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青色の正義

作者: 銀ねこ

青色の正義


この頃の人間は、青空を知らない。

絵本の中で見た純白の太陽も、空を裂く飛行機雲も、地面に広がる無限の草原も。

人の笑顔も、往来の賑わいも、何もかも。

空は錆び、川は死に、太陽は枯れ、草は絶えた。

それでも人は生きた。

人間が起こした状況が、良かれと思ってしたことが自らの首を絞めることとなった。

典型的な、自業自得である。

技術の発展と共に、人間社会は確実に豊かになった。

技術は富を生み、かつて発展途上に苦しんでいた諸国もこの恩恵にあずかる。

しかし、人間の性は愚かだ。

満足は新たなる欲を生む。

資源や土地、利権を求めて新技術を用いた戦争が始まった。

それは、人間に直接的な損害をもたらさなかった。ロボットを用いた戦争へと移行していたからである。

人々は安心しきっていた。自分たちに被害がないから。たとえ負けたとしても富裕層が損害被るだけだから。

しかし、現実はそう甘くはなかった。

人間を傷つけないよう設計されたロボットは他国のロボットをより効率よく破壊するために思いもよらぬ暴挙に出た。

化学物質を用いた大量破壊兵器を持ち出したのだ。

新技術を用い、それこそ「自然に被害が出ない最低限の」量の化学物質を使って。

しかし、物事はそううまくは運ばなかった。

技術の露呈や高性能コンピューターの分析などにより、それは世界中で模倣された。結果、「最低限の」量を軽く凌駕したのである。

あとは簡単だ。自然が壊れ、もはや戦う理由のなくなった人間達は、生きるための事後処理に追われることとなる。

かくして、曇天が空を包んで十年がたとうとしていた。


その青年は、その時、使命を悟った。

何も神の信託を聞いたわけではない。ただ、漠然と、自分の為さねばならぬことに気付いたのだ。

それを妄想だと笑う奴は笑うがいい。

その青年はただの官営工場の労働者の一である。

特別な才覚があるわけでも、他人より器用でも、学があるわけでもない。

ただ、この世界を変えなければならないのだという正義感のみは他人より強かった。

その工場はかつての大戦でばらまかれた化学物質を除去するための機械の部品を供給していた。

化学物質は体内に蓄積され、一定量を超えると死に至る。

政府は速やかに空気中からの物質の除去計画を掲げた。

世界中に官営工場を造り、その各所で部品を作らせ、一台の機械として都市一つを丸々守るという壮大なものだった。

これには当然、多数の労働者を必要とした。

辺境でもその状況は変わりない。

労働環境は苛烈を極めた。

いつ死ぬか分からないような状況で彼らの労働が続けられたのは、家族や恋人、愛する人を守りたいという当たり前の衝動によるものだった。

自分が、自分たちがやらなければ家族が死ぬ。

そうして、幾人もの犠牲の孕んだ機械が誕生した。

しかし、その時は訪れた。

かの青年の住んでいた辺境はその防護対象に含まれていなかったことが判明した。

中央都市を清浄する機械を政府は無情にも辺境や田舎へと向けられることはなかった。

そして、政府の管轄の元、更にもう一台の機械を造ることが命令として下された。

ふざけるなよ。

今朝も仲間が亡くなった。

これで最後かと思った。

救われたのだと思った。

国家の利益のために家族が殺され、その上、労働の結果まで持って行くのか。

人民の不満は否応にも高まった。

初めは言論による是正もあった。

しかし、国中のロボット、技術機構を維持するための多量のコンピューターを化学物質に汚染させておくには忍びない、と、今まで取った政府の行動に変化はなかった。

そして、武器を取った一人が青年だったのである。

この腐った世界を変えなければいけない。

これ以上の死を許容してやるものか。

青年は声高に呼びかけた。今こそ命を取り戻す日だ。と。

死にゆく家族の枕元で、人民は何を思ったか。想像に難くない。

かくして、辺境の村一つが一揆を起こすこととなった。


その情報は政府へと即座に伝搬された。

村一つはそこまで脅威ではない。

しかし、他の村と結託するようなら厄介であろう、と。

その頃には政府にも正常な判断は失われていた。大気汚染問題は確かに半分解決したようなものだ。しかし、食料や市民の住居もままならないのが現状。対応に追われていた。

それ故の判断は、本件については保留とする。という無責任なものであった。

対応が遅れた結果、人民のフラストレーションは国を破壊せしめるだけの脅威となるのだった。


「なぁ、これで本当にいいのかよ」

ここしばらくお留守にしている月は当てにはできない。自前のカンテラに照らされた顔が赤く浮かび上がる。

「これで、いいんじゃないのか。少なくとも俺はそう信じているが」

溜息をつきながら遠くを見つめた。上体を反れば体は闇に溶ける。

「なんで挙兵したんだよ」

困り顔が問う。

「なんでもクソもねぇよ。政府から俺たちの機械を奪い返してみんなを助けるんだ。そのためのお前、だろ」

そうはいってもなぁ、と困り顔が独り言。声は霞に消える。今日はいやに曇ってる。

「でも俺は間違ってはいない。だろ?」

「…そうだな、間違ってはいない。だけど、本当なのかってとこが僕の心配してることなんだよ。」

場は静寂に包まれる。

「でも、もしここで俺たちが泣き寝入りをしようものなら仲間は死んでくぜ。あの機械の完成には相当な年月を費やした。更に交渉は意味がねぇことは自明だろ?だってもし交渉で出来るだけの許容量があるなら俺たちは救われたはずだ。奴らは俺たちのことなんか歯牙にもかけねぇ。ただの労働者だ。なら武に訴えるしかないじゃんか。」

一息に話し切ると困り顔が更に困り顔になる。それ見たことか、とカンテラを勢いよく吹き消した。闇が侵食してくる。

「じゃあな、明日は決行だ。寝ろよ」

ああ、と気のない返事を受けて立ち上がる。そのままあばら家に消えていった。


死に追い立てられた人民の勢いは凄まじかった。

破竹の勢いでの進軍。仲間の屍を乗り越えて、昼のみで山を越えた。眼下に広がるは街。まだ防護圏には程遠い。

序盤では仲間の倒れるのに気を配っている節はあった。

しかし、時が経つにつれ、仲間をおもんばかる余裕はなくなってくる。

置いて行かれれば地図もない。自己防衛するだけの十分な武器もない。仲間を助けるための進軍の最中自分を救うことに精一杯だとは皮肉な話である。

中盤に差し掛かると倒れる仲間を気遣いそぶりはあるものの、立ち止まるものは無くなった。

体の疲労が限界を迎え死に付すもの、化学物質の病理によるもの。様々であった。

山越えも終盤になり、人間は、他人を意識することはおろか、自分を意識することを止めた。

地図などの下準備はない。無限にも思えるような道のり。背後には死の影。

走る。

走る。

走る。

終わりなき行軍の果てに、気付けばほのかに光る明かりの中にいた。

山を越え、隣村にたどり着いたのだ。

意識は、静かに闇へと飲まれていった。


液晶画面に移された地図。この近郊のものであった。

今対策に追われている政府はこの一揆も重要議題の一つと捉え始めていた。

ほの暗い白地図に煌々と照る赤い点。

それは真っ直ぐと、村の行軍の後をたどるように引かれている。

また一つ、その村の直近の村に赤い点が灯された。


泥のような人の山をかき分け、白く光るカンテラに人影が近づく。

「まだ寝ないのかよ」

困り顔がそう問うた。

白地図に線を引きながら、あぁ、と気のない返事をする。

「今日も随分だったが、明日もこんな感じか?」

またもあぁ、と返ってくる。

「一日くらい休むのが得策だとは思うぜ」

困り顔がその顔をさらに困らせてそう呟いた。いや、相手だけに届くように伝えた。

「そうしている間にも罪のない仲間が死んでいくんだよ」

叫んだ。その目は白地図でなく困り顔に向いている。

「確かにこの行軍は無茶かもしれない。でも、それでもこれが肝要なんだ。こうでもしないと仲間は死んでいく。勿論ここにいる人たちも同様だ。もう時間がないんだ。これしか解決策はねぇんだよ」

一通り喋りきると青年は黙った。すまん、独り言だ、と口の中で呟いた。

「まぁ、この村で休憩でも取るさ」

「それがいい」

白く照らされた二人はまた、互いに明後日も方向を向いた。呻き、寝返りを打つ人の動きがまた一つ、二つと止まった。


その日、村はいやに活気づいていた。

山を越え去来した人々の意思に中てられた民の大多数が行軍に加わることを決めたのだった。

元からいた人々はそれを拒んだ。

この行動の過酷さを、そして考えもせず着いてきた自分を責めるように。

しかし、ここも同じような状況であったのだ。

ここの住民も長きにわたる労働の成果が自分たちに何ももたらしてないことに憤っていた。

しかし、ここが他と違っていたのはいさめる人間がいたことであろう。

武に訴えようとする若者の団体に武器を収めるように語ったのはその村の長老であった。

若さに物を言わせたその勢いはとどまることを知らず、まさに都市に向かおうとしていた矢先、その団体の眼前に立ちふさがった。

このことは村人たちに少なくない衝撃を与えた。

第一に、その長老が大気中に漂う化学物質に今に殺されそうになっていたからである。

寝たきりで食事もまともに取れない状態をおして行軍を止めたのだ。

そして、政府によって家族全員が殺されていたこと。

妻にこそ先立たれていたが、二人の娘は工場勤務で亡くし、息子は政府の官僚として戦争並びにかつての化学兵器の使用を止めようとしていたことによって投獄、病死した。

そんな状態であった長老が政府に反駁するこの団体を止めることはないだろうと思われていたのであった。

しかし、事実立ち上がったのである。

これ以上の無駄死には許さない、と。

そのあまりの剣幕に自らの愚かさを悟りその団体の進軍は取りやめになったのだ。

しかし、状況は一変した。

長老が急死したのである。

それも青年たちの軍が到着し、翌朝になって発見されたのだった。

堰は外れた。

一人の人間の死が村中に怒気を与えた。

かくして、元来いた者たちの説得は聞き入れられることなく隊は更に活気づくこととなった。

その間、倒れる人間の無念を掲げて。


予期していたこととはいえ、最悪の状況である。

戦時中活躍していたロボットに人間を殺すことはできない。

もしそうしたいのなら根本から改善する必要があるのだがそうはいかない。

それはこの崩れた世界の中で生き残っていくべき指針でもあった。

しかし、攻め入らせるわけにもいかない。

都市には辺境ほどでもないが自分たち人間を含むは住んでおり、機械が壊されようものなら人民の生活が危ぶまれるからである。

ロボットに代替されたため人間のみで構成される軍隊は今やない。

よって、政府は人命を貴ぶことを考えある意味「最悪の」決断をしたのだった。


「思惑通りだったな」

やつれた顔の困り顔が言った。

「そうだな」

青年は地面に寝ころんだままそう答えた。枕元には油のつきかけたカンテラが細々と顔を照らしている。

その横にいやに光るものが置いてある。冷たく、黒く輝いている。

長さ親指一本ほどの小太りの瓶である

「それ、持ってき来てたのか。こんなことに使ってよかったのか?親父さんの肩身だったよな」

「使えるものを使っただけだ」

そっけなく返事をし、困り顔に背を向けるよう寝返りを打つ。

困り顔はその場にあぐらをかくとまた問うた。

「死ぬ間際の人間があんなに汚いとは思わなかった」

「今日はやけに話すんだな」

「この村であんなに慕われていた長老も俺たちと同じ人間なんだな」

無言。

「妹と同じだった。あんなに可愛げのあったあいつでさえ死ぬ間際に俺は悪寒を禁じえなかった。その時は自分はなんて冷酷なんだろう、と思ったが今は違うな」

…無言。

「俺には詳しくわからんが化学物資ってのはすごいな。あんなにきれいなものをあそこまで汚くできる」

……無言。

「なぁ、化学物質が無かったら妹は死ななかったんかな」

息を吸う音。

「……今日の長老みたいにか」

「そういうこった」

沈黙。

沈黙。

沈黙。

すっ。

カンテラが風に吹かれ消えた。

「たくさん死んだな」

どちらが問うたか。

「そうだな」

どちらが答えたか。

「ここからが勝負だな」

どちらが問うたか。

「そうだな」

どちらかが、答えた。


その日は生憎の雨だった。

行軍の速度は遅々として上がらない。

ただ、初日と違いひたすら平地である。

これが行軍の少しばかりの助けになった。

また、徐々に都市に近づくにつれ、村も多くなってゆく。

食料と人間の調達も滞りなく進んでゆく。

その度に、青年は訴えた。

政府への怒りを。

気付けば大所帯になっていた。

多数の死者を出しながら、主立った障害はないまま、一直線に都市へ。

徐々に空気が軽くなってくる。

死者の行軍に、一人の男が近づいてくる。


これでよかったのか。

怒れる軍勢の対処に向かう男を送り出した後、議題をほっぽり出して始まった議論がこれである。

勿論、この言い争いが何を生むわけでもない。ただの恨み節である。

事実、これ以外の方法はなかったのだ。しかし、それが何よりも悔やまれる。

何が正しかったのかは誰にも分からない。

同時に、悪くなかったのが誰かも分からないのだ。


「もう、やめてくれないか」

目の前に立つ「ニンゲン」がそう言った。

それはこの行軍を、我々人間を止めるには脆弱すぎた。

「なぜ、やめねばならない?」

憮然と、そう言い返す。心から出た本心だった。

「この行動がみんなを苦しめているからだ」

…何を言っているんだ。

「世界中の、お前ら以外の全ての人間がお前らの引き起こした戦争の副産物で苦しんでいるんだぞ。それの恩恵は俺らには来なかった。おかしいと思わないのか。なぁ、この化学物質の中、ずっと働かされ続けた俺らの気持は。考えろよ、おい。考えてみろよ」

目の前の「ニンゲン」は呆気に取られていた。

自分が優位に立っていると考えている雑魚にかまってる暇はない。

「もういい、お前死ねよ」

そういった瞬間、その男から表情が抜けた。

「な、そんなはずは」

「ないってかい、あるよ、地獄で、俺らに詫び続けろ」

その声を合図に「ニンゲン」は取り押さえられた。ポケットから透明の瓶を取り出す。もとはといえば手紙が入っていたものだ。今は…。

「俺ら人間には少し必要だったが、お前ら自称人間は何ミリグラムで死ぬんだろうな」

絶叫と共に一つの体が瞬時に汚濁されて消えた。

「さぁ、総仕上げだ。機械を奪還して村々に平和を!」

地を揺らすような鬨と共に機械仕掛けの壁が壊され侵略が進んでゆく。

その刹那、世界が闇に包まれた。


「青空は拝めるのかね」

一人が問うた。

「無理でしょうな。今生では」

応えた。

先程の騒ぎから一転、静寂に包まれている。

「まさか、機械がここまで進んでいるとは思いませんでしたよ」

「全く、愚かしいことです」

ロボットを用いた覇権争いからすぐ、世界は再生に向かって歩み始めた。

それによって、プログラムが改正され、素直に働くロボットが生産されたはずだったが。

「まだ残っていたのか」

「えぇ、まだ」

取りこぼしがあったようだ。

敵国を責めるのに一番いい方法は国民を殺すことである。

何しろ、ロボットは人間なしでは生み出せない。

戦争が終わってもそのプログラムを持った者はいたらしく、今回の侵略に参加したものを調べると、

「そのすべてが別のロボットによってそのプログラムを変えられていたと」

無言。

その本能のままに行動したのが今回の崩壊だったのだ。

「生みの親を差し出せば止まるんじゃないかと思ったのは間違いだったか」

沈黙。

この国には地面に電池と思しきものが埋められている。

それによってロボットに間接的な充電が施され半永久的に労働することができたのだが、その電池を管理している都市自体が壊れたならばロボットと共にこの国が止まるのももっともだ。

「しかし、ロボットが己を人間だと思っていたのはまた興味深い」

もう消えて見ることはできない液晶画面に最後に移っていた白地図には赤い点、即ち「故障機械」の示す表示が都市に向かって延びていた。

止まってから考えるとは皮肉な話だが、その電池を止めればよかったのか。

「そうすると空気浄化装置が止まっておしゃか、か、救われんな」

笑みがこぼれる。先ほどまでずっと辛かった呼吸は楽になっている。人間死ぬ前には痛みが失せるとは本当のことのようだ。

しかし、これきりだ。

正義はどちらにあったのか。

誰にも分からない。

言うなれば、どちらも正義であった。

仲間を守ろうとしたロボット側も、すべてを守るために何もしなかった人間側も。

どちらも。

静寂が国を包み込む。雲の隙間から雨粒が。

亡くなった国の全てを包み込んだ。


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