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【第6話】優しさ



「君のそれは、愛情じゃない」


 そう教えてくれた級友は、答を全て詳らかにしてくれるほど優しくはなかった。


「よく悩むと良い。それが君を成長させる。成長した君は、きっと私を愉しませてくれる」


 まるで飴と鞭。優しくないくせに、言葉のどこかで彼女は必ず私を甘やかす。

 愛情でなければ、何なのだろう。

 武功で成り上がった家で育った貴族令嬢もどきには、難しい話だった。






「スィエラ」


 私を呼ぶ優しい声に、笑顔を携えて精一杯に応える。


「お帰りなさいませ、お姉さま!」


 両手を広げるお姉さまの胸元へ迷いなく飛び込んだ。

 素敵な香りが鼻腔をくすぐる。


「お姉さま、御庭に入られたの?」

「ええ。この季節はケイカの花が綺麗に咲き誇りますからね」

「お姉さまはケイカの花が大好きですものね」

「あらスィー、貴女も好きでしょう?」

「ええ、大好き!」


 お祖母さまそっくりの穏やかな微笑みで訊かれれば素直に頷くしかない。


「可愛いスィー。最近あの渡り鳥をよく見かけるけれど、何かされてはいない?」

「まあお姉さまったら。仮にも王族に連なる血筋の方を鳥呼ばわりなんて、いただけないわ?」

「だって、あの男。スィーを煩わせてばかりじゃない」


 始終笑顔だが、お姉さまの言葉は不満たっぷりである。


「ああ。本当に嫌になるわね、貴族社会って。国ごと焼き払えたらどんなに良いかしら?」


 前言撤回。

 お姉さまは笑ってなどいない。静かに怒りの気配を纏っている。


「お姉さま、何か嫌なことがあったのですね。私で良ければお伺いいたしますわ」

「ありがとう、私の可愛いスィー。ケイカの花を見ながらお話しましょう」


 それから、日当たりの良いテラスに移動した。

 使用人に用意してもらったお菓子とお茶を囲んでお姉さまの愚痴に付き合う。

 お姉さまは人付き合いの上手い人間ではあるが、天性の人嫌いだ。

 溜め込んだ鬱憤を晴らすため、こうして留学先である隣国から帰って来ては私を含めた家族に愚痴をこぼす。

 強くも優しいお姉さまは、私の憧れだ。だから甘んじてその捌け口になる。


「私の可愛いスィー。もしあの渡り鳥が本当に嫌になったら、お祖父さまに泣き付きなさい。きっと婚約破棄してくださるわ」

「それはダメよ、お姉さま。男爵家から格上の公爵家への婚約破棄は、体裁が悪いもの」

「大丈夫よ。お祖父さまは王族から気に入られているから」


 嫌みたらしく聞こえるが、姉はお祖父さまのことを心から敬愛している。


「あちらこちらをフラフラしている渡り鳥なんて、早く撃ち落としてしまいなさい」


 にっこりと物騒な言葉の裏、お姉さまの優しさが滲み出る。

 お姉さまは知っている。私が諦めきれていないことを。




 エラトマさまの優しさも、お姉さまの優しさも。私には過ぎたものだと、常々思う。

 私はただ、時折底から這い上がって来る【兆し】に怯えながら日々を送っている。

 優しさは薬のようで毒だと、前にエラトマさまが教えてくれた。

 だからこそ、やはり過ぎたものだと忌避しがちだ。

 良い意味でも────悪い意味でも。




「おい」


 不躾に自分を呼ぶ声。

 以前であれば無理にでも笑みを貼り付けて振り返ったことだろう。


「っ、おい! 待て!」


 私は声を無視して逃げた。

 何故か? ただ、なんとなく。それだけだ。


 ────また、嫌われたかな。


 そんなことを思いながら駆ける足に力を入れたが、やはり女の足では殿方を撒くことは不可能だったらしい。

 人気のない校舎裏に追い詰められた私は、哀れその身を拘束────もとい、両手首を掴まれた。


「待てと言っているだろう、この阿呆!」


 なんと、阿呆とは!

 何とも俗っぽい言葉を放った彼はいつも以上に不機嫌で、憮然としていて────不憫なくらいに、泣きそうな顔をしていた。


「まあ、ごきげんようヴノスさま」

「なにが、ごきげんよう、だ!」

「挨拶は礼節の第一歩ですわ?」

「抜かせ! 逃げ出したくせに、どの口が礼節を語ると言うのだ!」


 あらあら、まあまあ。


「ヴノスさま。花粉症でございますか?」

「なぜそうなる!?」

「だって」


 掴まれたまま、手を彼の目元に運ぶ。

 指の腹で掬った雫に、本人以上に戸惑うしかない。


「貴方はプライドが大変高くいらっしゃって」


 だから格下の私は釣り合わないと否定して。


「致命傷でも耐え抜くほど強くいらっしゃって」


 だから脆弱な私の見舞いも拒絶して。


「そんな貴方が泣くなんて────花粉症以外にありえませんわ?」

「……俺は!」


 手首を掴み直し、やや乱暴気味に私の身体を押して壁へと追いやる。


「お前の、その無神経さが……!」


 歯を食いしばって、苦しそうに言わんとしている言葉を吐きだそうとしている。

 でも、なかなか言えないようだ。


「お嫌い、ですか?」


 親切心で先回りして尋ねた私を、ギッと睨みつけてくる。


「……ああ、嫌いだ! お前なんて、大嫌いだ!」




 このとき、私は悲しさを一切感じなかった。


『ああ、良かった』


 胸を過ぎたのは安堵の感情。

 ああ良かった、私は彼に嫌われている。

 私はまだ、彼から遠い場所にいる。

 そのことに────私は心の底から安心したのだ。




「ありがとうございます、ヴノスさま」

「は……?」

「お願いですから、そのままずっと、嫌いでいてください」




 私にとって、貴方から与えられる優しさなんて。

 毒にすらならない。薬なんてもってのほかだ。

 お願いだから。




「これからもずっと、私を愛さないでくださいね」

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