40.助けて貰います
誰かが覆いかぶさり、何かがぶつかる音がした。
「セルディ!?」
アウレリアの叫び声が聞こえ、すぐに香ってくる鉄の匂い。
この匂いは以前にも嗅いだ覚えがある。
暗い夜道の、馬車の中で……。
セルディは嫌な予感に呼吸を浅くしながら、一体誰が自分の覆い被さったのかと、顔をあげた。
「お嬢サマ、大丈夫っすか?」
「ヤ……ニク?」
そこには、眉を顰めたヤニクの顔があった。
ヤニクはそのまま、ゆっくりと床に膝を突く。
しゃがみ込むヤニクの背中に見えたのは、ナイフの柄。
「なんで、ナイフが……? え、ヤニク……?」
意味がわからない。
セルディの思考は完全に停止していた。
何が起きて、どうしてこうなったのか、わからない。
このナイフは、ヤニクが庇ってくれなければ、セルディに刺さるはずだったものだと気付くと、あまりにも現実味がない状況に、セルディは身体を震わせた。
ブルーノはセルディを誘拐はしても、危害を加えようとはしていなかった。
危害を加えるのであれば、わざわざ誘拐なんてまどろっこしい事はしなくても十分出来ただろう。
ブルーノはただジョーイ祖父を王族の親族という立場から引きずり降ろしたかっただけだ。
なら、一体誰が、なんのために、セルディにナイフを向けたのか……。
混乱していた頭は、アウレリアの声で現実に引き戻された。
「だ、誰か! ノーマンを捕まえて頂戴!」
「はっ、はいっ!」
「やめろ! 離せぇ!!」
辺りを見れば、愕然とした表情で立ち竦むブルーノと、毅然とした態度で使用人達に命令するアウレリア。
そして、男が三人がかりで床にうつ伏せで押さえつけられている、手が赤く染まった男がいた。
犯人が確保されたのを見て、セルディはようやく頭が回り始めた。
「あ、あの、誰か、お医者様を……!」
「はい!」
セルディのお願いに、扉の前に立っていた使用人の一人が駆け出す。
前世の知識で、こういう場合はナイフが抜けると大量出血するという話を聞いた事がある。
セルディは何か布はないかと辺りを見渡していた。
そこに、ヤニクが声をかけてくる。
「あー……、お嬢サマ、大丈夫っす」
やや苦しそうな声でヤニクがそう言うが、そんな事を言う事自体、セルディは信じられなかった。
「ナイフが刺さってて、大丈夫な訳ないでしょ!?」
「いや、ほんと、大丈夫っす……。ちょっと、お嬢サマ、このナイフ抜いて……」
「はぁああ!?」
あり得ない要求にセルディは目を見開き、ヤニクの肩に手を置いた。
今でも刺さった部分から血が溢れているというのに、抜いたら出血多量で死ぬかもしれない。
ヤニクが死ぬかもしれない、そう考えたら、セルディの目には涙が溢れてきた。
「ばかぁ! なんで私を庇って刺されるの!」
「いだだっ、お、お嬢サマ、ほんと大丈夫っすから、とにかく抜いて……」
涙で滲む視界のままヤニクの肩を揺すったら、その衝撃も痛かったのか、ヤニクが珍しくも情けない声を出す。
セルディは慌てた。
「ご、ごめんなさい……。でも、抜くなんてダメよ、出血多量でし、死んだら、ど、どうす……うぅー!」
セルディが本格的に涙を流した時、外からバタバタと大きな足音が聞こえてきた。
医者を呼んで来てくれたのかとセルディが顔を上げる。
「セルディ! ここか!!」
駆け付けてきてくれたのは、髪を乱し、汗だくのレオネルだった。
「レオネル様ぁあああ! ヤニクがぁあああ!!」
「セルディ? ……これは、どういう状況だ?」
辺りを見渡したレオネルがやや呆然としながら室内に入ってくる。
王族の登場に、ブルーノが頭を下げ、壁際に下がるのが見えた。
その姿に眉を上げたレオネルは、とりあえずラムにブルーノの見張りを任せ、セルディの傍に寄った。それから、目視で身体に怪我がないことを確認した後、そっと身体を抱き上げる。
「怪我はないか、よかった……」
「レオネル様! 私よりもヤニクが!!」
ジタバタと暴れ、自分よりもヤニクの怪我を見て欲しいとお願いする。
レオネルは元気そうなセルディに安心したのか、セルディを降ろしてくれた。
そのままヤニクの背後に周り、怪我を確認する。
「これはまた、深く刺されたな」
「これ絶対抜いたらダメですよね!? でもヤニクが抜けって言うんですよ!!」
「あー、手が届けば自分で抜くのになぁ……」
遠い目をしているヤニクはなんとかナイフの柄に手をかけようと背中に手を伸ばしている。
レオネルは少し考え込んだ後、ナイフの柄に手をかけた。
「え、嘘、レオネル様!?」
「ぐ……っ!!」
ヤニクの背に刺さっていたナイフは、勢いよく引き抜かれた。
「ほら、抜いたぞ」
「レオネル様ぁああ!? し、止血! 止血しないと!!」
セルディは自分の身体をまさぐり、何か止血の素材になるものはないかと探す。
そして、自分の腰に巻かれたコルセットの存在を思い出した。
一人でも緩めれるようにと正面で結ばれたこの紐は、引き抜けばかなりの長さになるはずだ。
「これだ!」
セルディは勢いよく紐を解き始めた。
「お、おいセルディ、待て! 淑女がコルセットを外すなど、貴族としての体裁が……!」
「そんなものより、ヤニクの方が大事です!」
レオネルの制止など聞きもせず、あっという間にコルセットを外し、コルセットもまとめて血に塗れたヤニクの背中に回す。
「えっとえっと、ここら辺を押さえればいいのかな?」
「はぁ……、こっちだ。ここを、こうして、こうするっ!」
「ぐえ!」
レオネルによって締め上げられたヤニクが潰れたカエルのような声を出したが、セルディは応急処置の成功にホッと息を吐いた。
次の瞬間、肩にばさりと布が降ってきた。
「わっ!」
見れば、それはレオネルの上着だ。
「とりあえず、これでも羽織っておけ」
コルセットを外したドレスは、締め付けがなくなった分、やはり少し不格好に見えたのだろう。
レオネルの気遣いに感謝をし、セルディは上着を羽織らせて貰った。
「ぶかぶか……」
「小さ……。んんっ、少しの間だ。我慢しろ」
「え、今小さいって言おうとしてませんでした? そりゃレオネル様に比べたら小さいですけど!」
頬を膨らませるセルディに笑い、頭を撫でようと手を伸ばしたレオネルだったが、その手がヤニクの血によって汚れているのに気づくと、手を引っ込めた。
「とりあえず医者のところに運ぶか」
「はい! レオネル様、よろしくお願いしま――」
「くそぉ! 邪魔しやがって!」
レオネルにヤニクを運ぶのを頼もうとしていたセルディは、男があげた大きな声に驚いて、顔を向ける。
男は憎しみの籠った目でセルディを睨み上げていた。
「ノーマン! あなた、自分が何をしたかわかっているの!?」
アウレリアがノーマンと呼ぶ男の傍に立ち、強い声で叱責をしている。
身内による裏切りの衝撃で固まっていたアウレリアは、もうそこには居なかった。
青ざめてはいるものの、高位貴族の令嬢として、背筋を伸ばして立ち上がり、使用人を叱責している。
男はそれでも強い憎しみの籠った目でセルディを睨み上げ続けた。
「フォード家は、許されない!」
セルディはノーマンの言葉に眉を顰めた。
本当に意味がわからない。
何故見た事も話した事もない男に命を狙われないといけないのか。
元貧乏領地子爵家の何が許せないというのか。
セルディは怒りのまま一歩男へと近づくと、口を開いた。
「それはこっちの台詞よ! 私のヤニクにこんな怪我を負わせて! 絶っ対に許さないんだから!!」
「私のヤニク……」
「前から思ってたが、お前気持ち悪いぞ……」
何やら背後でヤニクとレオネルが話しているが、セルディの耳には入らない。
「一体私があなたに何をしたって言うの!?」
「お前は我らの神からの贈り物を盗んだ!!」
「……なんの話?」
セルディは目を瞬かせた。
知らない言葉に首を傾げるセルディに対して、レオネルは何かに気づいたらしく、さっとセルディを庇うように前に立った。
「お前、イグナリス教の狂信者か……!」
「狂信者……?」
イグナリス教はセルディも知っている、シルラーン国の火の神イグナリスを崇める宗教の事だ。
しかし、狂信者なんてものが存在するなんてことは知らなかった。
「火の魔石は火の神イグナリスが信徒のために作られた贈り物であり、すべての主権はイグナリス教団にあると主張する連中の事だ」
レオネルの警戒具合から、それがとてもやっかいな人達だという事がわかる。
「我らの贈り物を返せ!」
「そ、そんなこと言われても……」
セルディは宗教がわからない。
アデルトハイム王国も大々的に宗教を広めるような国ではなく、前世も無宗教だったのだから、当然と言えば当然だ。
だが、宗教というものがある人にとってはとても大切で、心の支えになっていたり、物事の指針になっている事は知っている。
すべての火の魔石が自分達の物だと信じているような相手と、どう話し合えばいいのか……。
セルディが困惑して口籠っていると、レオネルがノーマンに足早に近づき――。
「あがッ!!」
「レオネル様!?」
容赦なくノーマンの頭を蹴った。
「セルディ、こういう相手に理解を求めるのは無駄だ。それよりも、ヤニクを医者のところに連れて行くんだろう?」
「ハッ、そうだ。ヤニク!」
セルディはノーマンの事を頭から追い出し、ヤニクへと駆け寄った。
「お嬢サマ、俺は大丈夫っすよぉ~」
「嘘つき!! 早くお医者様のところに行くわよ! レオネル様、お願いします!」
「おう」
レオネルはセルディに頼まれ、ヤニクをやや乱暴に肩に担ぎあげる。
「ぐえ! ちょ、レオネル様、もっと優しく抱き上げてくれっす!」
「そんだけ元気なら大丈夫だ。――カザンサ侯爵令嬢」
「は、はい!」
突然話しかけられたアウレリアが、緊張に背筋を伸ばして返事をした。
処罰を覚悟をして少し震えながら目を伏せている。
「あ、あの、レオネル様、レリアも騙されて……」
「ここに居る全員から事情を聞く。逃亡した場合には刑が重くなる可能性があるため、指示に従うように」
「は、はい……」
セルディの擁護を遮り、レオネルは言った。
セルディはまだ婚約者とはいえ、王族の誘拐事件なのだ、そう簡単に許す事は出来ないのだろう。
「ブルーノ、わかったな?」
「……かしこまりました」
ブルーノも粛々と頭を下げた。
最初扉から入ってきた時の威勢はそこにはない。
むしろ色々なことに諦めがついたのか、すっきりしているようにも見える。
レオネルもそれを不思議に思ったのだろう、セルディへと目を向けた。
「セルディ。お前、何かしたのか?」
「うーん、その話をすると長くなりそうなので、とりあえず先にお医者様のところへ行きましょう!」
「……はぁ、わかった。後でお前にも事情聴取をするからな」
「うっ、なんでもいいから早く降ろして欲しいっす……」
こうして、セルディ誘拐事件は一旦幕を閉じた。




