第23話 事件の爪痕
「そう、島だよ。土那島ってとこ。
そこに、私のおじいちゃんがやってる民宿があるの!」
美波は得意げな表情で司の前に身を乗り出してきた。
緩んだ制服の襟元から、柔らかそうな胸の谷間が覗く。
子供っぽい仕草とその色気のギャップにたじろぎながらも、司は努めて平静を装う。
「へ、へぇ。民宿かぁ。い、いいかもしれないな」
――ことができず、噛みまくってしまった。
もはや周りの男子生徒だけでなく、彩女にまで白い目で見られているのが、とてもつらい。
「でしょ? 創一くんもアヤヤも一緒に行こー!」
”アヤヤ”というのは、美波が彩女を呼ぶときに使う呼び名だ。それ以外にも、美波は多くのクラスメイトにあだ名をつけていた。
「いいの? 僕もぜひ行きたいよ」
創一は嬉しそうに手を叩いた。だが、彩女は遠慮しているようで、顔に困った表情を浮かべている。
「わ、私も行っていいのでしょうか?」
「もちろんだよ! なんで?」
「だ、だって……その……」
彩女がチラチラとこちらを見るので、司はもう一度首をかしげた。
美波も司と同じような表情をして首をかしげている。その動作が妙に自分に似ていたため、司は一人で照れくさくなった。
「そ、それならご一緒させていただきます!」
彩女はそう言って深く頭を下げた。最初は微妙な反応だった割に、その声はとても嬉しそうに弾んでいた。
初めて会ったときに比べれば彩女の考えていることは、だいぶわかるようになったつもりだが――まだまだわからないことも多い。
「決まりだね♪ 土那島にはすごく綺麗な浜辺があって、海水浴もできるから、みんな水着をもってきてね!」
美波は「ぶいっ」と言いながら顔の横でピースをした。
それでなんとなく分かった。これは、事件のことで暗くなりがちな司と彩女に対する彼女なりの気配りなのだろうと。
「なあ、美波」
「ん、なーに司くん?」
「ありがとな。旅行、楽しみにしてる」
司が礼を言うと、美波の顔がぼっと赤くなった。
なにか言おうとしているようで、わたわたぱくぱくと口を動かしている。
「はは。面と向かって褒められるのに慣れていないんだな美波は」
「あ、ぅ、か、からかわないでよ!」
司はポカポカと叩くフリをしてくる美波をあしらいながら、「本当に――楽しみだ」と心の中で付け足した。
次の休日、司は彩女を連れ、三ヶ月前の事件の日から学校に来ていない男子生徒――荒木大輔の家に見舞いに行くことにした。
大輔の家は庭がある一軒家で、この辺りの家の中ではそこそこ上等な部類に入る。
その家で、大輔は母親と二人で暮らしているらしい。
インターホンを鳴らして彼の母親に挨拶した司たちは、大輔の部屋へと向かった。
母親は「大輔は今荒れているから、気分を悪くしたらごめんなさい」と言った。
そうして申し訳なさそうにしつつも、その顔は少し嬉しそうだった。
「大輔、入るぞ」
司は大輔の部屋の扉をノックして声をかけた。返事はない。
仕方なく司は扉を開け、中に一歩踏み出した。
瞬間、あまりの異様な空気にゾッとした。
部屋の中は暗く、まるで獰猛な獣が暴れまわったように荒れ放題。ゴミ箱も棚も倒され、物が撒き散らされていた。
何日も放置されていたのか、床に転がった空き缶や弁当の箱が、異様な臭いを発している。
その部屋の奥に、大輔はいた。
手入れしていないようで半端に伸びた髭、痩せこけた頬。伸び散らかった茶髪の、根本は黒くなっている。そんな風貌の中で眼光だけがやけに鋭い光を放っていた。
「……だれだ?」
低い声で大輔はつぶやく。その様子は司の知る陽気な大輔とはあまりにも隔たりがあり、思わずひるんでしまった。
うつむいていた大輔が、ぎろりと司たちのことを睨む。
司は少し怖気づきつつも、勇気を振り絞って話しかけた。
「大輔、俺だよ。今日はお前のことが心配で、彩女――白山と見舞いに来たんだ」
その途端、大輔はがばっと顔を上げた。
爛々と光る瞳が司たちの姿を捉える。
「大輔……」
「つ、司か……? それに、白山さんも」
大輔は司たちの姿を呆然と眺めたあと、一転して明るい口調になる。
「おー、司! 心配して来てくれたんだな!」
「あ、ああ。久しぶりだな、大輔」
「悪いな、こんな散らかってて。まあ座ってくれ」
座れと言われても、床には足の踏み場もあるか怪しい。
それに大輔の口元には笑みを浮かべているが、目は座っている。彼のいびつな様子に、司と彩女は顔を見合わせた。
だがいつまでもそうしているわけにもいかない。司は床のものを脇にどけて座り込んだ。彩女もそれに習い、スカートを整えて正座をする。
「やー、久しぶりだなぁ。こんな俺でもお見舞いに来てくれるやつがいるなんて、やっぱ持つべきものは友達だよな!」
「なあ、大輔……」
「ずっと一人でいるのも暇だったんだよー。話したいこともいろいろあるし、ゆっくりしていってくれよ」
「大輔、おい!」
「ん、どしたの司?」
大輔がやつれた顔で、きょとんと首をかしげる。
司は恐る恐るといった様子で大輔に尋ねた。
「……大丈夫、なのか?」
「大丈夫って何が?」
「その……事件のことや、玲二のこと……」
司がその言葉を発した瞬間、大輔の瞳孔がぐあっと開き、顔がみるみるうちに歪んでいった。
彼は突然叫び始める。
「ああアあァぁ――!! 玲二ィィ!!」
「だ、大輔!?」「荒木くん、落ち着いてください!」
突然狂乱し出した大輔を、司と彩女は口々になだめる。
「来る……あの化物が……ほら、窓の向こうに、もう……」
「落ち着け! そんな化物はもういない!」
「あ、あア……闇が……」
大輔は虚空の一点を凝視しながら、唄うように言った。
「闇が……吐き気を催すほどの闇が……俺たちを飲み込んでいくんだ……」
「や、闇……なんのことだ?」
司はただならぬ様子に震えながらも、その意味を聞き返す。
だが、大輔はブツブツと唱えるように意味のわからない言葉を繰り返すばかりで、司の問いには答えなかった。
「荒木くん、お願い……しっかりしてください」
彩女が祈るように瞳を閉じると、そっと大輔の頭に触れた。
すると、大輔の瞳にわずかに生気が戻った。
「あ……あ……ああ。すまない……白山さん、司……。取り乱してしまった」
「……いいのです。荒木くん……また、来ますね」
彩女は立ち上がると、悲しげな瞳を司に向けて「行きましょう」と言った。
司は、それにうなずくしかなかった。
司と彩女の二人は、大輔の住処をあとにして家路についた。
道すがら司が何度か話しかけても、彩女は気のない返事をするばかりで、妙に口数が少なかった。
「なあどうしたんだ? 大輔もちょっと変だったけど、彩女も様子がおかしいぞ」
「はい……すみません……心配をかけっ――」
彩女はそう言いかけた瞬間、うっと呻いて道端にうずくまった。
そして、喘ぐような声を上げて嘔吐をした。
「彩女! 大丈夫か!?」
司は慌てて彩女の背中をさすった。
彩女は力なくうなずく。
「えぁ……ぁ……。す、すみません……ご心配をおかけして……」
「そんなのは構わないが……何があったんだ? 調子、悪かったのか?」
「いえ、その……邪気に当てられてしまったようで……」
「邪気?」
司が尋ねるが、彩女はけほけほと咳をするばかりで、その問いには答えられなかった。
きっと大輔の部屋にいるときから、ずっと耐えていたのだろう。
彩女の精神力の強さに感心しつつも、司は一抹の不安を覚えた。
彼女をこんな状態にさせるほどの邪気なんて――大輔の身にいったい――
「荒木くんに身に何が起こっているのかは、わかりません……」
わからないけど、なにか良くないものが憑いている。彩女はまるで司の心を読んだかのように、そう言った。
「そうか……心配だな……」
司は彩女に肩を貸しながら言った。その言葉に、彩女もうなずいた。
「はい。本当に……何事もなければいいのですが……」
不穏な気配が漂うなか、心を壊してしまった友のことを想いながら、二人は家路についた。




