46.危険に気付きます
「あの……」
セルディは例の洞窟について話すべきか迷った。
あの洞窟は危険だ。息を吸うだけで死人が出るような洞窟に誰かを行かせたくはない。
話せば、誰かが見に行かなければいけなくなるだろう。
セルディは怖かった。いや、今でも怖い。
自分の与えた情報を確認するために、犠牲者が出てしまう事が何より怖い。
だから今まで父と伯父以外の誰にも、あの洞窟の話はしなかった。
でも、今話さなければ別の場所でもっとたくさんの犠牲者が出るかもしれない。
セルディは覚悟を決めて話す事にした。
「そんな洞窟があるのか?」
「初めて聞いたな」
「わたくしも……」
三人ともセルディの話に半信半疑のようだった。
セルディも前世の知識がなければ信じられなかっただろう。
子供を怖がらせるために作られたような話なのだから。
しかし、硫黄の匂いがしていたのは間違いない。
「私も近隣の村に行くまで知りませんでした。なんというか、禁忌のような扱いになっていて、口に出すのも呪われそうで怖い。という意識があったみたいです」
小さな村の中でのみ伝わっていた話。
思えば、最後に死んだ人間が何年前の事だったのか、セルディも知らない。
人が死ぬという話はなんだか怖くて、無意識に避けていたのかもしれない。
もしくは……。
「あの、これってさっき話してた洗脳みたいじゃないですか?」
「何?」
今になって思う。本当に今でも死人は居るのだろうかと。
最初は居たのかもしれない。
何人も死んだから、あの洞窟に入るのを禁止したのかもしれない。
ただ、あの洞窟は塞がれてはいなかった。
そんなに怖い洞窟だったのなら、塞ぐのが普通ではないのか。
領主である父に相談すれば、父なら何か対策をしたはずなのに、父は相談された覚えもないようだった。
いったいいつから、あの村は嘆きの洞窟を隠していたんだろう。
セルディの問いかけに答えられる者はいない。
「一度調査をするしかないな」
「グレニアン陛下に早馬を出しましょう。もしも北の間者がフォード領にすでに侵入しているのだとすれば、背後から刺される可能性もあるわ」
「いや、背後だけじゃない」
サイロンと夫人が動き出そうとしたところを、レオネルが止めた。
「内側から食い破られる可能性もある」
レオネルが懐に仕舞ってあった丸めた書類をテーブルへと置く。
「これは、我が家で横領をしていた料理人が取引をしていた小麦粉の輸入先のリストだ」
夫人が紐を解いて中を確認すると、訝しげに眉を寄せた。
「貯蓄分がほとんどカラドネル領からになってるじゃない。満遍なく分配するように言ってあったはずなのに……」
「長年勤めてくれているからと、使用人を信頼しすぎましたね……」
レオネルはやりきれない様子で、目を瞑り、恐らく、と前置きをして話した。
保存食にも出来る小麦粉は前線に近いダムド領にとって欠かす事の出来ない物だ。なるべく多くの量を貯蓄しておくため、必要がなくても他領から定期的に輸入し、領主館の食糧庫に保存していた。
増えすぎた場合には新しい物と入れ替え、古いものは孤児院や教会に無償で下ろす。そうして長い間貯蓄した小麦粉は増えも減りもしていなかった。
だが、借金で首が回らなくなった料理人は、安い粗悪な小麦粉を貯蓄する分に回して、差額を懐に入れる事を思いついてしまった。
今回の事件で料理人の不正が明るみになり、改めて食糧庫を確認させたところ、貯められていたはずの小麦粉のおよそ三割が、食糧として使えない小麦粉になっていたそうだ。
「横領した料理人のシエロは、小麦粉を安く買って欲しいと最初に言ってきたのはカラドネルの商人だったと証言しています。我が家に来る他領の商人は皆領主から紹介されたものばかりですから……」
「そんな、まさか……。アルバーノン叔父様が……?」
「母上、信じたくはないかもしれませんが、カラドネル公爵が知らないとは思えません。料理人が借金を背負う事になった賭博場を捜査させようとしましたが、すでに蛻の殻でした。あの賭博場の責任者を紹介したのもカラドネル公爵だったはずです」
「あのクソジジイ……。娘の不始末をのらりくらりと躱しているだけかと思えば……」
話を聞いたサイロンが奥歯を噛みしめて唸った。
「今回の事件で使われたメイド服も、盗まれた形跡がないことから、パール嬢もしくはその付き人達の誰かが記憶して作らせたとしか思えません。もしあの服を持ってきたのが今回が初めてじゃないのだとしたら、屋敷を自由に歩いていた誰かが居たことになります。情報を抜き取られた可能性は高いかと……」
「でも、一体なんのために……?」
説明された夫人の顔色は真っ青になっている。
パールがどんなに性格の悪い娘でも屋敷に受け入れてきたのは、背後にいるカラドネル公爵を夫人が信用していたからなのだろう。
「母上、カラドネル公爵は、本当に王位を望んではいなかったのでしょうか?」
レオネルの言葉に、夫人は絶句した。
「そん、な……」
「ジュリアナと連絡をとる手段があった事からも、公爵は北とも手を組んでいる可能性が高いです。今回の事件はあまりにも杜撰なので、彼が直接関わっているかはわかりませんが……」
「そんな、嘘よ……」
夫人の目から涙が零れた。
レオネルは子供のようにポロポロと涙を零す夫人の傍に立つと、そっと肩に手を置いた。
その手に自身の手を重ねながら、夫人は嘘だと涙声で繰り返し呟いている。
セルディはそれを見ているしかない。
夫人とカラドネル公爵の間に何があったのか知らないセルディが慰めを口にする事は憚られた。
きっと、夫人にとってカラドネル公爵は優しい人だったのだろう。
(だから、ダムド領は無くなってしまったのかな……)
カラドネル公爵を、夫人が信じていたから。
こんな事件が起きなければ、夫人は最後までカラドネル公爵を信じたままだっただろう。知らない間に内側を毒に侵されているなど思いもせず、きっと小麦粉も確認もしないで戦地に送ったりしたのだろう。
しかしその小麦粉は使い物にならなくて戦場は……。
(……あっ!!)
小麦粉。
セルディは思い出した。
火薬を使わなくても、建物を破壊出来るモノ。
「あの、こんな時にすみません……」
「セルディ、どうした?」
未だ泣いている夫人を前にして声を出すのは緊張した。
だが、もし自分の考えが正しいのであれば、今現在も、この建物は危険の中にあるという事になる。
「カラドネル領から輸入した小麦粉、見せて貰ってもいいでしょうか……?」




