混迷なるお茶会
「ロゼ、ついているよ」
うららかな。木漏れ日が落ちる東宮の庭先で。
ふうわりと、やわらかな声音と共に白い指先が伸びて、ローザリンデの口元を拭ってくれる。そのまま無作法にもぺろりと指先を舐めてしまうのだが、やけに様になってしまって唖然とエルンストを眺める羽目になってしまう。
追ってやってきた羞恥心だか、ときめきだとかで一気に頬どころか耳までが熱くなってしかたない。
「ふふ……本当に、今代のツェントルムは安泰ですわね。そう思いませんこと、兄さま?」
「…………そのようだね、ヴィルヘルミーネ」
羞恥に悶え苦しむのはよくある恋愛小説などの一端を繰り広げただけに留まらない。
中身三十路なのにおべんとをくっつけてしまったとか、それをエルンストに微笑ましげにされているとかならばおそらく。恥ずかしくなっても穴を掘って埋まりたいとかそういう心境にはならなかっただろう。
そう、ひとえに、なぜか。エルンストとローザリンデが嗜む午後のお茶会へご一緒することになってしまった、ヴィルヘルミーネとノルデンベルク公が同席しているからだった。
人が見てないならまだ多少の戸惑いはあれどもありがとうございますと言えたかもしれない。だが、ベタな展開を繰り広げているのを見られるのは結構ハードルが高い。
そんなベッタベタな古典的光景をうっとりと眺めながら、およそこの国で敵に回したくない強者に対して反論を許さぬ同意を迫るヴィルヘルミーネは出会った時の、世を儚んでいるかのような雰囲気はどこにもない。まさしく北を治める大樹の女傑、といった風な変わりようであった。
そんなヴィルヘルミーネに戸惑いじみたものを滲ませ、あのノルデンベルク公が苦虫を何重にも噛み潰したかのように引きつった返答を絞り出している。
それを物珍しさを滲ませながら面白そうに眺めている超絶美形の最推し、とかいう現場で反応に困る。
――そも。
なぜこんな胃の痛さに溢れそうなお茶会が開催されたのかとか、ヴィルヘルミーネの豹変とか。話すことは沢山あるのだが。
本当になぜこうなってしまったのか。目の保養に溢れる空間からそっと視線を外すも。
外した先にいたディアナがそんなローザリンデから逃れるように、自然すぎる立ち回りで視線を外したのを見てしまった。
神はいない。いや、神はいる。お兄様がそれだ。推しはかみさま、はっきりわかんだね。
――盛大に脳内をバグらせながら、ローザリンデは現実逃避を試みる。
本当にどうしてこうなった。
***
時渡りから帰還を果たしたあと。あまりの事態に東宮の庭で『はい解散』とは勿論ならなかった。
時を超える魔法が行使されたのだから当然と言えよう。
執務の最中であったエルンストにまで事態は奏上され、急ぎ現場は一時封鎖され、現場検証をユルゲンが陣頭指揮を取る形で担当し。人払いをした別室にてエルンスト直々にローザリンデとヴィルヘルミーネは経緯を話すこととなった。
その時に得た情報についてはローザリンデとヴィルヘルミーネの間で話すことは構わないが、エルンストにさえも話すことは禁止という処置になったのだった。
そうした顛末があったため、エルンストがヴィルヘルミーネにローザリンデの話し相手になるよう要請し、ヴィルヘルミーネはこれを承諾した。
ノルデンベルク公は渋ったようだが、ここはヴェルトラオム。ツェントルムの本拠地でツェントルムの意向は優先されるもの。
本人が承知している以上、いくら婚約者と言えども皇族の命令であれば私情が通らないのも仕方がないともいえるだろう。
とかく。時の魔法はそれだけ優先される特級の異常事態であったことは確かで、事件の経過を知るためにもヴィルヘルミーネが留め置かれたのはそうした事情も加味されていた。
……その際にノルデンベルク公がヴィルヘルミーネに言い負かされていたのは、いま思い出しても寒気を覚える展開であった、とだけ言っておこう。
ヴィルヘルミーネが現在のようになってしまったのは間違いなく、時渡りが原因である。本人に聞いたので間違いない。
既に知っている原作の流れとは明らかに違うのだが、最終形態は似ている。
壊滅的な被害を受けた北の地を守護するのは、ノルデンベルク公を代々拝命していたヴァーツェル家の当主の仕事ではあった。だが、事はただ一人の当主の――凶事で交代したばかりの青年が背負えるものではなかったことは推察できる。
どうにか表向き平穏に北は存続した。ヴィルヘルミーネはそれを成したノルデンベルク公、アウグストに更に心酔したそうだったが、間違いであったとも語ってくれた。
いちばん傍にいたと思っていたのに、相談もなく婚約を解消されそうになっていた。
その事実がヴィルヘルミーネを打ちのめし。
突然変異レベルのアルティメット進化を果たされる結果になるだなんて誰が思うのだろうか。
そんな感じにあれよあれよと言う間にお互いのパートナーとなるべく人との距離感を縮めましょう、とかいう名目でお茶会とかいう名のダブルデートが開催される結果になったのである。
お茶会用のお菓子の準備とか場の用意とか、それはもうヴィルヘルミーネと楽しく準備できたのだけれど。
ヴィルヘルミーネがエルンストに何かを奏上したのか。ここ最近の、待っていてくれていた優しい兄の姿はどこへ行ってしまったのか。
乙女の夢とやらに出てくるような甘さで接してくるエルンストに今日も何も言えないのだった。