編纂:竜は宝玉を知る
光の洪水。そう称して然るべき現象が収まった時、エルンストの前から二人の少女が消え失せていた。
何かを語ることもなく、ただただ名前を聞いたのみ。確証を深めようと言葉を費やそうにも、時間が許さなかったのだ。
そう、時間。
口伝で伝え聞いてはいたが、エルンスト自身が目にすることになるとは思わなかった。いや、これから先に続くどこかで相まみえることもあるだろう。それくらいの認識に過ぎなかった。
魔法と呼ばれる術式の中に、属性では分類できないものがある。その秘奥に値するであろう一つが、時間を超越することだ。
過去へ遡行し、未来を垣間見る。
禁術に指定されないことがおかしい技術ではあるが、時を司る魔法は解明されておらず、使い手だとて意識して発動できるものではないと伝えられていた。
それを解明しようとする者は、過去を遡及しても数えるくらいしかいないだろう。
その原因の一端としては、エーデルヴァルトを建国したツェントルムにあるともいえる。
既に歴史書の一説にしかないが、建国から四代目にあたるエーデルヴァルト皇帝、歴史上の呼び名として残虐帝が、魔法を貴族に連なるもの以外に広めるのをよしとせず。強権を振りかざして断行した、という歴史が存在する。
強行はそれだけに済まず、特異に発生する民草たちを軍を使って狩り出し、人民裁判じみた私刑を強制執行した結果。具体的な数字は憚られたのか記載はないが、積み重なった民草の命は百や二百で賄うことのできない数字であったという。
温厚たるツェントルムとも思えない所業は竜の血が薄まったから、という説がまことしやかに囁かれ、それゆえにツェントルムはツェントルムに連なる者以外との婚姻を抑制する不文律が出来上がり。
四代目の皇帝がのちの五代目となる彼の弟に弑され、皇族の血が入るものが起こした国家反逆罪を裁く目的で、待春の宮へと送られることになった。
竜の血、というものはただ命を絶つだけとするに、その身に宿した膨大なる魔力が邪魔をする。魔力を宿したままの肉体を残すと下手なものであれば大陸すら巻き込む戦略兵器と化してしまうのだ。
故に皇族たちは永劫の眠りを得る際には必ず専用の宮へと入る。それが待春の宮。
訪れぬ春を待つ、明けぬ冬に身をゆだねる場所。一度足を踏み入れたものは二度と出ることはかなわない、と謳われる場所でもあった。
とかく、そんな経緯がこの国にある以上、魔法の解明をしようとするものは殆んどいない。
いても公には見つからない場所で研究を行っているだろうし、ツェントルムを主とする魔性ではなく人間たちのほうがよほど魔法を理解しているに違いない。
だからこそ、時を司る魔法が行使されたことには意味があるのだろう。
そうと考えれば、彼女がどこから来たのか、と言う話になる。
月明かりに染め抜かれたような、極上の絹髪。惜しげもなく晒された容姿は幼いながらも酷く整っており、将来を渇望させてならない。
ひとつひとつのパーツをとっても、その技術の最高峰にいる職人が生涯一度の傑作と言っても過言ではないほどに美しい。だが、生きた人形のようにも見える彼女が意思を持つ者であると知らせるのは、皮肉なことにその双眸に宿るツェントルムの証。
鮮やかなる皇族の瞳の青。夜空を輝く星々の煌めきよりもなおも輝くものはこの世に一つしか意味をもたない。
そして、減少していく皇族の中、彼女の存在をエルンストは知らなかった。だが可能性が一つだけあることは知っていた。
エルンスト自身の母、マリーヒェンの双子の妹であるユールヒェンの懐妊。その生まれてくる子供が女児であればすなわち、次代の皇帝の伴侶である。
そして次代の皇帝になりうる筆頭は、現皇帝ヴィルヘルムの第一子であり。竜神の生まれ変わりと称させるエルンストに他ならない。
だから、それだけで良かった。
僅かな空隙を縫って現れただろう時の向こうに住まう少女の言葉を思い出せば、ただ待つだけで彼女を手にするのがエルンストであることを誰も阻めないだろう。
けれどもそれだけで済むならば、おそらく、彼女はあのような表情をしなかったはずだ。
原因と呼べるものがあるのならば、彼女と一緒にいたもう一人の少女。成長してはいるが、面影はある。アウグストが大事にしている、彼の婚約者に違いない。
その彼女を手放さそうとしたことと言い、何か、エルンストの及ばぬ場所でおかしなことが起きているのではないか。そう推察するに易い状況に、このまま胡坐をかくべきではないことなどわかりきっている。
魔性の国にあって、エルンストはまだ若輩ですらない。
蝶よ花よと持ち上げられてはいても、エルンスト自身を評価するには実績が足りない。
彼女を手にするためにやることは多いだろう。
「ブラウ……さながら、青薔薇と言ったところか」
不可能の代名詞。だが、それを手に入れることはエルンストに限っては不可能ではない。
親愛を抱くことはあっても、それが恋と呼べるものになるとは思いもしなかった。
たった一瞬の邂逅であろうとも構いやしない。どんな性格をしているかもわかない存在であれど、どうだっていい。
あのうつくしいものがこの手に入るのであれば、何だってしようと決めたのだ。