31.公爵夫人と食事をします
(やばい、忘れてた……)
セルディはベッドから上半身を起こした状態で、ちゅんちゅんと鳥が鳴く声を聞いていた。
鳥たちの声はとっても爽やかだったが、セルディの内心はそんな爽やかさとは打って変わって荒れ模様だった。昨夜見た恐ろしい夢……、前世で見た記憶のせいだ。
(なんでこんな大事な事を忘れてたのよ私ー!!)
前世の記憶も万能ではない。
前世の自分が興味のなかった分野は一切覚えていないし、ド忘れしてしまった事も多々あり、なんらかのきっかけがなければ思い出せない物なんて腐るほどある。
セルディの前世と思われる女性は、この世界によく似た世界を舞台に描かれた、グレニアン戦記という分厚い本が好きだった。実写化もしていて、セルディとしてはこの実写化されたものがわかりやすいし、強く印象に残っている。
一方、原作の方は大まかなストーリーや推しキャラであるレオネルが死ぬシーンなど、印象深かった部分は覚えているのだが、はっきり言ってその他は飛び飛びにしか記憶していない。
なぜなら、グレニアン戦記は王位奪還編で三冊、内乱編で二冊、侵攻編で三冊、晩年編で一冊という超長編作品だったのだ。
細かな伏線も恐らく書いてあったのだろうけれど、そんな細かな部分まで大人だった前世ならともかく、十二歳のセルディがずっと覚えていられる訳がない。
(思い出せてよかった……けど、これってどうすればいいんだろう……)
そして今回セルディが思い出したのは、ダムド領の事だった。
ダムド領は、侵攻編よりも前に敵国によって侵略されて壊滅させられてしまうらしいのだ。
その話は侵攻編でレオネルが敵軍と対峙する時の回想として一ページほど説明される。
何故壊滅してしまったのか、何故石の街が炎に包まれていたのか、それらは推測はされたが、詳細は書かれていなかった。
この世界があの物語と同じ世界なら、今は王位奪還編と内乱編の間だろう。今のセルディの立ち位置は物語には描かれない裏の部分とも言える。
セルディが思い出せる限り、フォード領に敵軍が侵入するのは侵攻編の一番最初……。ダムド領はそれよりも前だが、内乱編よりは後なのでまだ時間はある。ある、が、ダムド領の徹底した警備を潜り抜け、あの大門を瓦礫にするほどの威力のある大きな魔道具を運ぶ事なんて出来るのだろうか。
(……わからない)
セルディはベッドに倒れこんだ。
同時に、チエリーが扉をノックして入ってくる。
「お嬢様、まだ寝ていらっしゃるんですか? そろそろ起きないと、公爵夫人のサーニア様が朝食を一緒にと仰られてましたよ」
「えっ!! 嘘!!」
セルディはもう一度勢いよく起き上がり、慌ててベッドから飛び降りた。
服装は昨日のままだし、お風呂にも入っていないし、荷物の整理だってしていない。
こんな状態ではレオネルの母でもある公爵夫人に呆れられてしまう。
好きな人の母親に嫌われたくない。そんな焦燥感に駆られ、セルディは慌ててワンピースを脱ぎ捨てた。
「お、お嬢様! 慌てなくても準備をする時間はあります!」
「そうそう。ちゃんと時間に余裕をもって起こしに来たに決まって……」
「うぇえええ!? ちょ、ジュード今出てきたらダメ……ッ!!」
「ジュード様!! 出てこないで下さいませ!!」
ベッドの側にある扉から身支度を終えて出て来たジュードに、チエリーがソファの上にあったクッションを素早く投げつける。
「っと、こりゃ失礼」
それをなんなく受け止めたジュードは大人しく部屋へと戻って行った。
「……お嬢様、こういう事もあるかもしれないので、もう少しお淑やかに行動して下さい」
「ゴメンナサイ」
「さ、お風呂は時間的に無理ですが、体だけでも拭いておきましょう」
セルディは反省し、大人しくチエリーに手伝われて身だしなみを整えたのだった。
*****
「セルディさん、ようこそダムド領へ。わたくしはサーニア・ディ・ダムド。ダムド領の領主ベイガ様の妻で、今はこのベガの街で領主代行をしています」
それなりに見られる姿になった後、セルディは部屋に迎えに来てくれたメイドの案内で大きな縦長のテーブルに沢山の椅子が並べられたダイニングルームへとやってきた。
テーブルの一番奥にはすでに公爵夫人が座っており、セルディは彼女のあまりの美しさに目を見張った。
(さすがレオネル様のお母様!! すごい美人!! 成人済みの子供が二人もいるとは思えない美貌!!)
豪奢な金髪と、綺麗な水色の瞳を持つサーニア夫人は、遠目から見てもスタイル抜群で、指先までもが洗練された動きをしていた。
なるほどこれが王族か、と納得できる所作に、セルディは自分の拙い仕草が少し恥ずかしくなる。
「んん……っ」
「あ、セ、セルディ・フォードです。この度はこちらのお願いを聞き入れて下さり、ありがとうございますっ」
もじもじとしてしまったセルディを叱咤するように、チエリーが喉を鳴らしてくれたお陰で、セルディは拙いながらも挨拶をする事が出来た。
「ほほほ、初々しいですわね。あなたにお会いするのを楽しみにしておりました。さあ、席にお座りになって」
「ありがとうございます! わっ、私も公爵夫人とお会い出来て光栄です!」
使用人に引いてもらった椅子へと座ると、朝食が運ばれてきた。
厚切りのベーコンにスクランブルエッグ、サラダにはチエリーが言っていた花も添えられており、メイドの持つ籠にはパンがたくさん入っている。
どれも美味しそうだ。
結局軽食も夕食も抜いてしまったセルディはお腹が鳴りそうになるのを必死で堪えながら、準備が終わるのを待った。
「では、この日の食事が出来る事に感謝を……」
「感謝を……」
胸に手を当てて、目を閉じる。
フォード家では以前は祝祭の時だけ行われていたが、最近は毎食きちんとやるようになった食前の祈り。これは貴族の常識らしい。前世で言う、いただきます。みたいなものだ。
「では、いただきましょう」
祈りを終えた公爵夫人が朝食に手を付けた後で、セルディも手を付け始める。
炙られたベーコンはナイフで切ると肉汁が出るし、スクランブルエッグはふわふわだし、ドレッシングのかかったサラダはシャキシャキと良い歯ごたえがあって、とても美味しい。
セルディはあっという間に食べ終えてしまった。
「あら、ふふふ。おかわりはいかがです?」
「あ……、ええーっと、じゃあ、パンを、もうひとつ……」
セルディの言葉を聞いて、メイドがさっとふかふかのパンをひとつ更に乗せてくれた。
「美味しそうに食べる方と一緒に食べると、更に美味しく感じられるから不思議ですわよね。最近は一人で味気ない食事をしておりましたの……。これからはセルディさんが一緒に食べて下さると嬉しいわ」
こんな美人に綺麗な微笑みを向けられて、頷かずにいられるわけがない。
セルディはマナーも忘れて、頭を何度も上下に振った。




