34.推しキャラは依頼する
近衛隊の執務室で、レオネルは書類に印を押す。
第一騎士団長が失脚し、ようやくまともに機能するようになった騎士団と、人員の増えた近衛隊の連携がようやく取れるようになってきたため、合同演習を行う予定を立てるための書類だ。
ただグレニアンを守っていただけの時とは違い、こういう書類を作成することも増えてきた。
身体を動かせない事は不満だが、これが終わればセルディの居るタウンハウスに帰れると思えば頑張れる。
レオネルはしばしペンを動かし――次いで大きく溜め息を吐いた。
昨夜、セルディにヤニクの事を相談され、それを却下してから、セルディは拗ねている。
一度却下した後、何度も何故なのかと言う問いに、明確な答えを返せなかったからだろう。
頬を膨らませた顔は可愛いだけでしかないが、声をかけても返事をされないのは辛い。
レオネルは苦笑した。
セルディは男心がわかっていない。
トラウマを克服するためとはいえ、恋人の傍に四六時中男を置いておく男がどこにいると言うのか。
自身が選んだ護衛ならともかく、レオネルはヤニクの事をまだ信用出来ていない。そんな男をセルディの傍に置いておきたくなかった。
(それに、アイツはまだ何かを隠している……)
ペンを止め、真剣な表情で虚空を睨む。
ただの勘だが、レオネルはこの勘は間違っていないと思っている。
闇ギルドの人間の経歴を洗い出す事は不可能だ。
元々の大半が孤児であり、本人ですら両親の顔を覚えていない。
ヤニクもその中の一人。
闇ギルドが王家直轄になった時点で、隠す事など何もないはずなのに、ヤニクは何かを隠している。
(それは一体なんだ?)
深く考えてみても何も浮かばない。
そんな相手を心の底から信頼する事は出来ず、セルディの提案は断るしかなかった。
(まぁ、嫉妬、がなかったとは言えないがな……)
レオネルは目を閉じ、片手で項を擦る。
ようやく自覚した嫉妬という感情は、時折レオネルを制御不可能にした。
昨夜ヒビを入れてしまったワイングラスを思い出す。
その手を握り、心配してくれたセルディの顔も……。
「はぁ……、帰るか……」
レオネルは一気に書類を書き切ると、グレニアンに退勤の挨拶をするために立ち上がった。
***
グレニアンに文句を言われながら退勤の挨拶を終えたレオネルが厩舎に向かって歩いていると、正面の通路に見知った顔を見つけた。
その人物はレオネルに気付いた瞬間、表情を明るくし、紫色のドレスの裾を持ち上げてレオネルの元へと足早に近づいてくる。
レオネルは嫌な予感に眉間に皺を寄せた。
「レオネル!」
昔と同じ呼び方。
あんな別れ方をしていなければ、こんな風に声をかけられても気にせずに旧友として接する事が出来ただろうに、今となっては不快でしかない。
「……ルベラーシ伯爵未亡人、その呼び方はやめて頂きたい」
ヴィオレッタは、レオネルの言葉に一瞬顔を強張らせるも、すぐに誤魔化すような笑みを浮かべた。
「やだ、私とあなたの仲じゃない」
ヴィオレッタは不敬にも勝手にレオネルの腕に絡みつき、その豊満な胸を押し当ててくる。
そんな娼婦のような仕草に、レオネルは違和感を覚えた。
(こいつ、こんな女だったか?)
月日が経てば性格も多少は変わるかもしれないが、昔はこんな真似をする令嬢を罵っていた。
貴族としてのプライドもない、下品な女だと……。
「離せ」
とりあえずレオネルはヴィオレッタを押しのけた。
さすがに縋り付くような真似はしないが、ヴィオレッタの表情は不満げだ。
「その真面目なところ、昔から変わってないわね。少しくらい羽目を外したらどう? 若すぎる婚約者なんて、退屈でしょ?」
自分ならレオネルを満足させられる、と言いたげな言葉に、レオネルは心のうちに一度仕舞った言葉を口に出した。
「お前は、いつからそんな下品な女になったんだ?」
「……え?」
ヴィオレッタの表情が、今度こそはっきりと引き攣った。
「王族へのマナーを忘れたようだな」
「そんな……。だって、レオネルと私の仲じゃない……」
「どんな仲だと言うんだ?」
「それは……」
「王族とはいえ、所詮田舎貴族……だったか?」
「!?」
それは、とある夜会でヴィオレッタの夫だったルベラーシ伯爵が言っていた言葉だ。
あの男はレオネルからヴィオレッタを奪ったことを、自慢気に話し、レオネルを捨てられた男として嘲笑していた。
「その言葉は私の言葉じゃないわ、あの人が勝手に……っ」
「だが、お前はそれを否定もしなかっただろう」
「それは、だって……」
言えるわけがない。
この国で、妻はいわば夫の所有物。
反抗して捨てられてしまえば、社交界で傷物として嘲笑される。
グレニアンの治世になり、貴族自体の数が減ったこともあって、あからさまなものは大分薄れたが、未だにそういう思考は根強い。
まだ婚約者だからとはいえ、拗ねて婚約者を無視するセルディのようなタイプの方が珍しい。
それはレオネルもわかってはいるが、ヴィオレッタ達の発言を、過去のこととして流す事は出来なかった。
「所詮、俺とお前の仲などその程度のものだったという事だ」
「そんな……、嘘でしょう? だって、あなたは私を愛してくれていたじゃない……」
「過去の幻影に縋るな」
レオネルはヴィオレッタの言葉を遮り、冷たく見下ろす。
今後、同じ事をしないように。
これ以上、セルディに関わらないように。
「レオネル……」
「不敬罪として裁かれたくないなら、さっさと失せろ」
「ヒッ……」
殺気すら滲ませた視線に、ヴィオレッタは後ずさりし、そしてそのまま身を翻した。
レオネルはその姿が見えなくなるまで見届けた後、息を吐く。
一体、何が彼女をあそこまで堕とさせたのか……。
セルディと婚約するまで、ヴィオレッタはレオネルに夜会の招待状を送ってはきても、無理にレオネルと会おうとする素振りはなかった。
それは偏にレオネルを王族だと慮っていたからだ。
それなのに、最近になって突然、接触を図りだした気がする。
レオネルは腕を組んで考え込んだ。
カザンサ侯爵領での接触からしておかしい。
ルベラーシ領は王都に近く、わざわざ王都から離れたフォード領側にあるカザンサ領の宝石店に現れるのは不自然だ。
(何かあったのか……?)
思い当たるのは、ヴィオレッタがルベラーシ伯爵家の後継者を殺したという噂……。
(まさか、本当に……?)
レオネルが思考を巡らせていると、背後に人の気配を感じた。
レオネルはすぐに剣の柄に手をかける。
「待って下さいっす! 俺っすよ、おーれ!」
そして、聞こえた声と共に一気に剣を振り切った。
「ちょ!! あっぶね!!」
空振った後、レオネルは残念そうに剣を鞘へと戻す。
そのレオネルの姿を見たヤニクは、酷いと嘆いた。
「お嬢サマにチクっちゃうっすよ! また無視されても知らないっすからね!」
「うるせぇ」
レオネルは吐き捨てる。
「いいからさっさと情報を話せ。今ここに来たってことは、何か知ってるんだろ?」
「はー、せっかちっすねぇ……」
ヤニクはやれやれと首を横に振った。
その仕草に再度剣の柄を握ると、ヤニクは片手をさっと上げる。
「俺、あのオバさん見たっす!」
「どこでだよ」
「カザンサ侯爵の別邸で!」
「は?」
レオネルは一瞬目を見開いた後、すぐに真剣な表情で問いかける。
「中か?」
「中っすねぇ」
「そうか……、そこで繋がるのか……」
レオネルは目を閉じ、考えた。
今はブルノーが隔離されているカザンサ侯爵の別邸に、ヴィオレッタが居たということは、ヴィオレッタを呼んだのはブルーノだろう。
前とはいえまだ代替わりしたばかりの侯爵だ、使える権力も伝手もまだ残っている。
問題は、ヴィオレッタを呼び寄せ、何を話し、何を企んでいるのか……。
「俺が調べてもいいっすよ?」
今後どうしようかと悩むレオネルに、ヤニクが声をかけてくる。
どう考えても、元々そのつもりだったのだろう。
セルディの護衛という立場に固執していたはずの男の行動を、レオネルは不信に思った。
「セルディの護衛はしなくていいのか?」
「まだ怖がられちゃってるっすからねぇ……」
表情だけは切なげだ。
だが、レオネルはそれが作られたものにしか見えない。
こんな男に依頼するのは正直に言って嫌だ。
「……お前個人ではなく、闇ギルドに依頼する」
レオネルはヤニクではなく、闇ギルドへと依頼する事に決めた。
これならば、他のメンバーがヤニクへの抑止力となるだろう。
王の影を勤めるヨルには、ヤニクとは違って不信な点は見られない。
問題は、ヤニクの性質のように感じた。
「……いいんすか? 俺ならお得だったのに」
「お前だけに任せておけるか」
レオネルがそう言うと、ヤニクはしょうがないっすねぇ、などと言いながら、レオネルに懐から出した書類を渡した。
「じゃ、これに記入して、ヨルに渡して下さいっす」
それだけ言うと、ヤニクはレオネルの横を通って去って行く。
進む道は、さっきヴィオレッタが消えた方角だ。
「はぁ、クソ……。これを書かないと帰れねぇじゃねーか……」
帰宅が遅れる事が確定し、レオネルは口調を乱して項垂れた。




