと、誰も寄せ付けない底冷えする美貌をもって、ヴィルヘルミーネが兄とも慕うアウグストの関心と執着を呼び起こしたひとだ。

 ヴィルヘルミーネのこれまでを恐らくはアウグストがフォローしてくれていたのだろうが。エルンストの不興を買ってしまえば今度こそアウグストはヴィルヘルミーネを見ないだろう。

 出される紅茶の味もわからないような。ささくれたつヴィルヘルミーネの心に、それでもその優しい香りが滲みて言いようのない気分にさせた。


「ヴァーツェル嬢、私の青薔薇はどうだった?」


 鬱々とした気分が晴れない中で、音の消えたお茶会に楽しそうなエルンストの声音が落ちる。

 弾かれたかのように顔を上げてエルンストを見た。

 薔薇、とエルンストが称するのはいつだってかの姫君のことで。

 彼が大事にして、けれども()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()しまった――。


 脳裏を過ぎ去った、看過できない何かにヴィルヘルミーネは音にならない声を呑み込んだ。

 確かにここは皇城の一室ではあるが、流れ込んでくる記憶のような、音のような。ヴィルヘルミーネが知らぬ光景の数々が次々と押し寄せては掴めぬままに消えていく。

 嫉妬が起こした叛逆の行く末。終わりを告げる声。断罪を言祝ぐ聴衆たち。惜しんでくれるひとは()()()()()目の前の、いつかに皇帝陛下(カイザー)となるこの方だけだった。


 ――時を渡った。

 それ故の弊害であるのだろうか。


 思い至って、けれども本物だろう、とヴィルヘルミーネは結論づけた。

 いつかに起きたかもしれない、起こしていたかもしれないヴィルヘルミーネの結末は、今ならあり得ると思えてしまったのだから。


「とても優しいお方です、皇太子殿下。あなた様の青薔薇(ブラウ)は」

「……なるほど。では、いつかの君に言葉を返そう。あの口約束が果たされる日はない、と」


 その言葉に、隠せないほどの動揺で唇がわなないた。

 いまだ少年期であった皇帝陛下(カイザー)に拝謁したことは本当にあったこと。

 であればこそ。

 夢や幻覚の類であると思いたかった。ヴィルヘルミーネが敬愛してやまない婚約者が言った言葉もまた、現実に齎されたものであったのだ。



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