知識の量が頭の良さに直結するのか? また、勉強が出来る人は頭が良いのか? 社会に出たら総合力ではないのか?
人間をスマホに例えるのは適当ではありませんが、他に例えも思いつかないのでそれで説明してみたいと思います。
皆さんはパソコンなりスマホなりでこの「なろう」を利用している事と思います。
お使いのスマホに様々なデータ(写真なり動画なりテキスト)を保存していると思いますが、知識の量とはこの保存データのうち、使えるデータの多さと言えます。
自分のスマホにはデータを全く入れていないという方は想定していませんのでご了承下さい。
また、ネット環境を考えると複雑になるので、オフラインでの利用のみという前提でお考え下さい。
例えば今、先週の日曜の晩御飯は何だった?という質問をアナタにするとしましょう。
殆どの人がすぐには答えられないと思います。
でも、もしも毎日の食事を写真で撮影なり、日記にしている人だったら?
写真フォルダーから日付で検索すればすぐに分かる筈です。
しかし、普通は写真に残さないので思い出すのに苦労するでしょう。
何かの記念日だったとか、家族で外食をした日だったとか、そういう思い出しやすい日であれば別でしょうけども。
それは兎も角、何かの質問に直ぐに答えられる人は周りから見れば頭が良いと思えます。
これを学校の授業に置き換えてみれば、知識の量は勉強が出来る事と同義ですし、頭が良いと言えます。
漢字は覚えていないと読めないし書けません。
暗記系のテストであれば知識の量はテストの点に直結します。
従って、記憶の中からスラスラと答えられる人はテストで良い点を取れるでしょう。
しかし、知識の量は勉強の出来と必ずしも一致しません。
エロ関連のデータをどれだけスマホに保存していても、先週の夕食は何だった?という質問には答えられないからです。
それはゲットしたポケモンのモンスターでも同じです。
学校のテストと関係の無い知識は、どれだけ詳しくても意味が無いのです。
それは逆に、勉強の出来る人はテストを解く為の知識がきちんと保存されていると言えます。
暗記系のテストは特にそうですね。
年号を覚えるのに語呂合わせは有効ですが、それはあたかも毎食の食事を写真にして残す様なモノかもしれません。
先週の火曜日の夕食は何だった?という質問がなされるという事が分かっていれば、人はスマホで撮影して残しておきますよね。
テストがどんなモノかは分かっていますから、それに合わせて情報を記憶するのです。
それの上手い人は勉強が出来るという事ですし、下手な人はテストで良い点を取れません。
そして、勉強の出来る人は暗記力もありますし、計算も早いですよね。
それはスマホで言えばCPUの能力が高いし、メモリーの容量が大きいと言えるのかもしれません。
使えるアプリをダウンロードしており、みっちりと使い方を習得しているとも言えそうです。
家計簿をつけようと思った時、エクセルでやるのもいいですが、簡単家計簿とかいう便利なアプリがあった方が困らないですよね。
でも、使い慣れていないと長続きしないし、間違った使い方をしていると目的が果たせません。
それは個々の科目がそれぞれのアプリだとしたら、頭の良い人は直ぐに慣れて使いこなせる様になりますよね。
勘が良いというか、慣れているというか。
勉強も同じですよ。
それに関連して言えば、教えるのが上手な先生の授業は、チュートリアルのしっかりとしたゲームなのかもしれません。
皆さんのスマホは動作が安定していますか?
使っていたアプリが突然フリーズしたり、電源が勝手に切れたりしませんか?
それは授業中に先生に当てられ、パニクっていつもは余裕で出来る事も失敗してしまう、上がり症の人と言えるでしょう。
いつもは出来るんだけどね、なんて、試合とか試験で失敗しても言い訳に過ぎませんよね。
本番で出来ないと意味がないのです。
それはどれだけ高性能なスマホでも、動作が不安定だったら修理に出されるか買い換えられるのと同じです。
安定していないと信頼され難いのです。
とまあ、そんな感じで結論です。
知識の量は頭の良さの一指標ではありますが、それとテストの点は関係しません。
エロやアニメにどれだけ造形が深かろうとも、学校の勉強には直結しませんから。
また、勉強の出来る人は頭が良いと言えますが、どれだけ性能が良くても、使っている時に突然フリーズするスマホを使い続ける人はいませんよね。
それは東大工学部を卒業した某首相を思えば理解出来る筈です。
あんな人とは同じ職場で働きたいとは思いませんし、隣には住んでいて欲しくありません。
個々のユーザーにとって大切なのは使い勝手であり、スマホの性能の数値は指標にしか過ぎません。
学校の勉強がどれだけ出来ても、他人とのコミュニケーションが上手に出来ない人は、他者と関わる必要のある職場ではお荷物になりかねないのです。
どれだけ勉強が出来て頭が良くても、また高性能なスマホであっても、周りにとって扱い辛い人だと敬遠されてしまいますし、誤作動をするスマホではリコールされてしまいます。
学校の勉強においては暗記力や計算力、論理的な思考能力等が個々に計られ、個人の能力として評価されます。
テストで良い点を取れる人は頭が良いとして評価され、学歴も高くなりがちです。
でも、それは言うならばスマホのカタログスペックの様なモノで、実際の使用感は別かもしれません。
CPUの計算能力が高ければ、成る程動作が機敏でしょう。
メモリーが多いと動画の再生も滑らかかもしれません。
でも、実際に触ったら大き過ぎて余計な所に指が触れて誤作動ばかりするかもしれないし、充電池の減りが早すぎるかもしれません。
頭が良いとか勉強が出来るとかは社会に出ても大事ではありますが、求められるのは総合力です。
いくら知識があっても頭が良くても、それさえあれば成功する訳ではありません。
あるに越した事はありませんが、それだけでは足りないのです。
寧ろ、余計なプライドとして成功の邪魔になりかねない場合もあります。
何となくそんな気がしただけです。