【第3話】休日
珍しいこともあるものだと、私は一人感心する。
客人が来たと使用人たちに知らされて階下へと降りた私は目を丸くした。
「まあまあ、ヴノスさま! ごきげんよう!」
いつものように笑って、眼前に立つ婚約者を見つめ返す。
いつも曲がっているネクタイが曲がっていない。そのことに少しホッとしている自分がいて、嫌になる。
「……何故、昨日休んだ?」
あらあら、まあまあ!
私は心の中で驚嘆の声を上げてしまった。
「体調を崩しておりましたの」
「……それだけか?」
「ええ、それだけでございます」
にっこりと笑って牽制した。気持ちはお姉さまに成り切ったつもりだ。演技には自信があった。
悟られない、自信があった。
「そうか」
どうして。
どうして、そんなホッとした顔をするのだろう。
「体調は戻ったのか」
「ええ、お陰さまで」
「……そうか」
なんだろう、様子がおかしい。
歯切れが悪そうに話す婚約者さまを不審に思い、私は注意深く彼を観察した。
「その、お前が良ければ、だが」
言葉を詰まらせながら、婚約者さまは意を決したように私の目を見る。
ひどく、真摯な目だった。
「今日、カフェに行かないか」
「……はい?」
なぜ、こうなったのだろう。
自分に問うても、答は得られない。
悩みの種本人に問おうかと思ったが、そんな勇気は端から無い。
「今日は猫か」
「はい、猫は好きです!」
私は笑みを湛えて婚約者さまに応えた。
大丈夫、引き攣ってない。
猫のラテアートに夢中になっているお嬢様。それが今の私、スィエラ=ヴァルディスティだ。
向かいに座る婚約者さまはいつも通りの不機嫌そうなお顔で私を見ている。
文句があるのなら言えば良いのに、言わない婚約者さまが悪い。
私は、悪くない。
「……おい、何を考えている」
しまった、少し気取られたか。
「ヴノスさまのことですわ!」
元気よく模範解答をする。あながち間違いでも無い。
私は、貴方のことしか考えられない。
「……」
「ヴノスさま?」
黙りこくってしまった婚約者さま。何か言いたげに私を見る。
そんな目で見られても、口にしてもらわなければ何も分からない。
何も教えてくれない貴方に、私はどうすることもできない。
逃げてしまおうかと考えて、それは良い案だと胸中でひっそり微笑んだ。
「ああ、いけない! ヴノスさま、私ったら浮かれてしまって、午後に級友と約束しているのをすっかり忘れておりました!」
唐突に席から立ち、私は急きょでっち上げた【約束】の為に慌て始める。
「お名残り惜しいですが、お茶会はこのあたりにいたしましょう」
「待て」
強く腕を掴まれた。
「え?」
「逃げるな」
何を言っているのだろう、この人は?
「あの、本当に約束が」
「お前は嘘をつくとき、親指を隠す癖がある」
掴まれた腕の先、強く握りこまれた親指に視線が行く。
「……よく、御存知で」
冷えた眼差しで彼を見るのは久しぶりだ。
「どういうおつもりです?」
「いい加減、胸糞悪い演技を止めろ」
「なんだ、気付いていらっしゃったの」
肩を竦めてこれ見よがしに溜息を吐く。
「まあ、嫌がっておいでなのを知りながら演技をして参りましたし。気付かれても仕方ありませんね」
それで。
「演技を止めさせて、どうしてほしいのです?」
「……分からない」
「はぁ?」
婚約者さまの返答に、私は思わず目を吊り上げた。
「何です、それ。ふざけていらっしゃるの?」
「ち、違う。お前を愚弄するつもりでは」
態度が変わった私を見て慌てる婚約者さま。
なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。
「……はぁ、もう良いです。今日はこれでお開きにしましょう。お望み通り、演技は止めさせていただきます」
まだ掴まれていた腕を外し、テーブルにお金を置いた。
「今日は誘っていただいてありがとうございました。【次】なんて期待しませんので、どうかご安心を」
そう言い捨てて立ち去る。
背を向ける寸前に見た、置いていかれる子どものような顔の彼に、心底苛立った。