64 大事な役目
偶然にも幼き葵と出会ったあの日から、四年と十カ月の月日が流れた。
季節は三月で、ようやく積雪の心配にも終止符が打たれるかという時期。
中学一年生も残すところあと一か月を切ったこのタイミングで、隼人はとうとう前世から予定していた行動を起こすことにした。
「父さん、ちょっと出かけて来るよ」
今日は土曜日なため仕事もなく家でテレビを見ている進へとそう告げると、隼人は返事も待たずに玄関へと向かった。去年の誕生日にクラスの友達からプレゼントしてもらった赤いスニーカーを履くと、そのまま外へと飛び出して行く。
まだまだ肌寒い外気に身を震わせながら、アパートの階段を駆け下りた。
やがてアパート前の公園へと辿り着くと、公園の中央に立ち、周囲に誰もいないことを確認する。
「やばっ、すっげードキドキする」
隼人は一人でそんなことを呟きながら、その場で大きく深呼吸をした。
これから隼人は、特殊魔法の『他者を召喚する転移』を使用して、八歳のコーウェンを殺した翌日の大人コーウェンをこの地へと呼び出そうとしているのだ。
大人コーウェンは『自らの転移』の回数制限の三回をすでに使い切っているため、隼人がこちらから彼を召喚する段取りになっている。ちなみにだが、コーウェンと同じ魔力を持っている隼人にも特殊魔法『転移』は使えるし、魔法を発動できない地球でも具現化と投影を必要とせず練った魔力を消費するだけでいい特殊魔法は例外だ。
そんな情報を頭の中で反芻しつつ、隼人は久しぶりに魔力へと意識を傾ける。
そして、コーウェンとして生きていた頃と変わらない速度で魔力を練り上げると、視線を下へと下げつつ特殊魔法『転移』を発動した。
コーウェンと再会することに対する緊張と、久しぶりに魔法を使った興奮に心臓を高鳴らせつつ、隼人はゆっくりと顔を上げた。
「……そうか。召喚が成功したのか」
先ほどまでは誰もいなかったその場に、彼は立っていた。
青みがかったグレーの短髪と、男らしく引き締まったよく知る顔。魔導師のローブと剣こそ身に付けてはいないが、隼人がその姿を見間違うことなどあり得ない。
彼の名は――コーウェン・ディスタート。
「ははっ、久しぶりだな、コーウェン」
興奮の入り混じった声で話しかけると、彼も周囲を見渡しながら返事をした。
「ああ、と言っても、俺からしたらお前を殺してからまだ一日しか経ってないんだがな」
「ふっ、そう言えばそうか」
そんな軽口の中にも少しの緊張が混じるのは仕方がないことだ。以前から思っていたが、相変わらず自分だとは思えないくらいのカリスマ性と迫力を彼を持っていた。――まあ、単独でドラゴンを殺せてしまうような人間なのだから当然と言えば当然なのだが。
隼人のそんな思いなど知らずに、コーウェンはこちらへと微笑んだ。
「ああ、だから俺からすればこれも昨日言ったばかりなんだが、改めて言わせてもらうよ。――ありがとう」
コーウェンのそんな言葉に、隼人は胸に温かい何かが流れ込むのを感じた。
どれだけ強くなり、出世して威厳を備えようとも、やはり彼はコーウェンなんだなと確信できる。そんな自分らしい誠実さが彼にはあった。
そんな彼を見ていると、コーウェンとして生きていた頃の生活が突然蘇ってくるのを感じた。
決して小さくはない恐怖に震え出した唇で、隼人は問いかける。
「……なあ、あれからみんなはどうなった?」
そんな言葉に、コーウェンの表情から笑みが消えた。少し視線を下げた彼は思い出すように語る。
「……ディーアは、お前が死んだ直後に大声を出して泣き叫んでいた。当然だよな。あんなふうに立ち会った彼女の目の前でコーウェンが魔法の炎に包まれたんだから。……ディスタート家の人間には俺が直接頭を下げに行ったよ。息子の仇を前にして、俺自身も紛れもないコーウェンだと知ると、ただただ悲しんでいた。きっと何を言えばいいのかわからなくなったんだろう」
「お前からの手紙はその後に読んだようだ」と続けるコーウェンに、隼人は「そうか」とだけ呟いた。
隼人には、残して来た人たちの悲しむ姿が鮮明に想像できた。だが、いつまでも落ち込んでいる訳にはいかない。元々そんなのは覚悟の上だったのだから。
隼人は短く息を吐くと、コーウェンの目を見た。
「……さあ、早速本題に入ろう。そっちは上手くいったのか?」
「ああ、何も心配いらない。あとはお前が歴史をなぞって生きるだけだ」
「……わかった、ありがとう」
その時、コーウェンは自らの懐から一冊の本を取り出した。文庫本サイズの薄く小さな本で、表紙には『赤いハンモック』という文字が日本語で書かれている。
ハッとした隼人は視線をコーウェンの顔へと移すと、それに気付いたコーウェンが頷いた。
「ふっ、計算通り転移可能な装備品扱いになってくれたよ。……お前の想像通り、これが『赤いハンモック』だ。俺が書いたんだが……日本語は久しぶりだったから、文章力については多めに見てくれ」
笑いの混じったそんな言葉と共に、コーウェンから『赤いハンモック』が手渡される。
隼人はそれを大切に受け取ると、コーウェンへと微笑んだ。
「後でちゃんと読ませてもらう」
「ああ、そうしてくれ。――そうだ、結局あれは何のことかわかったのか? 一万℃がどうのって……」
「当然。抜かりはないよ。結構前にググっておいたから」
「ははっ、便利な世の中だな」
「魔法もたいがい便利だけどな」
そんなふうに、再び二人で笑い合う。
同一人物でありながら、同じ空間に存在する別の人物――奇妙なそんな関係が、二人にとっては丁度いいのかもしれない。そんなことを考えながら、隼人は上空を見上げた。
晴れてはいるが、あまりいい天気とも言えない、そんな空。
この空の向こう側――宇宙をも越えれば、どこかにあの世界が存在するのだろうか。
隼人は永遠に答えの出ないであろうそんな疑問を心の中に仕舞い込むと、コーウェンへと問いかけた。
「それで、これからどうするんだ? もう一度送り返せばいいのか?」
そんな隼人の言葉に、コーウェンは静かに首を横に振った。
「いや、転移の限界である五年間をこっちで過ごし、自動的に元いた時代へと送り返されるのを待つことにする。……色々理由はあるんだけど、敢えて言うなら“なんとなく”だ」
「そうか……。まあ、途中で帰りたくなったらもう一度俺を訪ねてこい。送り返してやるよ」
「それで、金銭面とか、生活の目途は立ってるのか?」と続けた隼人に対し、コーウェンは無言でポケットの中から大量の宝石を取り出した。それを見た隼人は何も言えずに苦笑し、コーウェンもそんな反応を愉しむかのように意地悪く笑った。
とりあえず、魔導師様に心配は不要らしい。
そんなやり取りを最後に、コーウェンはどこともなく公園を去って行く。
「……じゃあな」
その後ろ姿を見送りながら、隼人はそう呟いた。
やがて彼の姿が視界から消えると、隼人は手元に残った『赤いハンモック』を眺めると、近くのベンチに腰掛け中身を見ることにした。
おそらく、最初に日本に来た時――過去の世界へと飛ぶ前に日本へ寄って隼人をコーウェンへと転移させた――に製本だけをこっちで済ませたのだろう。ざっと見た感じでは普通の本にしか見えなかった。
表紙をめくると、隼人もよく知っている『そこにあるのは君のものだ。それは君だ』、『ところで、左目は無事か?』という文章――あの日のコーウェンへのメッセージから始まり、その次のページからいきなり本文が始まっていた。
そこに記されていたのは、コーウェンが未来の世界で経験した様々な体験談だった。アーヤへと生まれ変わった葵に悟られないように用語や人名をアナグラム形式で弄り、綴られている。
隼人は、そんな彼の生き様を記した文章に、いつの間にかのめり込んでいた。
今の隼人は、未来の自分の努力のおかげでここにいられるだけだ。アーヤを、葵を救い出したい一心で、どれだけの努力を払ったのか。どれだけの涙を流したのか。そんなことを想像するだけで、胸を締め付けられるような思いを味わう。
一ページ、また一ページと、紙をめくる手が止まらない。
やがてどれくらいの時間が経っただろうか。
あまりにも手元の本に集中するあまり周囲が全く見えていなかった隼人へと、不意に声がかけられた。
「何してるの?」
それは本当に不意の出来事であり、あまりにも突然訪れた再会の瞬間だった。
だからこそ、呆気に取られた隼人の返答はこれ以上ないくらいにシンプルで、今の状況を如実に表したものとなったのだ。
――『本を読んでいるんだよ』
声の主――宮部葵がその返答で納得したのかどうかは、彼女にしかわからないことである。
◆◇
アパート前の公園で葵に声をかけられた日から二カ月が経ち、あれから少しずつ仲良くなった二人は、毎週土曜日になるとあの公園で会うこととなった。
あの日は彼女曰く、小学校の卒業を目前としいつまでも子供でいる訳にはいかないという思いから、なんとなく一人で電車に乗って住んでいる町を飛び出したのだそうだ。
そして今日も二人は会う約束をしており、隼人はあの日と同じベンチで勉強をしながら彼女を待っていた。
それからおよそ十五分後、隼人の上昇した聴力が子供の足音を捉え、葵がやって来たことを悟った。
「おはよう! 来たよ!」
そこで初めて隼人は目を落としていた教科書から顔を上げると、ニコニコと楽しそうに笑う彼女へと微笑んだ。
「うん、おはよう」
かつてメリファにしてもらっていた時のように――隼人はベンチの空いた左側をちょんちょんと叩くと、「こっちへおいで」のジェスチャーをした。
それを見て、無邪気に笑いながら葵が隼人の隣へと腰を下ろした。
「勉強してたんだ? 公園で勉強って変なのー」
「ははっ、実は最近勉強が楽しくってさ」
「えー、私にはわからないなぁ。それにさっきのって癖なの? 人差し指をトントンってしてリズム取るやつ」
「うん、そうだよ」
「えー、なんか変なの」
「あはは、それよく言われる」
そんなふうに笑うと、葵も同じように笑ってくれる。そんな短いやり取りを終えると、隼人はもう一度教科書へと視線を落とした。
葵も肩から提げていたバッグから隼人が貸していた小説を取り出すと、栞の挟んであるページを開き、視線を落とす。
毎週土曜日に公園で会う――なんて言っておきながら、実はやってることと言えば、こうやって同じベンチに並んで一緒に別々の本を読むだけだったりする。隼人自身奇妙な関係に思うが、これが葵の望みなのだから仕方がない。彼女はこんな時間を気に入ってくれているのだろう。
それからだいたい一時間くらい経つと、本を読み終わった葵が大きな欠伸と共に顔を上げた。
「あー、ちょっと難しかったけど、面白かった。はいこれ、ありがとう」
そう言いながら借りていた本を隼人へと差し出して来る。隼人も顔を上げると、葵からそれを受け取った。
「それはよかった。……また何か貸そうか?」
「んー、今はいいや。それより今日はお兄さんの話が聞きたい。何か面白い話して?」
「え……」
珍しく葵がそんなことを言ってくる。
面白い話のネタなど持ち合わせていない隼人は、悩みに悩んだ挙句、この話を持ち出すことにした。
「んー……、なんと言うか、俺さ、実は前世の記憶があるんだ」
決して嘘ではないそんな切り口に、葵が「おおー」と食いついた。
純粋な彼女に微笑ましい気持ちになりつつ、隼人は続ける。
「いや、前世だけに収まらず前々世の記憶まで持ってるんだけど、そこではちょっとばかり有名な人間だったんだ。……もしかしたら君も知ってる名前かもな」
「え、本当? どんな名前なの?」
「教えないよ。……ただ、凄く熱そうな名前、とだけ」
「熱そうな名前……?」
突然の意味不明な言葉に「んー」と考え込む葵を尻目に、隼人は言うべき言葉を頭の中で整理する。
熱そうな名前――コーウェンとしてアーヤからこの話をされた時は全く意味がわからなかったが、今の隼人にはちゃんと理解できていた。
熱そうな名前とはプロミネンス――太陽の下層大気がコロナ中に突出したもの――のことであり、これを和訳すると紅炎となることから、コウエン→コーエン→コーウェンと表した、ただの言葉遊びである。要はコーウェンという名前を紅炎にかけているのだ。
これに気付いた時、隼人はあまりのくだらなさに思わず笑ってしまったほどである。
そしてある日、こんな検索ワードをパソコンに打ち込むこととなった。
――『プロミネンス 温度』と。
「んー、熱そうな名前って言われてもなー。ねえねえ、それって何℃くらいなの?」
――だからこそ、隼人はそんな質問にも答えることができた。
「んー、だいたい一万℃くらいかな?」
「えー、ますますわかんないよ!」
隼人がこのセリフをいつ言おうかずっと考えていたことなど露ほども知らずに、葵は不満ったらしく口を窄めた。そしてわざとらしく腕組みなんかをする。
そんな彼女が可愛く思え、隼人は左手を葵の頭へと乗せた。
頭を撫でられ途端に照れ臭そうな表情へとシフトした彼女は、「やっぱり」と続ける。
「もう面白い話はいいよ。……その代わり、お願いがあるんだけど」
「お願い? 何?」
「うん、あのね……。私たちが初めて会った日に読んでた本あるでしょ? あれ、貰えないかな……?」
そんな葵の言葉に、隼人は思わず感心する。
――まさか、こんなタイミングでこの時が来るとは……。
思わず笑ってしまいそうな展開に、隼人は快く頷いた。
実はずっと持って来ていた『赤いハンモック』をバッグから取り出すと、葵に差し出した。
「あげるのはいいんだけど、約束してほしいんだ。……ずっと大事にするって」
そんな隼人の言葉に葵は勢いよく頷き返し、本を受け取った。
「約束する! 絶対に大事にするね!」
本当に嬉しそうにそう言ってくれる彼女を見て、なんだか隼人まで嬉しい気分になった。
そこでふと、『赤いハンモック』という題名の意味を考えてみる。
そもそも意味なんてあるのだろうか、という思いを持ちつつも、答えは意外とすぐに導き出された。
(ははっ、あいかわらず変な発想だな……)
赤いハンモックとはおそらく、皆既日食の際に見れるプロミネンスの形を指しているのだろう。言われてみればプロミネンスというのは赤いハンモックに見えなくもないのだ。
そんな結論に内心で笑う。そして同時に、隼人はとある決心を固めた。
――もう、今日っきりで葵とは会わないようにしよう。
これまでは隼人も葵もお互いに名乗ることなくやってこられた。だがこれ以上一緒にいると、何かの拍子に名前を聞かれることだろう。そうなると色々と不都合が生じるかもしれない。
彼女に対してしておかなければならないことはもう何もないはずだ。
隼人はそう考えると、その場で静かに立ち上がった。
「じゃあ、もう帰るよ。……それとさ、訳あって、もうここには来れないと思う。ごめんね」
そしてそれだけを言い残すと、申し訳ないと思いつつも、一方的に公園を彼女へと背を向けた。




