44.顛末を聞きます 前編
お風呂に入って身支度を整えた後、セルディは部屋でのんびりと過ごしていた。
なんとなく部屋の外に出るのが怖かったのもある。扉を開けたらまたあの爪の長いメイドが居るのではないかと想像してしまうと身が竦んでしまったのだ。
そんなセルディの気持ちに気づいたチエリーが、何度か扉を開けてくれて、外に誰も居ないこと、もう偽物のメイドは捕まっている事を繰り返し教えてくれた。
こういう不安は何度も確かめて早めに取り払っておいた方が良いのだそうだ。
扉を開けても無理に外に出る事はせず、心が落ち着くようにと本や刺繍道具なども持ってきてくれて、チエリーとお菓子を食べながら笑い合っていたら気持ちは少しずつ落ち着いていった。
「セルディ、待たせた」
そして夜になって夕食の準備を終えた頃。レオネルと兄のサイロン、更にはサーニア公爵夫人までもがセルディの部屋へとやってきた。
(どうりで皿の数が多いと思った!)
どうやらレオネルがセルディの部屋で一緒に食事をするという話を聞き付け、夫人がついでに謝罪をしたいと申し出たらしい。
サイロンはその夫人に引っ張られてきたのだろう。
渋々やってきたと顔に書いてあった。
公爵夫人を上座に、セルディとレオネルは隣り合わせに座った。サイロンはレオネルの対面だ。
「セルディさん、今回の事は本当にごめんなさいね」
「えっ、いえ、そんな! こちらこそ私の問題で騒動が起きてしまったみたいで……」
薄い水色の綺麗なドレスを着た夫人に、申し訳なさそうに眉を下げながらそう言われてしまい、セルディは両手を顔の前で何度も振った。
「いや、もともとセルディをここに連れてきたのは、こういう騒動を懸念していたからだ。対応しきれなかったこちらに問題がある。兄上にも伝わっていると思っていたんだがな……」
「私は聞いていなかった」
申し訳なさそうな夫人とは違い、サイロンは相変わらず偉そうに見える。
そのサイロンの態度に夫人は眉を寄せた。
「聞かなかったの間違いでしょう? 私は話そうとしましたよ」
「そもそも母上がだまし討ちのような事をするからいけないのでしょう」
「あなたがさっさと結婚していればこんな面倒な事には……」
「母上、セルディの前で言い合うのはやめてください。兄上は謝る気がないなら出ていけ」
「……こちらの不手際であんな目に合わせた事を謝罪する」
レオネルにきっぱりと言い切られ、不貞腐れたように横を向いて言ったサイロンの頬には大きな痣が出来ている。
(あれって、もしかしてレオネル様に殴られたんだろうか……)
よくよく見れば唇も切れたような跡がある。
レオネルがセルディの代わりに思い切り殴ってくれたのだろう。
その事実だけで、セルディの溜飲がいくらか下がった。
確かにあの夕食会がなければあんな目には合わなかったかもとは思うが、セルディはサイロンの事を非難するつもりはない。
悪いのは実行したブルノーだし、サイロンもわざとこんな事を起こした訳ではないだろう。
たかが夕食を一緒に食べたくらいであんな事が起きるなんて、誰も思っていなかったに違いない。
パールとセルディは初対面だったのだから、何かするにも時間が早すぎる。
それに、情報の伝達不足があった事は否めないが、あのまま実家に居たとしたら野外で襲われていたかもしれないのだ。
その可能性にブルリと寒気が走ったセルディは、嫌な気持ちを追い払うように顔を横に振った。
「今回の顛末を話す前に、まずは食べよう。セルディ、どれが食べたいんだ?」
「ふぇっ!?」
夕食は時間を気にせず食べられるようにとすべての料理が大皿に並べられていた。
取り分けるのは使用人だと思っていたセルディは、予想外のレオネルの問いかけに固まる。
「これとかおすすめだぞ。脂がのっていて美味い。あとはコレと……」
あれとそれと、とたくさんの種類を更に盛られるのを、セルディは戸惑いながら見つめる事しか出来ない。
「あ、あの、レオネル様! もう、もう一杯です! そんなに食べられません!」
さすがにそれ以上は無理だと止めると、レオネルは「そうか?」と言いながらセルディの前に皿を置いてくれた。
小山のうちに止められた事に、セルディはホッとする。
「そんなに気に入っていたのなら最初から手紙に書けばよかったでしょう」
一度口元をナプキンで拭ってから、夫人がそう切り出した。
レオネルは自分の皿に好きな食材を乗せながら、苦々しげな口調で返す。
「……だからといってまさか兄上に紹介するとは思いませんでしたよ」
「私はこの街が発展するならどちらでもよかったんですもの」
顔を横にツンと逸らして言う夫人は、さっきの拗ねたサイロンとそっくりだ。
「はぁ……、母上も少しは自重して下さい。兄上はあなたに似て頑固なんですから、決められた結婚に従う訳がないでしょう」
「それとこれとは話が別です。サイロン、早く結婚して跡継ぎを作りなさい」
「母上がもう一人お作りになればよろしいのでは?」
話を振られたサイロンはレオネルと同じように苦々しげに言い返す。
「出来る事ならそうしたいところですけれど、子供は一人では作れないのですよ」
「二人とも……、子供の前でやめてください……」
「だからここにはあまり帰ってきたくないんだ……」
使用人が注いだワインを飲み込み、サイロンが呟く。
セルディは三人のやり取りを見て、なんだかダムド家の親子関係がわかってきたような気がした。
(サイロン様は母親似で、レオネル様はきっと父親似よね。それで、サイロン様はサーニア様に同族嫌悪のような感情を抱いてるって感じかしら……)
あまり顔を合わせたくないサイロンはたびたび視察に出かけ、ダムド領はサーニア様がほぼ一人で切り盛りをしてきたのだろう。
そんな二人の間を取り持てるレオネルは王都に、父親は辺境地で睨みを利かせていて帰る事が出来ないでいる。そのため、家族間での情報共有が上手くいかなかったのだろう。
「セルディ、美味いか?」
黙々と食べていたセルディは、レオネルの言葉に慌てて頷いた。
「あ、はい! とっても美味しいです!」
「それはよかった」
こんなに甘い人だっただろうか。
ちらりと横目で見たレオネルは、頬を緩ませながらセルディが食べる様子を見ている。
見られているという事実がなんだかとても恥ずかしいが、セルディは食べるしかない。
(心臓に悪すぎる! 早く食べ終えよう!)
セルディは頑張って口を動かした。
*****
夕食後のデザートも食べ終え、各自に好みの紅茶が入れられた後、レオネルが姿勢を正した。
さっきまでの和やかな雰囲気とは違い、肌がピリピリするような空気に、セルディも少し緊張する。
「さて。約束通り、わかる限りの事件の顛末を教えよう」
レオネルは準備してきた沢山の書類を見せながら、セルディにもわかるように説明をしてくれた。
まず、事の発端は、ブルノーが社交界を追放された事から始まる。
侯爵の子息として甘やかされて育ったブルノーは、たくさんの愛人を持ちながら、自分の婿入り先を探していた。
そんな彼が最初に目を付けたのは、そこそこの資産を持つ伯爵令嬢だった。
伯爵家の一人娘でありながら、容姿も端麗な彼女はその年の社交界の花形で、爵位を継承出来ない男達はこぞって彼女を狙っていた。
ブルノーもそんな彼女を狙っていたが、侯爵家の子息とはいえ彼は性格の悪さが顔に出ているような人間で、元々の評判もよくなかった。
とある夜会であっさりと振られたブルノーは、無理やり令嬢を手に入れるために金銭を使って使用人を買収し、令嬢を個室に連れ込んで不埒な事をしようとした。
だが、結果としてブルノーの企みは成功しなかった。
廊下を巡回していた兵士がたまたま通り過ぎた事で事なきを得たのだ。
現行犯で捕えられたブルノーを一人娘を溺愛している伯爵家が許すはずもなく、その他の嫁入り前の娘を持つ貴族達からまでも不快感を示されてしまったブルノーは、公にはなっていないものの社交界を追放された。
「はぁ!? 他にも被害者が居たんですか!?」
社交界から追放されたとは聞いていたが、まさかそんな醜聞を撒き散らしていたとは、セルディは自分の事も含めて怒りに体が震えた。
「安心しろ、あのクズには俺が制裁を加えておいたからな」
「ぁ、ありがとうございます……」
宥めるような優しい眼差しを向けられ、セルディは大声を出した事が恥ずかしくなって体を縮める。
「そんな馬鹿な息子の将来を心配した侯爵が目を付けたのがセルディ、お前だ」
今は貧乏貴族ではあるものの、ポンプの利権と領地内にある商会の売り上げにより発展の兆しのある隣領。
未だ社交界に出るほどの財産はないため、三男の噂もまだ詳しい話は聞いていない可能性が高く、婚約者にさえなってしまえば高位貴族相手の婚約を子爵からは破棄出来ない。
馬鹿をやった三男の婿入り先に丁度良いと侯爵は考えた。
ブルノーもセルディが子供だという点には不満があったものの、相手の爵位が低いからこそ好きに生活できると唆され、その気になったようだ。
好きになんて出来るはずがないことを、ブルノーは知らなかったらしい。
なぜ出来ないかと言われれば、基本的に結婚をすれば夫が爵位を受け継ぐとはいえ、その次に爵位を継承出来るのは血族である妻が生んだ子供だけだからだ。
こういうところは細かく決められており、王都から管理人が派遣されて調査されたりもする。もちろん愛人の子供は非嫡出子とされ、財産や爵位は継承されない。
常識的な貴族であれば婿入り先で好き勝手出来るだなんて馬鹿な事は思いつかないものだが、ブルノーの頭は余程悪かったのだろう。
「だが、フォード子爵夫妻が噂に疎くとも、貴族と関わりのあるガルド商会長はブルノーの評判を聞いていた」
伯父はブルノーの噂の真偽を確かめ、推測も含めて両親に伝えたのだそうだ。
道理でセルディの母が激怒していた訳だ。
そんなこんなで無理やり婚約をさせられる前にセルディを逃がす事には成功したものの、ブルノーはそこで諦めなかった。
「あの馬鹿はポンプの利権を商人に売り払い、使用料を徴収して大儲けしようと考えたらしいな。目の付け所は悪くないが、馬鹿はポンプは王家が管理しているということを忘れていたようだ」
忘れていたのではなく、理解していなかったの間違いだと思うが、セルディはわざわざ突っ込んだりはしなかった。そういう事にしたいのだろうな、と思ったのだ。
「最近のカザンサ侯爵領は金の管理が雑過ぎる。そこを陛下も懸念されており、丁度調査を入れ始めたところ、ブルノーは監視の目を潜り抜けてダムド領へと向かってしまった」
――セルディと無理やり婚約するために。
あの粘着質な視線を思い出してセルディの体はブルリと震えた。
「そこは本当に申し訳なかったわ。カザンサ侯爵の息子の話はレオネルからも聞いていましたから、ベガの街に入れないように手配書も作っておいたのだけど、まさか愛人と夫婦のフリをして街に入るなんて……」
「細かな審査から逃れるために賄賂も渡していたようです。受け取った門番については現在調査中ですが、明日には捕まるでしょう」
セルディは自分がそこまで大切にされていたとは思わず驚いたが、そこまでしてまで自分と結婚したがるブルノーの気持ちはよくわからなかった。
爵位を継げないとはいえ、侯爵の息子ならば一生贅沢をして暮らしていけそうなものなのに……。
「はぁ……、レオネルだけじゃなくて、旦那様にも怒られちゃうわね……」
「悪いのは受け取った人間であって母上ではありません。父上もわかってくれますよ」
片手を頬に当てて落ち込む母親を、レオネルは苦笑しながら慰めた。




