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プロミネンス・ストーリー  作者: 秋保 あかさ
7章 二人の綴り人
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63 幼き彼女

 そこには、懐かしい感覚があった。

 今がいつなのかわからない。あれからどれくらいの時間が経ったのか、それを推し量るためのヒントが全て欠如しているようだ。

 覚えのある全身の怠さと、痛みのような違和感。

 次第に実感するのは、特殊魔法の予備能力によってもたらされる精神の安定だった。

 そしてはっきりと認識する。


 ――ああ、そうだった。

 ――俺の今の名前は、秋谷隼人なんだ。


 強制的に取り除かれる意識の混濁を取り戻そうとするかのように、自らの身に起きた不思議な現象へと意識を傾ける。

 もう、コーウェンはいない。

 そんな事実に小さくない寂しさを覚え、誤魔化すようにわざとらしく笑ってみせた。上手く動かない顔の筋肉の衰えに、今度は本当の苦笑が湧き上がる。

 そんな中、敢えて心の中で言ってみることにした。


 ――ただいま、隼人。


 転移の予備能力――精神の鎮静・事態の受け入れを強制――のせいか、そう呟いて見せてもなかなか自らの境遇に酔えない自分がいた。そんな中で湧き上がる苦笑はやはり、またしても心からのものだ。

 自分に悲劇のヒロインは似合わないな、と隼人は無言で独り言ちる――。




 ◆◇




「ごちそうさまー」

「おおー」


 朝食を食べ終えた隼人は父からの返事を聞き届けると、最後にブラックコーヒーを飲み干し、食卓を後にした。

 そして、極一般的なアパートの一室へと足を踏み入れた。そこは隼人の自室で、小学三年生の男子とは思えない大人びたグッズで構成されている。

 一万円強の入門用ギター、上級者用の英語・仏語参考書、初級者用の中国語参考書、ビートルズの楽曲CDに歴代の芥川賞・直木賞受賞小説など。隼人はその中でどうしても浮いてしまっている黒のランドセルを持ち上げると、姿見の前へと立った。

 鏡に映る隼人の姿は、コーウェンの最期と同じ、九歳を目前とした八歳児のものだ。

 あの日から九年弱が経ったが、当時の――特に最後の一日の記憶は自分でも驚くほどに色褪せていない。あの日もこうやって鏡の前に立ち、あの身体との別れを惜しんでいたのを覚えている。奇しくも身長や体重はほぼ同じだが、髪色だけが当時とは大きくかけ離れていることは言うまでもない。

 隼人がそんな懐かしさから頬を弛ませると、鏡の中の少年も全く同じ表情を返して来る。最後に当時と同じように「真似してんじゃねーよ」とだけ言い残すと、コーウェンのものとは違い従順な寝癖を手櫛だけで簡単に直し、部屋を出た。


「んじゃあ、学校行って来るよ」

「んあー、気を付けてなー」


 朝食後の食器を片していた父へと、肯定の意を込め掌をひらひらと振り返す。

 隼人の父親――秋谷進の出勤時刻は隼人の登校時刻よりも三十分ほど遅く、これが毎朝の光景となっていた。隼人はそんなことを考えつつ、靴を履いて外へと出た。

 五月の朝日が隼人の顔を照らす。微妙な季節なため、晴れているにもかかわらず少しじめじめとした不快さも感じた。

 やがてアパートの階段を駆け下りた隼人の目の前に、アーヤの話に出てきた小さな公園がその姿を現した。いずれ中学生になれば、何も知らずにここを通りがかる葵と何かを話し、『赤いハンモック』という本を渡すことになるのだろう。そんな未来に思いを馳せつつ、思わず浮かぶ微笑みを意味もなく押し殺すと、通っている小学校を目指し踵を返した。


 コーウェンが隼人へと生まれ変わってからの九年弱で、彼を取り巻く環境は大きく変わった。

 かつては屋敷だった住まいが今ではアパートの一室になり、三人もいた親も今では父親一人になった。朝はメリファの声ではなく、目覚まし時計の甲高い目覚まし音によって起こされている。久々に扱う日本語は少しくすぐったく、何よりも驚いたのが、たった数年程度の空白にもかかわらず漢字の書き取りが小学生レベルにまで落ち込んでいたことだ。

 だが、不思議と今の生活を気に入っている自分がいた。

 そもそも元々がこの生活だったのだ。コーウェンとして過ごしていた時間こそがイレギュラーなものであり、既に今世の人生だけで前世と同じだけの時間を生きている。下手に魔力を練れてしまえるからこそ無意識の内に魔法を使おうとして失敗してしまうことは今でもたまにあるが、妙に日本人としての自分にしっくりときているのは確かなことだった。

 そう、もう前世での家族を思い出し枕を濡らしていたのも昔のことなのだ。




 ◆◇




 隼人の通う小学校では二時間目の授業終わりに、二十分間の少し長い休み時間が設けられている。

 その時間を利用して今日に課される予定の宿題を進めていた隼人へと、クラスの女子を筆頭として男女混成で十人ほどのグループが話しかけてきた。


「ねえ、ちょっとお願いがあるんだけど」


 そんな切り口で語られたのは、次の休日、出産のために長期休暇を取っていた昨年度の担任へと出産祝いのプレゼントを買いに行きたいから付いてきてもらえないか、という趣旨のものだった。

 その元担任は今年の四月から出産休暇に入っていたのだが、つい先日に赤ちゃんが産まれたという報せがあったのだ。ふと見渡してみると、話しかけてきた十人全員がその担任の元クラスメンバーだと気付いた。

 そしてより詳しく話を聞いてみると、彼らはより良いプレゼントを探すため、わざわざ電車に乗って少し離れた町に新設された大型のショッピングモールへと行きたいのだと言う。ただ学校区内の外へ子供だけで出るのは校則で禁止されており、予定の空いている保護者もいないということから仕方なく自分たちだけで行こうとしていたらしいのだが、やはり少し不安があるというのと、何よりも電車の乗り方が誰にもわからないということで、隼人の下を訪れるに至ったのだそうだ。

 子供らしくない落ち着いた物腰と、小学生と比べればどうしても抜きん出てしまうあらゆる分野の才能から、何かあっても隼人に頼りさえすればどうにかなる、という風潮が彼らの間で広まってしまっているのだ。

 そう言えば前々世でもこういうのあったなと、当時は自分もこの子供たちと同じ立場で計画を画策するも結局頓挫したことを思い出す。同時に、往復の電車賃や十人もの子供を引率しなければいけない苦労を考え少しばかり気も滅入る。

 だが前担任には隼人も世話になったし、何より子供らしい思いやりを持つ昔からの同級生たちのことを考え、隼人は久しぶりに校則を破ることにした。




 ◆◇




 六駅でおよそ三十分間ほど電車に揺られていた隼人たちは、ショッピングモール前の駅へと降り立った。

 初めて大人を伴わずに遠出したことが気分を昂らせるのか、十人の子供たちは駆け足で駅の改札へと走り去って行く。半ば本気で勘弁してくれと思いながらそんな彼らの背を追い、隼人も駅の改札を通った。

 間違えて北口へ向かおうとする同級生たちを南口へと誘導しながら、隼人は懐かしい気持ちで考える。


(そう言えば、あっちの世界では遠出と言えば馬車だったよな……)


 リグルドからエルフの国までの半月の道のりは、過酷なようでその実楽しくもあった。

 便利な日本社会で育ったからこその趣もあり、道中で立ち寄った町や村でも初めての経験をたくさん積んだ。そしてやはり、あの時間を通じてディーアとより友好を深められたことが、何よりの財産として今も隼人の心に残り続けている。

 その時、そうやって少し悲し気な笑みを浮かべる隼人へと、同級生から声がかけられた。


「なあ隼人! これか? これがそうなのか!?」


 見ると、声の主が指差す先では、巨大な建造物がそびえ立っていた。

「そうだよ」と返事をすると、隼人でさえ少し圧倒されるその建物に、子供たちの目の色が変わる。


「うおーっ、でっけーーな! こんなの俺らんとこねーもん!」


 そう叫び走り出そうとする男の子の腕を掴み、隼人は店内に入る前にもう一度彼らへと忠告することにした。

「ほら、いいか」と手を叩く隼人に、一斉に子供たちの視線が向く。


「テンションが上がるのはわかるけど、絶対に店内では走り回らないこと。下手すりゃ大人でも迷うくらい広いし、何より俺一人じゃ全員にいちいち構っていられない。だから俺から離れたらダメだ。わかったか? 言っとくけど、もし誰か一人でも約束を破ったらブチ切れるから。それはもう尋常じゃないくらいに怒る。すっげー怖いぞ」


 そんな言葉に元気な返事をする子供たちへと満足げに微笑むと、隼人は改めて先頭に立ち店内への自動ドアを潜った。




 それから一時間ほど店内を歩き回り疲れたと言い出す子供たちのために、隼人は開けたホールに設置されているベンチへ腰かけ休憩を取ることにした。

 元々何を買うのか予定になかったため、収穫は未だゼロだった。


「なあー、結局何買えばいいんだー? 隼人はどう思うー?」


 ふと漏らされた今更な問いかけに、隼人は苦笑交じりに口を開いた。


「普通出産祝いって言ったら子供服とか離乳食用の食器セットだとかなんだけど、多分他の人から貰ってるだろうしなー」


 だから現金が一番喜ばれるんじゃないか、なんて無粋な意見は心の中に仕舞いつつ、最終的に何を買うのかは子供たちの判断に任せることにした。

 揃いも揃って悩み続ける彼らを尻目に、隼人は喉の渇きを癒すために自動販売機を目指しベンチから立ち上がった。自販機の前は七~八歳くらいの女の子が既に陣取っていたため、その子の後ろで順番を待つことにする。

 ――その時。

 好みで言えば缶コーヒーが飲みたいが、今は気分的に炭酸の爽快さを味わうのも悪くない。そんなことを考えながらディスプレイを眺めていた隼人の耳に、背後から聞き覚えのある名前が届けられた。


「葵ー? 早くしなさい? 後ろつっかえてるわよ」


 そんな呼びかけに、隼人の前にいた女の子が背後を振り返った。


「んー、わかってるけどー。飲みたいのいっぱいあるんだもん」

「だったら欲しいのが決まったら言いなさい」

「はぁーい」


 まさか、という思いに、隼人の心臓がドクンと高鳴った。

 後ろを振り返ったことにより視界に入る、葵と呼ばれた少女の顔――黒目の大きなぱっちりとした目に、綺麗に通った鼻筋、その小さく可愛らしい口は飲み物を選び切れないもどかしさに窄められていた。


「じゃあ、お先にどうぞ」

「え、あ、ありがとう」


 そんな少女は、隼人へとそう告げると自販機の前から一歩退いた。

 唐突に話しかけられ反射的に礼を述べた隼人は、我慢が出来なくなり、思わず口に出してしまう。


「宮部、葵……?」


 確率としては、別人という可能性の方が遥かに高いだろう。そんなことは隼人にもわかっていた。わかっていて、それでも聞かなければ気が済まなかったのだ。

 だが、そんな思いなど知らないはずなのに、彼女は確かにこう言った。


 ――「え、どうして知ってるの?」


 隼人の唇に力が入る。

「なんとなく」とだけ辛うじて絞り出した隼人は、慌てて欲しくもないスポーツドリンクを購入すると、そのまま自販機を後にした。

 そのまま歩を進めていると、途端に手足が大きく震え出した。

 立っているのが辛くなった隼人はそそくさとベンチへと腰を下ろす。

 こんな偶然があっていいのだろうか。

 ここは隼人の住む町からも、葵が住む町からも離れている。にもかかわらず、こんなに広いショッピングモールで出会うなど、運命としか思えなかった。

 ――何が現実主義だ……。

 自称現実主義者は、本気で運命の出会いだと感じている自分を嘲る。だが決して悪い気分ではなかった。

 もうこの場合は、ただの同姓同名だという可能性は除外してもいいだろう。そんな夢のない結果など誰も望まない。

 コーウェンは買ったばかりのスポーツドリンクを口に含むと、立ち上がり子供たちを振り返った。


「何を買うかだけど、本当に自分の気に入ったものなら何だっていいと思うよ。きっと先生は、俺たちがこうやって遠出までして頭を悩ませていること自体に、凄く喜んでくれるだろうから。……人間ってのは、結構簡単に幸せな気分になる生き物なんだよ」


 隼人はそう確信する。

 だってそうだろう?

 ――俺なんて、彼女と一言話しただけで、こんなにも幸せを感じたのだから。



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