54.推しキャラは二の足を踏む
足早に部屋から出て行ったセルディに、レオネルは何も言えなかった。
ただ引き止めようとした片手を前に出した状態で固まっている。
気のせいでなければ、セルディは泣きそうな表情をしていたように見えた。
やはり、こんな年の離れた男との婚約が嫌だったのかもしれない。
だが、レオネル以外の選択肢は限られていて、レオネルは他人にセルディを任せるのは嫌だと思ってしまった。
その気持ちは今も褪せる事はなくレオネルの中に存在している。
それと同時に、セルディの知らないところで外堀を埋めた罪悪感もあった。
「レオネル様、何をやってるんですか……」
従僕のジャーノンの呆れ果てたような声に、体の強張りが解ける。
レオネルは途端にバツが悪くなり、誤魔化すように前に突き出していた手を額に当てた。
「やっぱり突然過ぎた、か……?」
「いや違うでしょ! そこじゃないでしょ!」
気軽に突っ込んでくるジャーノンは実は元騎士団の人間で、先の内乱ではレオネルの側近として働いていた。
足を負傷して団に居られなくなったためダムド家で引き取り、従僕の仕事をしてくれている。彼は時折今のように使用人の垣根を越えて接してくれる貴重な人材だった。
「あんな苦悩に満ちた声で婚約の話なんてされたら本当は婚約するのは嫌なんだろうなって思うでしょう、普通!」
「なっ!? そんな声出してたか!?」
「レオネル様の恋愛話って聞いたことなかったですけど、苦手だったからなんですね」
レオネルは黙った。
得意か不得意か、と聞かれれば、不得意だったからだ。
「恋人とかいなかったんですか?」
「居た事はあるが……」
思い出すのは学生時代の恋人の事。
男しかいない学院でも、出会いはある。
それは学院や寮で働く使用人だったり、侍女だったり、学生の間に行われる模擬的な夜会である親睦会だったり。
レオネルに恋人が出来たのは十七の時だった。
公爵家の次男という地位にあると色々な女が群がってくる。
それは家の中でも外でも同じ事で、レオネルは粉をかけてくる女たちに辟易していた。
そんな折、親睦会で出会った彼女は、爵位は低いもののサッパリとした性格をおり、女性に苦手意識を持っていたレオネルが珍しく好感を抱いた相手で、友人から恋人のような仲になるのに、さほど時間はかからなかった。
やがて近衛隊に入ったレオネルは、訓練などで多忙を極めるようになり、彼女と会う機会も次第に減っていった。
そんなある日、兄のサイロンに婚約者が出来たという報せが届く。
それをきっかけに、レオネルも彼女に婚約の話を持ち掛けることにした。
どうしても結婚をしたいと思ったわけでない。
ただ兄が婚約をしたのだから自分も婚約をしなければ、という義務感に駆られての行動だった。
おそらく彼女は、そんなレオネルの気持ちを悟っていたのだろう。
婚約指輪を贈ろうとした矢先、彼女が別の男と婚約したと聞かされた。
「うわー……。レオネル様、寝取られちゃったんですね……」
「うるさい……」
もちろん彼女と話はした、自分達は付き合っているんじゃなかったのかと。
こんな終わり方はあまりにも不誠実じゃないかと。
それに対して、彼女は言った。
『私、貴族の妻になりたいの』
辺境伯の跡を継ぐレオネルの伴侶が貴族の妻でないはずがない。
だからこそ、彼女が指していたのは、単なる身分の話ではないことにレオネルはすぐに気づいた。
レオネルには、貴族特有の品や優雅さはない。
机に向かうよりも、夜会に出るよりも、根っからの軍人である父と同じく、野を馬で駆ける方が好きだった。
彼女は野の花よりも宝石を好きで、何より華やかな世界が大好きだった。
レオネルの妻になるということは、将来、国境線で敵軍と睨み合う生活が待っているかもしれない。
彼女はそんな生活は耐えられないと言ったのだ。
サッパリした女だった。
夢見がちではなく、実利を取る、そういうところを気に入っていた。
そんな彼女はレオネルを踏み台にして、貴族の妻になった。
「レオネル様、女運がなかったんですね……」
ジャーノンの憐みの視線と言葉に、レオネルは黙り込んだ。
周囲にはちゃんとした令嬢も居たはずなのに、癖の強い女の方ばかり気にしていた自覚はあった。
若気の至りとはいえ、軽い気持ちで手を出した自分にも非はある。
「その貴族の妻になった女性は今は……?」
「内乱後に未亡人になった」
「お名前は?」
「ルベラーシ伯爵未亡人だ」
「え……、それって、よく夜会の招待状が来る……?」
「絶対に受けるなよ」
「……かしこまりました」
不機嫌そうなレオネルに、ジャーノンは苦笑しながら礼をする。
レオネルはその姿に頷いてから、そんな事よりも、と話を変えた。
「……セルディの事はどうすればいいと思う」
「いや、普通に婚約してくれって言えばいいじゃないですか」
「馬鹿野郎! 十二も年上の男から真剣に告白されて喜ぶ子供が居るか!」
「喜ぶと思いますけど……?」
レオネルは首を横に振った。
「セルディが年頃になったら、同じ年頃の求婚者なんて山ほど出てくるだろうよ。その時に俺はどうなってる?」
「三十間近でしょうねぇ……。貫禄が出てきていい男になってるんじゃないですか?」
「年上過ぎる男と小さい頃から婚約が決まってるなんて、ってセルディが憐みの目で見られるかもしれねぇんだぞ!」
「考えすぎですって。普通に考えれば玉の輿ですから」
ジャーノンは擁護してくれるが、レオネルは納得できなかった。
決して近づく事のない歳の差。
そして有りすぎる身長差。
自分が幼女趣味だと言われるだけならまだいい。
いや、よくはないが、まだ、いい。
その事でセルディに肩身の狭い思いをさせたり、婚約を嫌がる日が来るんじゃないかと考えると、レオネルはどうしても現状で足踏みをしてしまう。
「っていうか、レオネル様はセルディお嬢様の事お好きなんですよね?」
「す、き……ではあるぞ。結婚してもいいと思っている」
「あの、こう言ってはなんですけど、抱けるんですか?」
「ばっ!!」
レオネルは出そうになった大声をなんとか耐えた。
「……俺は、子供を抱く気は、ない」
そうきっぱりはっきり宣言する。
自分は幼女趣味ではないのだ。決して。
……セルディのあのキラキラした目が、ずっと自分を見ていればいいのにと思うだけで。
「えーっと、子供じゃなくなったら、抱けるんですか?」
「……それは、わからん」
母親があれほどの美人なのだから、セルディもきっと綺麗になるだろう。
そうは思っても、母親のような美人を抱きたいのか、と言われれば、違うと答えてしまえる。
今までレオネルが欲情するのは基本的に胸の大きな女だった。
セルディの母親の胸は普通だ。
どこか清廉な雰囲気もある女性を抱きたいと思った事は、レオネルにはない。
そんな女性にセルディがなったとして、レオネルが抱けるのか。
その答えが出るのはセルディが大人の女性になってからだろう。
「……難しいですね。でも、結婚の意思はあるんですよね?」
「ある」
それは断言出来た。
「なら、その意思だけでも伝えてみてはどうでしょう」
「それで解決する話か?」
「何もしないよりは百倍マシです」
「わかった……」
レオネルは既婚者でもあるジャーノンの言葉に従って、セルディのために予め用意しておいた部屋へと向かった。




