17.淑女教育を受けます
運命が変わった即位式からそろそろ二か月。雨季は過ぎ、夏がやってきた。
父はポンプの試作品を完成させ、実際に水が汲める事を確かめた後、陛下宛に手紙を送った。
なんと書いたのかはわからないが、興味を持たれれば使者が来るだろうと教えられている。
どうなるかはわからないが、、陛下からの返事はすぐには来ない。ならばその間に次の儲かりそうな何かを作ろう。
セルディの頭の中では、次なる発明の候補がいくつも並び始めていた。
家に帰って母シンシアに会うまでは。
「おかあさま、お腹が痛いです……」
「我慢なさい」
「おかあさま、背中も痛いです……」
「そのうち慣れます」
ピンクのコサージュの付いた黄緑色のドレス。母が着ていた物をセルディ用にリメイクした物だ。いつもだったら喜んで着たそのドレスが、今のセルディには苦痛だった。
「お、おかあさま、くるしい……」
「淑女への第一歩です」
「う、ううう」
「涙を見せてはいけません」
痛いほど締め付けてくるコルセットに半泣きになりながら、頑張って目の前の紅茶を飲む。
セルディは今、母による淑女教育を受けていた。
平民になる予定だからと放置されていたセルディの淑女教育が再開されてしまったのだ。
貴族のままで居る事が決まり、しかも国王陛下に目をかけて貰った。という事を自慢げに話したのがそもそもの間違いだった。
淑女らしからぬ振る舞いに大目玉を食らった。
セルディは母が貴族のマナーにうるさいのをすっかり忘れていた。
『陛下とルード様の会話を遮ったのですか?』
『え』
『あら、私にはそう聞こえましたけれど……』
『いや、だって……』
『言い訳はいりません。平民になるからと貴族のルールを教えなかった私の不手際ですわ……。明日からしっかりと勉強致しましょうね?』
『……ハイ』
セルディと同じ、金茶の巻き毛に緑の目。そして貴族にも求められる美貌の持ち主の目は、笑っていなかった。
思い出してブルリと体を震わせたセルディは、誤魔化すように目の前のクッキーに手を出す。
母も今日はセルディに合わせて、珍しくベージュ色のシックなドレスを着ているが、その仕草は優雅としか言いようがない。
平民だったはずなのに、すごすぎる。
「食べかすをこぼさないように」
「はい……」
「背中を丸めない」
「は、はい……」
「食べる時は歯を見せないように」
「は……」
「食べながら喋らないように」
「……」
食べている最中にもどんどん指摘され、セルディは心の中で盛大に嘆いた。
(お、美味しくない! 美味しくないよぉー‼)
味を感じる事が出来ないクッキーを、口を動かしてなんとか飲み込んでいると、家の玄関から中庭に向かって歩いてくる父の姿が目に入った。
その顔は相変わらずの無表情。平民よりも少しだけ質の良い服を着た父は、セルディと母のやり取りを見ていたのか、頬を指で掻きながら自身の妻に声をかけた。
「シンシア……、あまり詰め込んでも身に付くとは思えないが……」
「あら、ルード様。おかえりなさいませ。セルディ、お父様にご挨拶を」
父の言葉を華麗に無視して、礼を促す母に遠い目をしながら、セルディはゆっくりと上品に見えるように立ち上がった。
「お、おかえりなさいませ、おとうさま……」
コルセットが肋骨をきしませるのを我慢しながら、スカートを持ち上げて礼をする。
身体がぷるぷるするのは仕方がない。
即位式でコルセットを付けなくて本当によかった。
付けていたら礼すら出来なかったかもしれない。
こんなきついものをずっと付けてる貴族令嬢はすごいと、セルディは王都の貴族達を見直した。
「セルディにお父様と呼ばれるのは、なんだか違和感があるな……」
「私もそう思いマス……」
でも母の命令だから仕方がない。
「それで、どうかなさいました?」
「いや、先触れが来てな」
「まぁ、では使者の方が?」
「そうだ。こちらで一泊してから、里帰りなさるそうだ」
「では客室の準備は必要ですわね。使者はどなたが?」
「それが……」
父がチラリとセルディを見た。
何故見られたのかわからず、首を傾げると、溜め息混じりに言う。
「レオネル様だそうだ……」
「え……、えええええ‼」
「セルディ‼」
思わず叫んでしまって、母に叱責されるが、気にしている場合ではない。
何故、わざわざレオネルが、こんな辺鄙な場所に来るのか。
「ど、どういう事ですか⁉ え、うちにはそんな上等の客室なんかないですよ! あ、でも高級な宿屋もない!」
頭の中はどうしようでいっぱいだ。
「まったくこの子は……。落ち着きなさい。急ぎキャンベル商会で貴族向けの寝具をレンタルしましょう。兄も事業のためとなれば喜んで貸してくださるわ」
「そうするか。……まさかダムド公爵家の方が来るとは私も思わなかったが、恐らく北の国境の様子を見るついでだろうな」
撤退したとはいえ、まだ油断できない状況だと聞くからな。
そんな父の言葉にセルディも納得した。
(そういえば、ここってダムド領までの補給線の一つなんだっけ)
レオネルに言われた言葉を思い出す。
そういう理由も含めて、ついでに来てくれるというなら歓迎しない訳にはいかない。が、未だ貧乏なままの領地を見てガッカリされないか、不安しかない。
(もっと立て直しが進んでから来て欲しかった……‼)
セルディとしては、前世の知識チートやらを使ってウハウハお金稼ぎ、なつもりだったのだが、すべてはそう簡単にはいかなかった。
なにせセルディが、というより、前世の女性が覚えている知識がそもそもうろ覚えなのだ。
こういう形で、こういうのがあった。でもどうしてこんな形をしていたのかはわからない。という事がたくさんある。
今はとりあえず作り方がなんとなくわかっている精油を作ろうと、蒸留器を鍛冶師のヤンに作ってもらっている最中だ。
(あれが出来たらエッセンシャルオイルが作れる‼)
この世界ではソーブの実、という実を粉にして水に溶かすシャンプーが主流なのだが、どうにも髪の毛がパサつく。
だから貴族女性は、髪に香油をたっぷり付ける訳なのだけれど、それがセルディ的には苦痛だった。
(香りがきつすぎるのよ!)
動物性の油を使っているためにでる獣臭を消すためなのだろう、かなりの量の匂い付けをしている。
淑女教育を始められ、無理やり付けられてから、もうちょっとなんとかならないのか、と考えた結果が精油を作る事だった。
管の部分が細いのでヤンだけでは難しく、商会専属彫金師のレイドにも手伝ってもらって今実験中だ。
セルディも母のレッスンが終わり次第、経過観察に行くつもりだったのだが……。
(レオネル様が来るなら部屋の片づけしなきゃー‼)
発明をするため、物語の時系列を確認するため、思い出した話の考察をするため、などなど。色々な事をメモした紙が部屋中に散らばっている事を、セルディは思い出してしまったのだった




