2話 セイレンとアンズ
日頃の多忙を言い訳には出来ない。
我が家に正体不明の怪我人を招き入れているにも関わらず、ついうっかり寝入ってしまったようだ。
部屋の中に流れる気配が変化していなかったら、日が暮れるまで横たわっていたかも知れない。
危機感のお陰で、起き抜けと同時に意識も体も覚醒した。
ソファから一気に身を起こして、女が眠っているベッドへと首を回した。
「動かないで!」
だが時すでに遅し。
完全に僕の油断が招いた危機だった。
治療を終えた黒髪の女は既に目を覚まし、体中に歪な魔力を満たしながら、臨戦態勢で僕を睨みつけていた。
のだが、そこにいる女の髪が何故か黒くなかったのだ。
「あなたは何者? 私の敵? 味方?」
女はそう言って、ベッドの縁までゆっくりと腰を動かしていく。
そもそも、動くなと言われて、その通りにしなくてはならない根拠はない。
なのだけど、並々ならぬ魔力量と黒かった髪が燃えるような真紅に変貌していたことで、僕の危機察知能力が最大限の警報を鳴らしていた。
とは言え、ついさっき腰に大怪我を負っていた女と同一人物なのはその顔を見れば分かる。
髪が変色した理由は不明だけど、この赤髪の女は僕がさっき助けた黒髪の女である事だけは間違いない。
「君に何があったかは分からないけれど、僕は大怪我をして僕の家の前で倒れていた君を治療しただけなんだけど」
僕がそう言うと、女は何かに思い至ったように怪我をしていた腰に手を持って行く。
どうやら自分の身に何が起きたのかを思い出し、僕の言葉の信憑性が高い事に気付いたようだ。
「そう……あなたが私を助けてくれたのね。でも、念のためあなたのステータスを確認させてくれないかしら?」
「おいおい、命の恩人に対してかなり失礼な物言いなんだな」
「ごめんなさい……腰の怪我もそうだけど、それなりに酷い経験をしてきたのよ。もちろん私のステータスも開示するわよ」
「だったら君が先に見せるのが筋だと思わないか?」
「それは出来ないわね。私がステータスを出している間、私は無防備になってしまうもの。現状すでに無防備なあなたが先にステータスを出した方が合理的じゃないかしら?」
どうやらここまでにこの女はかなり酷い目に遭ったのだろう。
きっと僕が怪我を治療した事には納得しているはずだ。
現状から察するだけで、僕の言葉は信用するに足るだけの要因が出そろっている。
害を加えるなら既に殺しているはずだし、もしこの女を辱める為に家へと入れたのなら体の自由を奪っているだろう。
「仕方がない、先にステータスを見せるから、君も必ず見せる事を約束してくれ」
「もちろんよ。あなたの身元が安全であれば、いえ、属国が【ローレン】でさえなければ、だけどね」
「君はローレンから来たのか?」
どうやら最後の質問には答えてくれそうにない。
少しだけ返答を待ってみたのだけど、埒が明かないのでさっさとこちらのステータスを見せる事にした。
【名前】セイレン・エレミネス(23歳・男)
【LV】41
【属国】ダブリン王国
【種族】人間
【正職】守護騎士
【副職】なし
【HP】80250/80250
【MP】1500/1500
【〇能力・◇称号】
〇守護防壁 〇上級回復魔法 〇低級回復魔法
〇身体強化 〇複数武器適性 〇盾適性
〇守護精霊の加護
◇騎士爵 ◇ダブリン西方国境騎士団副団長
◇大物殺し ◇守護者 ◇半不死
これを見ると我ながらにしていつも思う。
根っからのHPバカだなと。
攻撃はからっきしだけど、守護騎士としてはこれで正解かもしれない。
「これでいいか?」
「良かった……どうやらここはローレンじゃないようね」
「そんなにローレンで酷い目に遭ったのか?」
「ええ、酷いなんてものじゃないわ。きっとあなたは信じられないでしょうけどね」
「ああ、そうだな。今のままで君の話を聞いたって、僕は何も信じる気にならないだろう。だから次は君のステータスを見せてくれないか」
「そうだったわね……」
女の身体から魔力が霧散する。
真っ赤だった髪の毛が、元通りの黒髪に変色した。
不思議な現象につい見惚れていると、不慣れな手つきでステータスの表示に戸惑っている。
「どうしたんだ? ステータスの開示は初めてか?」
「初めてではないのだけど……と言うか、このステータスっていうものにまず慣れていないわね」
そう言い終えたのと同時に、女のステータスが目の前に開示された。
【名前】アンズ・イチジョウ(18歳・女)
【LV】3
【属国】
【種族】人間
【正職】付与術士
【副職】精霊属性術士
【HP】89/230
【MP】11200/52300
【〇能力・◇称号】
〇属性付与術 〇付与術 〇属性魔法
〇精霊喚起 〇精霊武装術 〇語学翻訳
〇魔法書適性 〇鑑定術
◇勇者失格 ◇異世界人 ◇魔女殺し
女の名前は見た通り。
聞き慣れない名前に首を傾げ、視線を徐々に下げていく。
レベルが3、人間、所属国が無いところはまあ普通かとは思う。
しかし、そこから下の部分に僕は驚きと焦りを感じた。
最後に記載されている称号【魔女殺し】まで見てから、つい反射的に僕の目はアンズへと向けられた。
魔女を殺したと言う事は、魔女が実在した何よりの証左ではないか。
黒髪の魔女はお伽噺の架空の人物ではなかったと言うのか?
「驚いた? でも安心して。私に害を成さない限り、私はあなたに敵意をむけないから」
今さらそんな事の口約束などどうでも良かった。
それよりも、アンズが見せてくれたステータスの中身の方が重要だった。
なにせ【正職】から下の部分については異常と言わざるを得ない。
黒髪だけでなく、このステータスを見せられたら誰だって彼女を【魔女】と認識するに違いないのだ。
その魔女が何故か【魔女殺し】と言う称号を持っている。
一体全体、魔女とは何なのか。
彼女も魔女で、彼女以外にも魔女がいるって事なのだろうか。
「驚いた、なんてもんじゃない。君はいったいどこから来て、ここで何をしようとしてるんだ?」
普通であれば、こんな身元も不明な黒髪の少女と向き合おうなんて奴はいないだろう。
ではなんで僕が彼女の話を聞くのか。
それは僕が守護者であるからとしか言えない。
相手が弱者であろうと、強者であろうと、僕は生粋の守護騎士なのだから。
困った人は放っておけない。
きっとそれは、僕が生まれ持った性質なんだ。
それに何より、アンズが本当に魔女でこの国に災いをもたらす存在だったとしたら、僕がここでどうにかしないとならない。
とにかく今は彼女の話を聞くことにしよう。