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学園×クトゥルフ ~The Absolute Time~  作者: 香椎一輝
第二章 蟲のさざめき
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第41話 伝承の終わり


「美波……ごめん……美波……」


 司は美波の亡骸の髪をそっと撫でた。

 彼女はもう返事をすることはできず、「ふへへ」という変な笑い声も聞くことはできない。

 頭はモヤがかかったように呆然としてはっきりとしないのに、自分が美波を殺したという事実だけは、まるで津波のように明瞭に押し寄せてくる。

 美波が死んだ。自分が殺した。

 その言葉だけが、頭の中で何度も反芻はんすうされる。

 なぜ自分がその事実(こんなこと)に耐えてまで生きているのか不思議に思えてくるほどの重圧だった。


 背後で、人の動く気配がした。

 司が弱々しく振り返ると、そこには頭から血を流しながら起き上がる浅木圭介がいた。


「わがままを散らした挙げ句にそれか。限度を知れ小僧」


 浅木が猟銃を司に突きつける。

 彼が自分のことを殺そうとしていることはわかった。

 それもいいかもしれないと、司は思った。

 これで美波のところに行けるなら――罪を償えるなら、それも悪くはない。


 司がそう考えて瞳を伏せた瞬間、なにか硬いものが肉を貫く音が聞こえた。


「ごふっ――ち、さと?」


 浅木の背後に、蜘蛛女の千里がいた。蜘蛛の鋭い脚が、浅木の背中を貫いていた。

 千里が、浅木を愛おしそうに抱擁する。すると浅木は、今まで見せなかった、童顔に似合った穏やかな笑みを浮かべた。


「ああ……やっと……」


 千里の腕に抱かれて、浅木は息絶えた。

 千里はその体をそっと下ろすと、歯が肉を破るおぞましい音を立てながら、浅木の体を捕食し始めた。

 頭、腕、腰、足と、浅木の体が千里に食われていく。

 その様子を、司は呆然と見つめていた。


 やがて、浅木は骨まで千里に食われた。

 浅木を食い終わった千里は、蜘蛛脚を動かして司のほうへと歩み寄る。

 そして、千里はその口を開いた。司はああ、自分も食われるのかと、どこか他人事のように思っていた。だが、予想外なことにその口から発せられたのは人の言葉だった。


「……つかさ、無事?」


 司は驚きで目を見開く。


「千里さん……言葉、喋れるのか?」


 司の質問に、千里はうなずいた。


「……あの人を食べることで、私の自我は少しの間だけ人のものに戻った。

 呪いを受けたものは、人を食べれば人に、食べなければ蜘蛛に近づく」


 だから蜘蛛の呪いを受けたものは人を食べたくなる。千里はそう言った。


「……なら、美波は俺を食べればよかったんだ。そうすれば、少しでも美波は長く――」

「あの子は、そんなことは望んでいなかった。わかるでしょう?」


 千里はたしなめるように言ったあと、司に対して丁寧に頭を下げた。

 彼女とこんなふうに話しているという状況は、司にとってなんとも不思議なことだった。


「ありがとう。あの子は、きっと幸せだった」

「やめてくれ。美波を殺したのは俺だ」


 千里は黒目がちの瞳を揺らしながら、ため息をついた。


「あの子の最後の言葉が、聞こえたわ」

「最後の……?」

「『泣かないで』」


 千里から伝えられた、美波の最後の言葉。

 それを聞いた司は、自然と涙がこぼれてきた。


「そんなの、俺には聞こえなかった」

「でも、私には聞こえた。それに、とても幸せそうな顔をしている」

「……わからない」


 千里は、司に微笑みかけた。

 司には美波の死に顔から表情など読み取れなかったが、同じ種族だからこそわかる表情や声があるのだろうか。それともこれは、司を励ますための方便なのか。

 どちらでもいい、と司は思った。

 美波は死んだ。これから楽しいことがたくさんあるはずだったのに。

 生きていて、欲しかった。


「……私は、土蜘蛛を倒すわ」


 千里は、司に向けて宣言した。

 いや、司の抱く美波に向けてかもしれない。


「そうしたら、私は自ら命を絶つ。それで、全てを終わらせる」


 司は力なく千里へと目を向けた。


「……できるのか」

「それは、どちらの意味?」

「土蜘蛛を、倒せるのか?」


 司の問いに、千里は少し考えてからうなずいた。


「できる、と思う。私は十五年前よりも強くなっている。今なら、土蜘蛛にも負けないと思う」

「どうして……あんたも美波と同じ、被害者のはずなのに」


 人の代表のようなつもりで言った言葉だった。けれど、千里の答えは司の想像していたものとは違った。


「あなたを……守りたいから。美波が愛したあなたを、守るために戦いたい」

「俺なんかのために、命を捨てちゃダメだ」

「それだけじゃない。私は、人間なの。…………まだ人間だと、思いたい」


 震えながら話すその姿は、美波とどこか似ていた。

 本音としては、土蜘蛛のことなどどうでもよかった。しかし、彼女の決意には敬意を払うべきだと思った。


「千里さん。その……ありがとう」


 司は、千里に頭を下げた。

 千里は少し困ったように微笑みながらうなずいた。

 その表情も、やっぱり美波に似ていた。


 千里の姿が、鳥居の道のほうへと消えていく。

 土蜘蛛と戦いに行ったのだろう。彼女を止めることもできなければ、これ以上、司にできることはない。


 だが、それからその戦いの結末を司は知ることはなく、司は豊岡村に帰ることになった。


 こうして、この島で彼らに降り掛かった災厄は幕を閉じ、蜘蛛の伝承にまつわる事件は終焉を迎えたのだった。


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