4話 大喰らいと異世界
前置きが長いかもしれません。
お許しください。
「私にはかなり大きなシャツだったから」
風呂から上がってきたアンズは、僕の貸したシャツを纏っているだけだった。
薄手の生地なもんだから、ゆったりと着こなしていても所々はボディラインが鮮明になっていた。
湯上りの湿った肌なものだから、肩や鎖骨のあたりはピッタリと張り付いて透けていた。
ほんのりと桜色に上気した柔らかそうな素肌のうち、膝上から下が大胆に露出されていた。
「ちゃんとズボンも置いておいただろう?」
「だって、あれじゃあ裾を引きずって歩きにくいじゃない」
なんで僕ばかりが狼狽えなければならないのか。
この家の主は僕であるにも関わらず、偶然助けた相手にペースを握られていて釈然としない。
何かがおかしい。
調子が狂ってしまう。
「そうかよ、じゃあ好きにすればいいさ。そんなに裾の短い恰好をしていてその中身が丸見えになったって文句を言わないでくれよな」
だから少し乱暴かもしれないけど、アンズにも少し困ってもらいたかった。
自分がどれだけ危うい格好をしているか自覚すればいいんだ。
そう言う意味合いを込めて意趣返ししてみたのだけど。
「あら、命の恩人であるセイレンにならさらけ出したって構わないと思っているのに。私はあなたにそれくらいの恩は感じているのだけどね」
もしかしたら僕はからかわれているのだろうか。
結局、僕の企みはそのまま跳ね返されてしまった。
慣れない事はするものじゃないんだな。
またしても僕の心臓は鼓動が早くなってしまったようだった。
「滅多なことを言うんじゃねえよ。それよりもあれだけ血を流したんだから、次は飯を……」
きっとよっぽど腹が減っていたに違いない。
そうでないと、家人の許しもない内から勝手に食卓に手を付けるなんて有り得ないからな。
うん、きっとそうに違いない。
獲物を発見してから、捕食するまでに最短距離を駆け抜けた感じだ。
先ほどの大胆発言をしながらアンズはテーブルの前に陣取って、僕が用意したパスタをモリモリと口に詰め込んでいた。
もうそれは一心不乱と言って不足が無い。
分量を間違えて少し多めに作ってしまったのも、アンズの食欲の前では些細な事だったようだ。
「んぐっ、セイレン……み、水……」
半ば呆れながらその喰いっぷりを眺めていたが、どうやら一気に喉に流し込みすぎたみたいだ。
「そんなに慌てて食べたら誰だってそうなるって」
少しだけ嫌味を交えつつも、テーブルに置いておいた冷水ポットの魔石にほんの少しだけ魔力を込める。
ポットの中にも魔石があり、外からの魔力に反応してポットの中に冷水が満たされていく。
キンキンに冷えたそれをグラスに注ぐと、アンズは掻っ攫うように奪い取って一気に飲み干した。
まったくもって忙しい子だ。
まあでも、これで随分顔色もよくなって来た。
それからもうしばらくは無言での食事風景を眺める事となった
「ふぅ~……セイレンって意外と料理上手なのね。ご馳走様でした」
「いやいや、あんな食べ方して味もなにもないだろうよ」
「何言ってるのよ。美味しかったからあんな食べ方になってしまったとは思えないの?」
さすがにそれは無理がある。
どう見たって、無差別に胃に流し込んでいたようにしか思えないぞ。
「よっぽど腹が減ってたんだな」
「そうね、もうかれこれ四日間は逃亡生活をしていたから」
「逃亡って、やっぱりローレンで何かあったのか?」
その質問をするや、アンズは空になったグラスを差し出してくる。
仕方がないのでもう一度、ポットに水を湧かせてから注いでやる。
「ねえセイレン。なんでこのポット水がなくならないの? それにずっと冷えてる」
「ほんと何も知らないんだな。これも風呂に付いてる魔石と似たようなもんだ。ポットの底の内と外に魔石が組み込んであってさ、魔力を流すと冷水がポットの中に湧いてくる魔道具だよ」
「へぇ~、魔石って便利なのね。やっぱり魔物を倒して入手したりするのかしら?」
「やっぱりって言うか、まあその通りだけど。アンズはそんな事も知らないのか?」
するとアンズは呟くように「だって異世界人ですもの」と、言って窓の外に視線を移した。
ローレンに関連する話題になると、どうにも歯切れが悪くなる。
それにさっきから気になっていたのだけど【異世界】とはなんなのだろうか。
「アンズはさっき言ったよな? 僕が君に害を成さない限り敵意は向けない、って」
「……そんな事言ったかしら?」
「じゃあもう一度言ってもらうだけだ。アンズ、僕は君に害を及ぼすような人間じゃない。それでも君は僕に敵意を抱くか?」
きっとアンズは、僕に対して心を開いていいのか迷っているのだと思う。
確かに僕はこの子の命を救ったかもしれない。
素性を知るよりも前に風呂を貸し、服を貸し、あまつさえ食事まで提供してあげた。
でもだからと言って、善人だけがそのような行いをするとは限らない。
もしかすると僕が悪人である可能性だってあるだろう。
僕は誓って悪事なんて働かないけど、そんな事さっき出会ったばかりのアンズが知る由もないのだ。
逆に言うと僕だって彼女を信用している訳じゃない。
忌み嫌われている不吉の象徴【黒髪の魔女】を彷彿とさせる容姿とステータスを持っているのだから。
でも僕は何故かこのままアンズを放っておく事なんて出来なかった。
しばらく部屋には沈黙が居座っていたのだけど、先にそれを追いやったのはアンズだった。
「この世界で黒髪って言うのは差別的な表現で使われているのよね?」
「ああ、僕の知る範囲ではアンズが言った通りの解釈で間違ってないよ。アンズの国ではそんな事は無かったのか?」
「ないわね。私がいた世界、私の住む国では黒髪なんて当たり前だったもの」
僕の知る限り、いや世界の歴史を遡っても、そんな黒髪だらけの国があった記録はない。
現在だって世界の隅々を探したってそんな国なんかない。
「いったい君はどこから来たんだ?」
「だからさっきから言ってるじゃない。それにステータスだって見たでしょ? だからセイレンは驚いていたんじゃなかったの?」
いや待ってほしい。
その異世界と言う所は、この世界中どこを探したって見当たらないはずだ。
アンズがそこから来たのはいいのだけど、この世界に無い場所からどうやってローレンに行きつくと言うのか。
それに僕が驚いていたのは、異常なまでのMP量と精霊や付与を操る【術使い】だったって事が大きかったのだけど。
何より彼女は架空の存在を目の当たりにして、あろうことかそれを殺していたのだ。
「いや僕はその異世界って所をまったく知らないんだ。驚いていたのはアンズの能力と魔女殺しって言う称号のほうだよ」
そう言うとアンズは、どこか得心がいった感じで頷いて見せる。
そして「確かに異世界って言われても分からないわよね」と言ってキッチンのお湯を沸かす魔道具に魔力を流していた。
「この葉っぱって紅茶よね?」
「ああそうだよ。好きなら適当に飲んで構わないけど、僕としては話の続きをお願いしたい」
それから僕とアンズはそれぞれ三杯ほどの紅茶を飲みながら話に耽る。
異世界の事、どうやってローレンにやってきたか、そして何故あんな大怪我をしてまでローレンを脱出してきたのか。
あまりにも現実離れした、非常識な事ばかりだった。
もう僕の頭の中からは、休暇と言う二文字は完全に消え失せていた。
お読みくださりありがとうございます。
次回の更新は日曜日を予定しています。