幕間:従者たちは語る
エーデルヴァルト帝国が誇る皇族の、今代における唯一の姫君にしてユルゲンが仕える主君の許嫁。
先ほどまで共にあった、未だ幼き少女に思い出し笑いになりそうな口元を引き締める。
主君から賜った命は果たせただろうが、流石に晩餐の時間を超えてもまだ掛かることになるとは考えてもいなかった。
いや、頭の片隅にはあったかもしれない。
常よりも機嫌の良さげな、だが相反するほどの冷たさを秘めた瞳もあらわに主君は『彼女』に対して自由にさせるようユルゲンへと指示を出した。
主君であるエルンストの旧知であるノルデンベルク公ほどではないにせよ。
人間の思惑に絡め取られ、奸計に晒された姫君を皇城の奥深くに留め置くのは理解できる。
けれども監視を一人置いた程度で彼女を自由にさせるに、懸念がないわけではなかった。
その疑念を我が主に察せられたのだろう。
追求してみろと言わんばかりの配置に苦言を入れようにも、かつて、エルンストに仕える前。
ヴェステンシュテルンでの出会いがユルゲンの口を閉ざさせた。
エーデルヴァルトの『竜』は総じて規格外。
竜が宝玉とするものと相対するのであれば、相応の覚悟を持ちなさい。
おそらく、ユルゲンに助言を授けたその人は高位の貴族であったのだろう。
気まぐれでもなんでも、そうと与えられていなければ恐らく、ユルゲンは失態を犯していただろうことは想像に難しくない。
エーデルヴァルトを今も導くツェントルムの血を引くものたちの力を見誤っては、温厚なる彼らの怒りにいつか必ず触れてしまうだろうから。
「おや。今戻りかい?」
「……フェリクス。お前こそ」
主君に与えられた自室近くに戻れば、ちょうど戻ってきたらしいフェリクスと鉢合わせる。
エルンストの従者になった時期が近いせいか、何かと世話をしてくる相手だ。
たかだが庶民上がりの騎士に上位貴族が構うことではないだろうに。
けれどもそのおかげで余計な手合いとの付き合いが減っていることは事実であるので、無下にはできない。
とくに、エルンストの覚えめでたい、帝都の剣術大会で拾われた出自であることも関係しているのだろう。
魔法を使えることも大きいらしく上位貴族から縁談を狙われているので、フェリクスがある程度捌いてくれるのも助かっているだけに、頭が上がらない部分も多少はある。
それを抜きにしても、損得勘定さえわかっていればフェリクスと付き合うのは難しくない。
気の置けない友人、と言うには身分に差はあるが。
「僕はそこまで。最近のあの方は意欲的なようだから」
その原因と言えるのはやはり、主君が薔薇と例える姫君のためだろう。
ツェントルムに名を連ねる事から容姿が整いすぎていることは範疇内であったが。
想像の域を超える美形というものは、いるところにはいるのだと納得させられた。
主君だとて生きているのが不思議なほどに、天なる神が特別な恩寵を授けだろう見事な美しさをもった人であると言うのに。
彼の薔薇は主君に並び立つためだけに造られたと言っても過言ではない。
主君にはない、作り物めいた精巧なる人形に生を込めたものがあの少女であるというのであれば。
どのような采配をされて作りだされたのか。文字通り、宝玉と言われて過分ない。
どころか、足りてすらいないかもしれないのだ。
「で、青薔薇の君はいかがでしたか?」
「……そうだな。俺の手には負えない、ということは確かだ」
「ユルゲンが?」
怪訝そうにフェリクスが訪ねてくる。だが、あの光景を見れば納得するだろう。
流石に離れる際に危険すぎて破棄してはきている。
けれども、あのような。
貴族の頂点にいるだろう、年若い、いまだ幼いとさえいえるだろう少女が。
あろうことか魔法を解体した。なんてこと。
それだけにとどまらず、全く新しい魔法を構築してみせたのだ。
主君にはその結果がわかっていたからこそ、あの離宮を薔薇のために拵えたのだとさえ思わせた。
「詳しくはまだ。だが、早急に口の堅くて頭の柔い魔術師が何人か。女官たちもいた方が都合がいいだろう。……あと、商売に詳しい奴は用意しておいた方がいい」
「……なるほど。流石はツェントルム、と言ったところですか」
「ああ。本気になった殿下と同じくらい性質が悪そうだ」
本気になった主君――エルンストは、皇太子から皇帝代理に叙された際。
まだ皇帝は隠れていないという勢力がエルンストの代理就任を拒もうとした。
だが、代理就任して蓋を開ければ。
反対していた貴族たちは軒並み要職から外され、隠居する羽目になっている。
その処遇に国が割れるとさえ危惧されたが、不思議と反発は抑え込まれており、表向きは円満に皇帝代理へと就任したことになっている。
一人残らず不満すら述べずに引退した――。
それがどれほどのことであるのか。
そして、どんな手段を講じたのか。
百年、二百年なんてざらで、中には五百年は要職についていた者だっていたのだ。
それらすべてを御してしまったのは、主君がまだ十代のとき。
今から十年は前のことなのだから恐れ入る。
もちろん、国の四大公爵たちが後押ししたのも大きい。
けれどもそれだけでは説明のつかないものがあった。
しかし、ツェントルムはそういうものだと言われれば無理やりにでも納得するしかない。
皇族たち、ツェントルムがエーデルヴァルトを率いる限り。
魔性たちはその恩寵のもと、繁栄し続けていけるのだ――。
「……それは、急がねばなりませんね」
「そうしてくれ」
ツェントルムに時間を与えれば与えるほど、よくも悪くも厄介なことになる。
身に染みているだろうフェリクスに依頼しておけばなんとかなるだろう。
特に、姫殿下が生み出しだものを知れば有用性は計り知れない。
扱い方ひとつで毒にもなりうる劇物であるが……それよりも、見て見たくなったのだ。
彼女が見ている世界。
狭い場所に閉じ込められそうになっていた少女が、何を生み出すのか、と。
ヴェステンシュテルンに属して育った者の定めだろうか。
今日ほど、強くそれを感じた日はなかった。
ようやくあらすじ回収し終わりました。
続きもお付き合い頂けば幸いです。
(ストックなくなってしまったので更新はのんびり目になります)