凍空剣(とうくうけん)
「死んだか。あれだけ強気な言葉を遺して、甘い男だ」
担任は、ブレトンの剣技を背後から喰らって、横たわっていた。
地面に、赤い血が広がっていく。
「どうしてよ。あんた魔王の力があるんでしょ!? くたばってんじゃないわよ!」
マノン以上に、エステルが取り乱している。
死にゆく担任を前に、ブレトンは笑みを隠さない。
「なぜ復活しないの?」
「教えてやる。ジャレスは魔王石こそ持っているが、解放したことは一度もない」
魔王石があれば、深手を負ってもたちどころに回復する。しかし、持っているだけではダメで、オデットのように使用しなければ意味がない。
「この男はな。魔王石を持っていながら、魔王としての力を解放しなかったのだ。意地でも使わないつもりだろう。自分が取り込まれてしまうからな」
「そ、んな」
泣きそうな顔になりながら、エステルが担任の背をゆすった。
「ちょっとアンタ! デカイ口叩いておいて、負けてんじゃないわよ! なにが死ぬなよ! あんたが死んでどうするの! やってるの! あなた魔王でしょ! しっかりなさいよぉ!」
あれだけ担任を嫌っていたエステルが、担任に何度も呼びかける。
マノンは手でエステルを制した。
「任せて」
担任の側に正座して、マノンは祈る。
大気が冷たさを増した。
空を見上げて、マノンは雪を降らせる。担任の背にだけ大量に降り注ぐ。
一粒の雪が、風に揺れてフリアンの手に。
「雪か」
フリアンが、手に落ちた雪を眺めた。
粉雪が、うつ伏せに倒れている担任の背に舞い落ちる。傷口が、みるみる塞がっていった。
「ほう、癒やしの雪か。珍しいな。治癒はだいたい、水か風の魔法を使うが」
「わたしは、その両方が使える。だから雪を用いる」
「見事だな」
担任に降り積もる雪は、球状になっていく。段々と積み重なっていき、雪だるまに。
「なんだこれは? 防御フィールドのつもりか。随分愛らしいではないか。コイツに似つかわしくない」
雪だるまの首を刈り取ろうと、ブレトンは剣を振るった。
しかし、雪だるまはビクともしない。雪の結晶が複雑に絡み合い、ブレトンの剣すら弾き返したのだ。
「秘剣・冬芽」
冬の寒さに耐える花の芽のごとく、保護対象を守る技だ。
「これが、わたしの全力。大切な人を守る、絶対防御の力」
「さすがは不遜公との融合に耐え、己の魔力を鍛えただけある。ボクを相手に、その力を発揮してみよ。存分に」
ブレトンが挑発してくる。
「だが、もやはジャレスは死んだ。蘇生できるものは何もない。その雪をもってして、ジャレスの魂までは助かるだろう。しかし、戦えるレベルまで回復するかな? キミが魔神の力を受け入れるなら別だが」
ブレトンの胸にある、魔神結晶が怪しく輝き出す。
「わが軍門に下れ、マノン・ナナオウギよ」
不意に、何者かから声をかけられた。ブレトンからではない
「私に、魔神になれと?」
「左様だ。貴様には素質がある」
魔神水晶が、マノンの脳に直接語りかけてくる。
「ここまでよく自らを鍛え上げた。魔神たる器に相応しい。もし、魔神として生きる道を受け入れるならば、仲間の命は保証しよう。それだけではない。あらゆる全てが、貴様の思いのままだ」
マノンは、周囲を見る。
みんな、苦戦していた。
もし、自分が魔神になれば、仲間は助かる。
断れば、全員の死が待っているだろう。
だが、マノンは断じて応じない。
「担任は、あんたなんかには絶対に負けない」
「我を拒むか。小娘」
「わたしは、誰の役にも立ってこなかった。いつも誰かに助けてもらっていた。わたしは、誰かの役に立つ人になることを望んでいた」
「そうだ。だからこそ我が力を受け入れれば、役に立――」
「でも、そうじゃなかった! わたしは、誰かを助ける何者かになりたかったんじゃない。みんなを助けたいんだ!」
それは、何にもならなくてもできる。
冒険者でなくても。
今でも誰かを救える。
「我が申し出を、断ると?」
「わたしは誰の手も借りなくたって、ちゃんと自分の足で歩けるんだ! あなたを倒して、それを証明する!」
魔力を刀身に込めながら、剣を振り上げた。
見つける。魔神の核を。きっと再生に必要な核があるはずだ。
今こそ、自分の力を信じるのみ。
精霊石の力と、己の力を掛け合わせる。
これなら、あの技が撃てるかもしれない。
祖父から教えてもらった最強の技を。自分では発動できないと思い込んでいた技を放てるはず。
「凍――」
凍空剣を放とうとしていたマノンの眼前に、岩石が。
魔神が投げつけたのである。
やれるか。
しかし、集中し切れていない。
このままでは、不完全な凍空剣を打ち込んでしまう。
考えている間にも、岩は目の前まで迫っていた。
やむを得ない。この身が潰されようが、なんとしても一撃を。
マノンが決意を固めたそのときだった。
一筋の光がマノンを横切り、岩を一瞬で砕く。
誰がやったのか?
エステルではない。彼女は雑魚モンスターの相手をしている。少なくとも生徒ではなさそうだ。
オデットでも、ウスターシュでもない。彼らも周辺の相手で忙しくしている。
では、一体。
答えは考えるまでもなかった。
振り返る。
担任砲。
雪だるまの中から、小さな腕が伸びていた。担任の腕が。彼の持つ銃からは、煙が上がっている。
「雪だるまの中から、砲撃だと?」
胸を貫かれたブレトンが、膝を崩す。
――今だマノン、行け。
担任の声が、聞こえた。
意識なんて、戻っていないのに。
幻聴かも知れない。それでも。
担任の思いを、剣に。
「凍空剣! やあああああああ!」
今まで上げたことのないボリュームで、声を出す。
不遜公が撃ったときよりも速く、刀を振り下ろした。
ヒムロ製の剣から放たれた衝撃波が、魔神の身体を駆け抜ける。
虚空すら切り裂く必殺の波動は、確実にブレトンの魔神結晶へ届いたに違いない。
ただ、「理論上は」だけれど。
マノンの肩から、湯気が立っていた。
それほどまでの魔力を放出したのだ。
だが、魔神は嗤っている。
口元をつり上げて、不敵な笑みを貼り付けていた。
「だ、ダメか」
全力全開の一撃。なのに、通じない。やはり自分はダメな冒険者なのか。
「いいえ。ご安心を」
オデットが言うと、ブレトンが膝をつく。
「まさか、余が人間などに……」
うめき声を上げながら、魔神結晶が光を失う。
それっきり、魔神の気配がぱったりと消えている。
凍空剣が、再生能力を持つヒドラを突き抜けたのだ。
「勝ったの?」
「そうよマノン。あなたが勝ったのよ」
エステルから告げられて、マノンはようやく安堵した。体じゅうの力が抜けていく。
マノンの腰を、エステルが優しく持ってくれた。
「これが、戦いから生み出されない、人間の可能性だというのか?」
「あなたは誤解している。わたしは、自分の力を担任の中に注ぎ込んだ。あなたは担任によって倒されるべき」
おそらく、本当にブレトンを倒したのは、担任だ。
自分は剣を振るったに過ぎない。
担任がいなければ、全滅していたことだろう。
「認めぬ。人の可能性など。だが、お前なら、あるいは人を正し、く」
魔王の身体は、空間ごと半分に切り裂かれた。
ブレトンだった灰を見つめながら、魔神結晶がブレトンの身体から離れて、コロコロと転がっていく。
灰色になったブレトンが倒れ、砂と化した。
人を見捨てた英雄は、人を信じた魔王に看取られながら、この世を去った。
「ばか、や、ろう」
雪だるまから出てきた担任が、バタリと倒れ込む。
「担任、しっかりして、担に……」
どれだけ呼びかけても、担任は目を覚ますことはない。
「待って、エステル」
マノンは、担任に駆け寄ろうとするエステルの腰を掴む。
「んご……」
担任は、可愛い寝顔でイビキをかいていた。
「このまま、寝かせておいてあげよ」




