甘いものは正義です
日々が進むごとにローザリンデの周囲は浮き足だったように慌ただしくなっていき、婚姻の準備が進められていくのと反比例するように、ローザリンデの気分は重たくなっていく。
様々な打ち合わせのたびにディアナが傍を離れる時間が増えたからだろうか。
ひどい憂鬱さに何をするにしても身に入らないでいるのを見かねられたらしく、ここ数日は居住している離宮から出してもらえないでいる。
元々エルンストとローザリンデの婚姻は決められており、凶事がなくとも帰還して一年以内には挙式を上げることが決められていたらしい。
そのため、何年も前から準備が進んでいたようで、ドレスに使われる布地やレース類。その他服飾品は全て手配済み。
ローザリンデの成長に合わせて仮縫いレベルまでは仕上がっていたのだから驚きだ。
ローザリンデがあの時、洗脳を破らなければどうなっていたのやら。
掛かった費用は国家予算を組まれるレベルのものを使えなくさせたとあれば、エルンストの信奉者であるノルデンベルク公アウグストがローザリンデの命を狙うのも不思議ではない。
そう思えばまだなんとかやり過ごせそうなものなのだが。
用意されているものの確認などでやたらに高価――どころか。前世では宝くじの一等を引き当てたとして。
布地のために家財を投げ出すレベルの最高品質の特級品を使って、ドレスの一枚すら作れないレベルを何度も見せられれば辟易すると言うものだ。
慎ましやかと言う名の自堕落していた人間だ。
テレビやインターネットの映像で目にしたことはあれど、実物に対する審美眼とやらが磨かれていたのは前世の三十余年の人生ではなく、ローザリンデの十二年分。
それも、庶民の生活体験として村に行く前のことだから、余計に圧倒されているのかもしれない。
出てくるものすべてが眼福であるが、美人は三日で飽きるもの。
お兄様の美麗眉目さには飽きないどころかいつまでも眺めていたいものだが、高級品ばかりで目が痛い――ではなく、本当のところ、あまりの高級さに壊したり汚したり、かつてのうっかり気質を懸念して気疲れする。
というのが正しいだろう。
そういうのを気にしなくていいのであれば何時間だって眺めていたいし、製造過程を永延と眺めてわくわくしていたい。
そういう動画ばかりみていたことを思い出して、ぜひとも映像や音を残せる術を探そうと決意した。
「姫殿下。厨房から差し入れを頂きました」
引き籠るのも体に悪いだろうと、護衛と側仕えのメイドたちを引き連れ、離宮の庭でお茶の時間を過ごしていた。
とりとめもなく、離宮の見事な庭園をぼんやり眺めていれば。
ローザリンデの気鬱を察してくれていたディアナが茶菓子を手配してくれたようだ。
魔法だけでなく、この世界の器具になにがあるのかと身近なところから確かめている中で、厨房にお邪魔したりなんだりしてレシピの話にまで発展していた。
簡素な身なりであれどもクロンプリンツは誤魔化せなく、正体はすぐさま露見してしまったが。
豪胆で新しいもの好き、研究熱心な料理長はお気に召してくれたらしく、ローザリンデの考案し、実際に作ってしまったキッチン用品を使って色々前世にあった食べ物を再現してくれている。
今は作業中でも片手間で食べれる軽食やおやつがメインだが、いずれ和食再現について試してみたいことがたくさんある。
とは言っても、どうやらヴェステンシュテルン地方のアジアンさはそのまま通じている部分があるらしく、思っているよりも早くできるかもしれないと見込んでいる。
「ありがとう。今日は?」
「以前、姫様が料理長にお話になっていた、キャラメルにございます」
バター、牛乳、砂糖があればわりとなんでもできる。お菓子はカロリーに比例しておいしいのだ――。
とかいう食い気に満ちた持論を振りかざし、料理長との話し合いは楽しかった。
飴細工の話からキャラメルの話をした成果が、ここにある。
長方形状に切られた細長い棒のような四角柱は、つやつやと表面を輝かせ、きれいな茶色で揃えられていた。
焦げが多いともっと色が濃くなるが、その分苦味も増してしまう。
ソースならそれもありだが、食べるやつならこのくらいのほうが好みだ。
キャラメルができたのならば、アイスに、パンにかけて良い。クッキーにだってできるし、パウンドケーキやマフィンも捨てがたい。
「いただきます」
浮かんでは消える食い気に偏る想像をしながら、手を合わせて呟く。
食事の作法が日本式で、西洋式の食前に祈りを捧げるとかそういうものでなくて少し安堵している。
そうした教養についてはしっかりと今世のローザリンデの身につけられてはいるが、どこがで露見してしまうことを考えればずっと楽になれる。
バターと生クリーム、それから優しい甘さ。
はちみつももちろん好きだが、キャラメル味は自分で作ってしまうくらいには好んでいた。
それが今世でも食べられた――。
前世の自分と今の自分との差異を埋められるものに、張り詰めていただろう神経が少しだけ緩むのを感じる。
ああ、そうか、と納得せざるを得ない。ローザリンデの周囲が殊更気を使ってくれていたのは知っていた。
ローザリンデが目覚めてからこちら。知らない内にずっと警戒していたことへと思い至る。
身近に死の温度を思い出して。本当の意味では誰も知るものがいない世界にひとり、生まれ変わってしまった――。
記憶はあれどもどこか遠い。物語を眺めているような気分でいたのだ。
地に足をつけていなかったローザリンデはどれほど不安定だったのだろう。思い返しても、エルンストやローザリンデを助けてくれる人たちに頭が上がらない。
「……ありがとうございます、ディアナ。それから、皆にも」
「……いいえ、姫様。もったいのうございます。皇太子殿下、我らは常に姫様の傍にあります」
やわらかく、見守るように微笑んでくれるディアナに気恥ずかしさが増して、思わず視線を逸らしてしまう。
その仕草に忍び笑いが聞こえてきて、思わずジト目で見てしまってもディアナの笑顔は崩れない。
けれども、それで良いのかもしれない。
まだ、子供でいて良いのだ。
ローザリンデはあの時。ゲームのシナリオから逸脱し始めたときに、生まれ直したのだ。
少しだけそれを受け入れてもいいや、なんて。どこか天邪鬼で臆病な自分が言った気がした。
毎日更新できるかたを尊敬したい……。
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