“はじまりに”
エルフの国防衛戦よりおよそ一カ月前のこの日、日本から転移して来たばかりのコーウェンはリグルドの町を歩いていた。目立つ魔導師のローブは無地の黒い外套へと着替えられ、念には念を込め、その顔も目深に被ったフードの影によって隠されている。
転移前に言っていた、ドラゴンと戦う前に会っておきたい人物――アーヤ・メイルリーの顔を一目見るために、直接あの洞窟へと飛ばずにここへとやって来たのだ。あの子の顔を見るだけで強くなれるような、そんな気がしたのだ。
今頃この時代のコーウェンはエルフの国へと辿り着いたくらいだろう。
コーウェンはそんなことを考えながら、懐かしいリグルドの雰囲気をその身に感じていた。
そのまま静かに歩いていると、果物を販売している露店が目に付いた。未来でも変わらず残っている馴染みの店だ。子供の頃よくメリファに切ってもらっていた果物もここで買ったものだと聞いている。
――アイズに買って行ってやるか。
アイズはリンゴが好きだ。そんな思い付きで大量のリンゴを袋に詰めてもらい、コーウェンは果物屋を後にする。そして少し歩いた先にあるベンチへと腰かけた。子供の頃はよくアーヤと共に利用していた思い出のベンチだ。
先ほど特殊魔法を連発したばかりなため、さすがのコーウェンでも小さくない脱力を感じていた。そのため少しの間そこで身体を休めることにし、リンゴの入った麻袋を膝の上に抱えながらもそっと両目を閉じた。襲い掛かる微睡に身を任せ、小さく息を吐く――。
「――あの、これ落としましたよ」
ふと、誰かに声をかけられたことによりコーウェンの意識が引き戻された。知らない間に寝ていたらしい。コーウェンは外套のフードが外れていないことを確認すると、反射的に礼を告げながら声の主へと視線を移した。
そして同時に、心臓が大きく高鳴った。
そこにいたのは、伸ばされた銀髪と、人当たりの良い笑顔が可愛らしい一人の少女。だが知らない人に声をかける気恥ずかしさからなのか、その表情には不自然な照れが混在している。それはコーウェンの良く知る人物――アーヤ・メイルリーだった。
名前を呼びそうになるのを必死に堪える。ふと、アーヤの持つリンゴが目に入った。落としましたよ、という彼女の言葉を思い出し、改めて礼を告げる。
「ありがとう」
「ううん、気にしないで。それよりも凄い量ですね。一人で食べるの?」
そう問う彼女の視線はコーウェンの持つ麻袋へと注がれている。
久しぶりに聞くアーヤの声に感慨深い気持ちになりながらも、念のためコーウェンは自らの正体がばれないように気を付けながら口を開いた。
「いや、友達と二人で食べようと思ってね」
「ふーん。でも二人で食べるにしても多いよ。お兄さん、変な格好してるし、何だか変わってるね。それ前見えてるの?」
「……以前、顔を火傷してしまってね、それ以来隠してるんだ」
「そうだったんだ、ごめんなさい。そうだ、魔導師様の特殊魔法ならどんな怪我でも病気でも治せるらしいよ?」
そう言うアーヤの口調は決してコーウェンをバカにしたものではなく、子供っぽさを前面に出した結果なんだとわかる。
コーウェンはそんな懐かしい彼女の性格に微笑んだ。
「もう気にしてないからいいんだよ。それと、君の方こそ変わってると思うよ。人見知りにもかかわらず、こんな変な格好した男に声をかけるなんて」
「あ、えへへ、変な格好って自覚あったんだ。……でもどうして私が人見知りだってわかったの? 凄いね、占い師みたい」
そう言って笑う彼女の言葉に、コーウェンは驚きに目を見開いた。占い師、という単語に既視感を覚え、以前にアーヤと交わした会話を思い出す。やがて全てを悟ったコーウェンは小さく頷いた。
「ははっ、よくわかったね。俺は本物の占い師だよ。この町にも偶然立ち寄ったんだ」
「え、本当に!?」
「ああ、本当。俺には未来が見える」
「凄い! それって私の未来も見えるの? 見えるなら占って欲しい!」
「いいよ。何が知りたい?」
「うーん、じゃあやっぱり、私の好きな人について!」
「好きな人?」
「うん、最近ね、好きな人ができたんだ。今はエルフの国ってとこに行ってて会えないけど、私にとっては凄く特別な人なんだ」
「…………そっか。大丈夫。見るまでもないよ。その子も、君のことを特別だと感じてる。絶対に君を不幸な目には遭わせないんだ、ってね」
「え、本当? 嬉しい……」
アーヤが驚いたように両手で口元を覆った。
その表情を見て、コーウェンはぐっと唇を噛み締めた。思わず泣きそうになるのを必死で堪え、その場に立ち上がる。
「間違いないよ。だからさ、伝えたいことがあるのなら思い切って言ってみるといい。……さあ、今からその子の家に遊びに行くんだよね? もうお行き。綺麗なメイドさんが君を待ってる」
「うん、お兄さんって凄いね。そんなことまでわかっちゃうんだもん」
そう言って微笑むアーヤへと、コーウェンも微笑み返す。
ふと、コーウェンは最後の行程を思い出し、麻袋から一つのリンゴを取り出した。
「ほら、お礼にあげる。メイドさんに切ってもらいな」
「え、そんな、占ってもらってまで貰えない。お兄さんに悪いよ」
「気にしなくていい。そもそも大量に買いすぎて困ってたんだ。……大丈夫、毒なんて入ってないから」
「ふふっ、そんな心配してないって。……じゃあ、遠慮なく貰うね。ありがとうございました」
アーヤは差し出されたリンゴを受け取ると、頭を下げてディスタート家の方角へと立ち去った。
コーウェンはその小さな背中を見送る。
ニワトリが先か、卵が先か――。
結果がないと始まりが生まれない。ただ結果は始まりの後に生まれるものだ。だからこそ、どこが始まりでどこが結果なのかはわからない。もしかしたらどこでも始まりに成り得て、どこでも結果に成り得るのかも知れない。
だとしたらアーヤ。君の始まりはここだ。
君はこれからたくさんの困難に遭遇するだろう。でも心配しなくてもいい。そのために俺がいるのだから。
コーウェンは目尻に滲んだ涙を拭い去ると、アーヤの走り去った方角へと背を向けた。
――ありがとう。
そして告げるのは、永遠の別れだ。
――さようなら、アーヤ。
――The End
長い眠りから覚めた私は、息子を見つけ出すために再び冒険者となった。
冒険者としてのその生活に大きな苦労はなかった。
しかし、息子の心当たりを巡っても、その痕跡でさえ発見するには至らない。やがて私は“息子の死”という可能性を心のどこかで受け入れていた。
時を同じくして、今度は真実を形にするために絵のついた本を描き始めることにした。自らを主人公の一人とするのは些か気が引けたが、“魔王”という敵役を登場させたかったために、真っ先に思いついた設定でもある。
敬愛なる、コーウェン・ディスタート様。
あなたは、ルビウス・ユーニヴァスの特殊魔法が嘘で塗り固められたものだということをご存知でしょうか。
誰が見るかはわかりませんが、ここに明かします。
彼の特殊魔法は『封印』。
これは、私以外に知る者のいない事実です。
最後に。
私は、あなたと隣り合って笑う息子を見て、救われました。
ありがとう。
――十二英傑“守護戦士席”ルード・レスティア 手記より。




