55.シーツを被ります
セルディが部屋へと戻ると、そこにはチエリーが待っていた。
いつも通りに丁寧なお辞儀をしたチエリーが頭を上げると、その目はじわじわと見開かれていく。
「お嬢様、どうなされたのですか?」
「……っ」
優しいチエリーの問いかけに泣きそうになって、言葉が出てこない。
セルディはチエリーに抱きついた。
「お嬢様?」
しがみつくように抱きつけば、チエリーは戸惑いながらも背中に手を回して撫でてくれる。
セルディはその温かさに後押しされるように、ぽつぽつとさっきあった出来事を話し始めた。
「わ、わだじ、どうずればいいんだろう……」
鼻をずびずび言わせながらセルディが話し終えると、チエリーに体を離されてしまった。
心細さからまたしがみつこうとするが、両肩を掴まれ、顔を覗きこまれてしまったためにそれは叶わない。
覗き込んできたチエリーの顔は、真剣だった。
「いいですか、お嬢様。貴族は、豊かな生活をする代わりに様々な制約を課せられています。それは義務でもあるのです」
チエリーは今まで何度も教えてくれた。
貴族としての在り方を。
領民への接し方、使用人への接し方、敬われる行動を心掛ける事への大切さ。
そして、それは結婚も同じなのだと、チエリーは語った。
セルディは今まで平民のように生きてきた。
それでよかった。
平民と同じように暮らし、好きな人と結婚し、子供を生んで死ぬ。
そうすることが当たり前だと思って生きてきた。
父と母もそうなってもいいと言っていた。
それを変えたのは自分だ。
自分の我儘で貴族として生きる事を決めた。
だから、泣いてはいけないんだと。
チエリーは真剣な眼差しで教えてくれた。
「お嬢様。お嬢様は、レオネル様の事がお好きなのですよね?」
セルディは涙に濡れた顔のまま頷く。
「それなら、レオネル様に愛して頂けるように頑張れば良いのです。政略結婚の場合、仮面夫婦となってしまう事が多いですが、愛し合うようになる夫婦だって珍しくはありません」
チエリーの言葉に、セルディは思い出した。
自分の父と母も、政略結婚だったのだと。
でもあの二人は今もお互いを思いやり、大切にしあって、幸せな夫婦になっている。
問題は始まりではない。
どうすれば長く一緒に居られるかを模索する事なのだ。
セルディは前世の記憶の影響で、相思相愛になってから結婚するのが当たり前のように思っていたが、現実であるこの世界はそう簡単に恋愛結婚が出来る場所じゃない事を、ようやく思い出した。
「チエリー、わたし、レオネル様に好きになって貰えるように、がんばる……っ」
最初から好きな人が婚約者だなんて、自分は幸せ者だ。
セルディはぐいっと涙を片手で拭うと、力強くそう言った。
「その意気です。では、私は浴槽の準備をして参ります」
「わかったわ。……チエリー、ありがとう」
チエリーは返事の代わりに微笑みを浮かべ、準備のために部屋から出て行った。
「……私、贅沢者だったのね」
ベッドの縁に腰かけて、自己嫌悪をしてしまう。
髪飾りを渡す意味を教えられて、舞い上がってしまった。
レオネルは保護するために言ってくれたなんて事、よく考えればわかる話だ。
小さなセルディがブルノーのような男に手籠めにされてしまうのを哀れに思ってくれたのだろう。あのブルノーとの事件もレオネルの保護欲に拍車をかけたのかもしれない。
「でも、それはそれでチャンスよね」
今は小さなセルディでも、あと数年もすれば体つきが変わってくる。
領地の資金が増えるに従って、食べられる食事量も増えてきた。背だって伸びてくるはずだ。
大人になって、綺麗になった自分なら、レオネルも子供ではなく、大人として愛してくれるかもしれない。
数年では無理でも、セルディが努力を続ければ、いつかは妻として見てくれるかもしれない。
婚約した後でも、結婚した後でも、セルディがレオネルの事を好きなら、努力して意味のない事なんてないはずだ。
セルディは気合いを入れた。
「私、レオネル様が見惚れるくらいの綺麗な女になる!」
そう決意を新たにした時、部屋をノックする音が聞こえた。
チエリーかもしれないと思い、返事をすると、返ってきた声の主はレオネルだった。
「レオネル様!? え、あの、えっと……!!」
泣き濡れた顔を見せたくない。でも、ここで追い返すのも申し訳ない。
セルディは焦るあまり、シーツをひっぺがして被った。
「セルディ、入るぞ。……セルディ?」
扉を開けると共に聞こえる困惑したレオネルの声。
セルディはシーツを被ったまま俯いた。
「えっと、その、お、お化粧を! とってしまったので!」
「化粧?」
化粧なんてしていなかったが、とっさに思いついたのがそんな言葉だった。
さすがに泣いていたから、なんて言える訳がない。
(レオネル様は悪くないし!!)
優しい彼は、泣いていたなんて知ったら責任を感じてしまうかもしれない。
セルディはこれ以上彼の重荷になるような事はしたくなかった。
「そんな化粧なんて気にしなくてもいいと思うが……」
「い、いえ! みっともない顔をしていますので!!」
「そうか……」
絶対にシーツは脱がないという決意をわかってくれたのか、レオネルは諦めた声でそう言うと、シーツを被ったまま座っているセルディの隣を指差した。
「隣に座ってもいいか?」
「は、はい……」
何を言われるのだろう。
もうさっきのような期待はしていない。
恐らく退室した時の態度がおかしかったから、心配してくれているだけだろう。
セルディは落ち着いた気持ちでレオネルの言葉を待った。
「その、さっきは、すまなかった」
「え?」
「いや、もしかしたら言葉が足りなかったかもしれないと思ってな……」
言葉が足りないとは、どういうことだろう。
セルディは内心首を傾げる。
「髪飾りは婚約者候補という意味でだな、正式な婚約を結んでいる訳じゃない」
「そう、なんですか……?」
「ああ。だから、他に好きな相手が出来ても気にせずに伝えてくれていいからな」
セルディは更にがっかりした。
候補という事は、自分以外にも何人か候補が居るのかもしれない。
公爵家の子息なら普通の事だが、改めて言われるとやっぱり落ち込む。
「ただ……」
「ただ?」
「俺は、セルディとなら結婚してもいいと、思っている」
「えっ」
幻聴かもしれない。
セルディは顔を上げて、シーツの隙間からレオネルを見た。
心なしか、レオネルの頬は赤く染まっているようにも見える。
「年が離れすぎているからすぐに夫婦になる事は難しいかもしれないが、お前となら楽しいだろうと思ってな」
早口で続けられた言葉が脳に浸透すると、セルディはじわじわと目を見開き。
レオネルがセルディを見る前に、顔を俯けた。
「セルディには、もっと似合いの相手が現れるかもしれないが……」
「い、いえ!!」
セルディはレオネルの言葉を遮って慌てて言った。
「わ、私は、レオネル様がいいです!」
さっきは言えなかった言葉。
それを言えた事に、なんとも言えない達成感があった。
レオネルの反応を見るのが怖くて、顔を上げる事は出来ないが、じわじわと顔が熱くなり、心拍数も上がっていくのがわかる。
「そう、か。それならよかった……」
ほっとしているような、少し申し訳なさそうな。
さっきと同じような声音。
でも今度のセルディに涙はなかった。
――コンコン
軽いノック音と共に扉の向こう側から声をかけてきたのは、今度こそチエリーだ。
返事をして入室を許可すると、中にレオネルが居た事に驚き、男女で部屋に二人きりなんて、と小言を言われる。
シーツを被ったセルディに、淑女がそんなものを被ってはいけませんと注意するのも忘れない。
けれどセルディはシーツは脱がないまま、顔を俯けて、そっとベッドに置かれたレオネルの大きな手に自分の手を重ねた。
そのまま指先で手の甲をくすぐるように撫でると、レオネルの手が心なしか小さく跳ねた気がした。
なんだか意識されているようなその反応に、セルディはシーツの中でにんまりと笑う。
(レオネル様、絶対にあなたを惚れさせてみせますからね!)
重なった手がシーツで見えない事をいいことに、セルディはチエリーの小言が終わるまでレオネルの手を離さなかった。




