10.推しキャラは睨む
2025/02/02に追加した差し話です
一日の休暇を小さな少女と過ごしたレオネルは、部下からの引継ぎを終えてグレニアンの護衛へと戻った。
「休暇は楽しかったか?」
休みもなく日々事後処理という書類の山に埋もれているグレニアンのそんな皮肉めいた言葉を聞き流し、レオネルは黙って壁際に立つ。
だが、レオネルのそんな態度はグレニアンには不満だったらしい。わざとらしく溜め息を吐かれた。
「おいおい冷たいヤツだな、国王が毎日仕事をしているんだぞ。土産話くらいしてくれてもいいだろう」
「剣を研ぎに出しに行っただけだ、土産話もなにもない」
本当はセルディとの出会いもあったが、からかわれる事がわかりきっているレオネルは口を閉ざす。
グレニアンは書類に目を向けたまま不満そうな声を出した。
「つまらない男め。馴染みの娼婦がいてもいい歳だろうに……」
「そんなものはいない」
行ったことがないとは言わないが、今のところグレニアン王の盾とも呼ばれる自分が弱みを握られるようなものを作るつもりはなかった。
そもそもの話、レオネルは自身が少し女性不振気味だという自覚もしているので、よほどの事がなければ結婚しないだろうと思っているのだが、それをグレニアンに言うつもりもない。
「ふん、やはりフォード子爵令嬢頼みになるかもしれんな」
「おいっ」
グレニアンの不吉な発言にさすがにレオネルは声を上げた。
「何度も言うが、俺に幼女趣味はない」
「わかったわかった」
真面目に答えているというのに、グレニアンは面倒くさそうに手を振っている。
からかわれたレオネルは眉間に皺を寄せながらつい言い返した。
「そういうお前の方こそ早く婚約者を作れ」
「はっ、いつから老害の味方をするようになったんだ? 寝首をかきそうな女しか残ってないのを知っているヤツが言う台詞ではないな」
「そうは言うが次代は必要だろう……」
「私はまだ若い。お前より先に婚約者を作るつもりはないぞ」
「はぁ……」
レオネルは眉間に皺を寄せ、額に手を当てた。
わかっている。反乱分子の残る今の状態で安易に婚約者を作るなど自殺行為だということは。
しかし、国王を筆頭に今の王族の中で婚約者を持っている人間が一人もいない事もまた事実。
自分が結婚できそうにないと思っているからこそ、グレニアンの結婚に期待をしてしまっているのかもしれない。
「……来年のデビュタントで良い出会いがあることを祈ろう」
「ははは、私も祈っておいてやろう。まぁお前が出会うのは三年後かもしれんが」
レオネルはもう何も言う気がおきずに目を閉じた。
これ以上同じ話を続けるつもりはない、という意思表示である。
そんなレオネルの様子を横目で見たグレニアンが鼻で笑った後はしばらくペンが走る音が室内に響いた。
そして、一枚の書類を書き上げたグレニアンは突然立ち上がる。
「休憩だ。ちょっと歩くぞ、ついてこい」
「はっ」
レオネルは頭を下げ、歩き出したグレニアンに付いて廊下へと出た。
庭園近くの廊下を歩きながらグレニアンが口を開く。
「たまには剣でも振りたいな……」
「落ち着きましたら時間を設けましょう」
「いつになったら落ち着くことやら」
肩を竦め苦笑するグレニアンに、レオネルは何も言えなかった。
未だゴタゴタが続いているこの状況ではすぐに落ち着くとは嘘でも言えそうにない。
グレニアンはレオネルの言葉を待つことなく庭園へと足を踏み入れた。
庭園は華やかとは言い難いが目に優しい緑で溢れている。
恐らくグレニアンが華美を好かないと知っているからだろう。
執務室から近いこの庭園は王が安らぐための庭園と言われているため、庭師達もグレニアンの趣味に合わせて整えたと思われる。
グレニアンもそれがわかっているからか、機嫌良さそうに微笑んだ。
「庭師が頑張っているようだな」
「陛下が喜んでいたと伝えておきましょう」
「ああ、そうしてやってくれ」
グレニアンと二人で静かに庭園を歩いていると、奥に見知った人物の姿が見えた。
グレニアンは相手が誰かわかると、片手を上げて穏やかに声をかける。
「カラドネル公爵、この庭園で会うとは珍しいな」
グレニアンの声かけに振り向いたのは金髪に王族特有の碧眼を持つ男、アルバーノン・ディ・カラドネル。
年齢的にはすでに初老に差し掛かっている公爵だが、子供が二人もいるとは思えないほど見た目は若々しい。
グレニアンの曽祖父である三代前の王が高齢の時に出来た末の子供で、グレニアンの祖父の末弟であり、グレニアンの父やレオネルの母の叔父だ。
グレニアンの父が子供を二人設けた時点で臣籍降下してカラドネル公爵となった男である。
反乱時には領地に引きこもり、多めに税を払うことで生き延びたと聞いた。
先の前王弟がした粛清の事もあり、今や王族はダムド公爵家とカラドネル公爵家しか残っていない。
現在カラドネル公爵家は特に怪しい動きはしておらず、グレニアンとしては王族として貴族と王家の仲立ちを期待しているようだ。
公爵はグレニアンに気づくと身体を向けて恭しく頭を下げた。
「陛下、このたびはご即位、誠におめでとうございます」
「ありがとう。今日は謁見の申し込みはなかったはずだが、何かあったか?」
「いえ、久しぶりに王都に出てまいりましたので、思い出を懐かしんでいただけでございます。お忙しい陛下にお手間をとらせるつもりはございませんでした」
カラドネル公爵は庭を見つめ、過去の情景に思いをはせるかのように目を細める。
「そうか。数少ない親族なのだし、たまには茶でもどうだ?」
「陛下……」
山のような書類の事を思い出したレオネルが止めようと口を挟むが、グレニアンはレオネルを目線一つで黙らせてきた。
止められてしまえばこれ以上口を挟むこともできない。
「抗い難いお申し出ではございますが、まだ落ち着かない情勢が続いております。私如きに時間を使わせる訳には参りません。私の忠誠に変わりはありませんので、落ち着かれた頃にでもまたお誘い頂ければ光栄でございます」
「そうか、残念だな」
グレニアンが少し残念そうな声でそう返すと、カラドネル公爵は微笑んでからレオネルに視線を向けた。
「陛下の前で失礼ですが、レオネル近衛隊長にもご挨拶させて頂いてもよろしいでしょうか」
「ああ、もちろんだ」
グレニアンが頷くと、先ほどまでの恭しい態度とは違う、穏和だが高位貴族らしい態度でレオネルに向き合る。
「レオネル近衛隊長、久しぶりだね」
「はっ、お久しぶりです」
レオネルは片手を胸に当て、目線と頭を少し下げて返す。
同じ親族とはいえ、公爵と公爵子息では明確な差があるためだ。
特にここは王城で、人目がある場。レオネルは相手を敬う態度で接した。
「サーニアは元気にしているかな?」
カラドネル公爵は昔からレオネルの母と仲が良い。
レオネルは相変わらずだな、と思いながらも口を開いた。
「はい。ダムド領にて父の後方支援を続けております」
「身体に不調は?」
「今のところそのような話は出ておりません」
「そうか、それはよかった」
ほっとしたように笑う公爵は、そのまま機嫌よく話を続ける。
「あの子は滅多に風邪は引かないが、一度引くと重くなる事が多いからね。気を付けてあげてくれ」
「はっ」
「困ったことがあったらいつでも相談して欲しいと伝えてくれ」
「ありがとうございます。母も喜ぶでしょう」
そのレオネルの返事に満足げに頷いたカラドネル公爵は、用件は済んだとばかりにグレニアンの方へ身体を向き直した。
「それでは陛下、私はそろそろ……」
「ああ、邪魔をして悪かったな」
「こちらこそ邪魔を致しました。先に失礼致します」
頭を下げ、ゆっくりとした動作で立ち去るカラドネル公爵を、レオネル達は見送った。
「そうだ。カラドネル公爵はどうだ?」
「何がだ」
嫌な予感にレオネルの口調が荒れる。
「今は中立派だが、公爵令嬢のニーニアはお前の事が好きみたいだし、結婚をチラつかせて公爵夫人から頼めば王家派に乗り換えてくれるんじゃないか?」
「……」
レオネルは無言でグレニアンを睨んだ。
「そんな睨むなよ……、お前は昔からニーニアの事が嫌いだよな。幼馴染じゃなかったか?」
「……小さい頃によく遊びに来ていただけという関係です」
「ニーニアは美人だし、悪くないと思うがなぁ」
「なら陛下が結婚なさっては?」
「お前のことを好いてる相手となんか結婚したくない」
「ならこの話は仕舞いです」
「仕方がない……」
グレニアンは肩を竦めた後、腕を上げて背筋を伸ばした。
「さて、そろそろ戻るか」
「茶と菓子も準備させましょう」
「ああ頼む」
レオネルとグレニアンは山になっている書類を少しでも片付けるため、執務室へと戻っていった。




