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断章:悪役令嬢は泡沫の夢を見る

「……ヴィルヘルミーナ・フォン・ヴァーツェル。今をもって、汝を待春(たいしゅん)の宮に生涯仕えることを命ずる」


 朗々と響く支配者の裁可に、呆れるほどの狂喜を伴った熱気ある歓声が厳かな謁見の間に場違いなほど響き渡った。

 魔性たちの頂点に立つ、我らの皇帝陛下から発せられたその声音が憐憫を帯びていることに気がつけるのは、今この場に限ってしまえばヴィルヘルミーネしかいないだろう。

 やりきれないような、救えなかったことを惜しんでくれるのですら、もはやこの方しかいないのだ。

 けれどもその慈悲さえ仮初めのものに過ぎないだろうことを、ヴィルヘルミーナは言われずともよくわかっていた。

 陛下のそば近くに侍ることを許されていた身である。その機微にはいっそう気をつけていたのだから当然とも言える。

 自身が持つ容姿や色彩が、陛下が今も慈しんでやまない、かつて彼の婚約者だった姫君に似ているからこそ受けている慈悲であると。ヴィルヘルミーネこそがよく理解していた。

 諸侯からは皇族の瞳(クロンプリンツ)ではないが、この身に現れた色彩ゆえに皇族へ連なる一員として歓迎されていたように。

 けれども今は、陛下以外のすべてが手のひらを返して、ヴィルヘルミーナを悪しざまに罵っていく。

 割れんばかりの歓声は狂喜を滲ませて止むことを知らず、帝国の貴族たちがいかに低俗であるのかを示しているようでもあった。


(わたくしは、兄さまのお力になりたいだけでしたのに――……)


 どこから、道を誤ってしまったのだろう。

 失意を覚えるのもおこがましいと言われてしまうかもしれなくとも、ヴィルヘルミーナは道を探してしまう。

 ヴィルヘルミーナがたったひとり愛した、いつか嫁ぐはずだったひと。

 ノルデンベルク公、アウグスト・フォン・ヴァーツェル。

 けれども彼に嫁ぐことは叶わなかった。皇族に残されたたったひとりの姫君が魔性ではなく人間のもとへと降り、人間たちに手酷く裏切られた末に眠りについてしまったが故に。

 皇帝陛下の次代を繋ぐ伴侶たりえる女性は、彼の姫君を除けばヴィルヘルミーネ以外にいなかった。その悲劇と嘆きを理解してくれていたのは、皮肉にも皇帝陛下ただひとり。

 その慈悲を良いように解釈し、貴族の義務たるノブレス・オブリージュを忘れて傍若に振る舞った。遠き未来でいつか、この役目が終わる日を期待していた。

 彼に……アウグストに振り向いてほしくて、ヴィルヘルミーナだけを見てほしくて、ヴィルヘルミーナはしてはならないものに手を出してしまったのだ。

 初めは可愛らしい癇癪だったかもしれない。アウグストに近づく異性を遠ざけるくらいだった。

 それがいつの頃か制御を失い、取り繕うこともできなくなり。一言二言話しただけのことでさえも許せず、奸計を表沙汰に出してしまうほどにヴィルヘルミーネは堕ちていた。

 遂には国を。同胞を。種族は違えど同じ魔性に属しながら、薄汚い欲望に身を浸した人間たちに便宜を図って我らの皇帝を裏切った。

 あれほどに情を掛けられておきながら。故郷を壊した人間たちに手を貸した。

 どんな視線でも構わない。アウグストがヴィルヘルミーネを振り向いてくれるならばと、だうかしていると自分ですら思うような愚行を実行してしまったのだ。


「……最後に、申し開きはあるか」

「いいえ、ございません。わたくしはわたくしの価値観と矜持に従いました。その結果を残念だと思いこそすれ、弁明すべきことはただ一つとして持ち合わせおりません」

「そうか……そなたを導けなかったのは私の不徳だな」

「いいえ、我が皇帝陛下(マイン・カイザー)。ご期待に沿えなかったこと、本当に申し訳ありません」


 罵倒は止まない。神聖なる皇帝陛下の御前でありながら、口汚い野次が聞こえるほどに。

 きっと彼らも長くはないだろう。今ここに居らずとも、アウグストや皇帝直属の者たちが陛下の御前を許すことなどないように。

 ――嗚呼。いつから、この国はここまでおかしくなってしまったのだろう。

 ヴィルヘルミーネも含めて、熟れすぎた果実がもがれもしないままに腐って、拠り所である大樹を侵略している。

 ひとつやふたつでは到底きかない。永遠なる森(エーデルヴァルト)の全体で病が罹患し、治る見込みもないような。


「では行くといい。いずれ、来世で」

「過分なる下賜に感謝します」


 大罪人にかける言葉ではない。けれども、また会おうとさえかけてくれる優しさが酷くしみる。

 ただ穏やかに、アウグストの傍にいたかった。そうしたのならばきっと、この人の孤独に向き合えたかもしれない。

 愛しいものをなくしたものという同情ではなく、ただの友人として。

 悔いは沢山ある。けれどももう、それさえ思うこともできなくなる。

 どうか、と思わずにはいられない。アウグストのこと以外で初めて望んだかもしれなかった。

 アウグストが離れた理由が皇帝陛下にあるだろうとしても。この人のもとに、彼の姫君が戻ってくる未来があったらよかったのに。

 まるで叶わぬ夢は儚い泡沫のように、現れては消えていく。

 ヴィルヘルミーネの愛が叶わぬように、はじけてそのまま壊れていた。

 それでもと願ってしまう。過分な情をかけてくれた陛下に幸いが訪れるように、と。


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