29.公爵家に行きます
夜道を百騎もの騎馬隊がひた走る。
先頭にはこの騎馬隊の隊長に任命されたレオネルが、こめかみに嫌な汗を掻きながら愛馬を全力で走らせていた。
「あと少し頑張ってくれ……ッ」
疲れの見える愛馬を労りながらも、その足を止めてやることは出来ない。
一刻を争う事態に、レオネルの焦燥感は募っていく。
ようやく目的地へと到着すると、そこはすでに戦火によって燃えていた。
花が咲き誇っていた美しい景色は、今や面影もないほど壊されている。
「父上!! 母上!!」
彼の悲痛な叫びに、応える者は居なかった。
*****
「お嬢様、セルディお嬢様……」
「ハッ!!」
肩を揺らされて、セルディは目を開けた。
周りを見ると、隣には侍女として付いてきてくれたチエリーが居て、正面の小窓からは御者をしているジュードの背中が見えた。
「あれ、私寝てた……?」
「はい」
どうやら爆睡してしまっていたらしい。
なんだか怖い夢を見た気がするのだが、よく思い出せなかった。
「嬢ちゃん、もうここは公爵領だぞー」
「えっ、嘘!!」
小窓から聞こえたジュードの声に、セルディは慌てて窓に掛けられたカーテンを開ける。
「わあ……」
そこには綺麗な黄色の花畑が広がっていた。
北国からの防衛を務めるカッツェ辺境伯領の南にあるダムド領。
北側をぐるりと覆うように山に囲まれたカッツェ領とは違い、ほとんどが平地のダムド領はカッツェ領から鉱石や魔石、木材などを買い、それらを加工して流通させる事で大きな利益を得ていた。
王妹であったサーニア公爵夫人は商人達の扱いが上手く、商人は様々な恩恵を受けられるため、戦地が近いにも関わらず、ダムド領は商人が多く訪れる地にもなっている。
「綺麗ねぇ……」
「あれは食用なんですよ」
「食用なの? あんなに綺麗なのに……」
「サラダによく使われます」
「そうなんだぁ……。美味しいのかな……」
「美味しいですよ。歯ごたえが癖になります。この地では一般的な食べ物なので、お嬢様も食べられますよ」
「そうなんだ、楽しみ!」
チエリーに笑顔で返すと、今度はジュードからも声がかかった。
「嬢ちゃん、こっちからは領主様の館がある街が見えるぜ」
「どれどれ……」
誘われるまま、今度は小窓から外をのぞいてみる。
「すっごい!」
小窓からまず見えたのは豪華さを重視した王都とは違う、堅牢な城壁だった。塀の中にはいくつもの赤い屋根が見え隠れしており、中にあるのが煉瓦と石で作られた建物だという事がわかる。
「カッツェが攻め落とされた場合、次に狙われるのが目と鼻の先にあるダムド領だからな。籠城出来るような造りになってんのさ」
「なるほどぉ……」
その話を聞いて、セルディはなんとなく頭にひっかかるものがあったような気がしたが、馬車が門へと到着すると、その違和感は忘れてしまった。
門前にはたくさんの馬車が並び、中に入れる順番を待っている。
「すごい人……」
「ここで通行証に記載された身元や人数、それから荷物の数の確認をしないと中には入れません」
「荷物の数まで!?」
「起爆系の魔道具なんか持ち込まれたら一大事だからな」
「そ、そっか、そうだよね……」
小さな物でも工夫次第で木を一本倒せるくらいの威力を出せるのだ。大きな魔道具が持ち込まれてしまったら仮令頑強な石の壁でも壊れてしまうだろう。
セルディが緊張したのがわかったのか、ジュードは明るい口調でフォローした。
「ま、そういう危険性も考えて、建物は全部燃えにくい素材で作ってあるから大丈夫だ」
「国境が近い領って大変なのね……」
「ははは、フォード領は基本的に平和だからなぁ」
平和……。
セルディはフォード領に残してきた課題を思い出す。
(まだ、大丈夫よね……)
命の危険がある場所に人を見に行かせる訳にはいかず、あの洞窟には現在、毒霧注意の立札だけ立ててある。田舎領地での識字率はそんなに高くないので、どこまで抑止力になるかはわからないが、これ以上の被害者は出ない事を祈りたい。
問題は、敵国にあの洞窟が見つかる事。
一度目撃しただけで、そこから侵入しようなんて考えるはずがない。絶対に誰かが何度も行き来して様子を見ていたはずだ。
(やっぱりガスマスクが欲しい……)
人が死んでいるから、濃度が高い事は間違いない。
そんな場所に布マスクで入るのは怖すぎる。
(作るなら革よね……。目の部分はガラスで……)
しかし、一番大事な吸収缶の作り方がわからない。
(あれがなきゃ意味ないのにー! やっぱり酸素ボンベしか……。でも酸素を液体化なんて私の前世の知識じゃ無理ー!)
セルディが頭を悩ませ、眉間に皺を寄せていると、体を揺さぶられた。
「お嬢様……、お嬢様!」
「ハッ!!」
「目を開けたまま寝ていらしたんですか?」
「え、あ、いや、あははははー。どうしたの?」
「もうすぐ順番が回ってきますよ」
「中に入れるのね!」
やったぁ。
初めて見る街というのはどうしていつもワクワクするのだろうか。
セルディは体を揺らして、順番が来るのを待った。
「いいですか、じっとして喋らないで下さいね」
「はーい」
良い子の返事をして、セルディはカーテンを少しだけめくって外を見てみる。
チエリーには行儀が悪いと小さな声で言われたが、気になるものは気になるのだ。
ジュードの操る馬車がゆっくりと門の下へと進み、衛兵に指示されるまま止まった。
「ようこそダムド領の主都ベガへ。通行証を見せてくれ」
「あいよ」
よく日焼けをした肌の男が、ジュードから手紙を受け取り、中を開く。
「ほう、領主館に行儀見習いに行くのか。珍しいな。一応馬車の中を確認させて貰ってもいいか?」
「もちろんだ。ただ、お嬢様に傷を付けたらお前はクビになるからな。気を付けろよ」
脅すようなジュードの言葉に、衛兵は肩を竦め、馬車をノックしてから開けた。開けられる前に、セルディはすまし顔で椅子に座りなおしたが、チエリーは眉を寄せたままだ。
(これは後で怒られる気がする……)
「ふむ、記載通り御者が一人に乗客が二人だな。一応椅子の下を見せてもらってもいいか?」
「わかりました」
戦地の近くに住んでいる人間だから、筋骨隆々かと思ったのだが、そうでもない。
酒場のおじさんのような風貌の男に指示され、チエリーに言われるがままセルディは立ったり、座りなおしたりを繰り返した。
「ご協力ありがとう」
「どういたしまして」
礼を言われたので、かわいい笑顔付きの礼を返したのだが、セルディは男に奇妙な物を見るような目で見られた。
「失礼致します」
そんな男を放置して、チエリーは何事もなかったかのように扉を閉める。
馬車はそのままゆっくりと動き出した。
「……あれ、私、失敗した?」
「だから何も言わないようにと言ったでしょう」
「ええー!! お礼を返すのって普通じゃないの!?」
「貴族が平民に礼を返すのは普通ではありません」
「ええー!!」
フォード領では普通に返してたのに……。
チエリーはセルディの視線から困惑を正確に受け取り、真剣な顔をして説明をする。
「フォード領とここは違います。きちんと上下関係を意識しないと付け上がりますよ」
「えぇ……? そこまで……?」
「いいですか、貴族というものはですね……」
セルディは公爵家の館に着くまで、チエリーに平民と貴族の付き合い方について教えられた。




