61 愛と願い
現在ディスタート家では、まだあるかもしれないグリムガムの襲撃から身を守るために、シルバとネイルの身柄を匿っている状況である。そのため現在この家では、コーウェン、コール、アメリア、メリファの他に、ディーアにゼファーを加えた総勢八人もの人間が生活を送っている。
そしてコーウェンに残された時間が残り二日にまで差し迫ったこの日、コーウェンはネイルに割り当てられた部屋を訪れていた。
アーヤの死を知らされた直後の彼女は酷く疲弊していたが、今では少し落ち着きコーウェンたちとの会話も増えてきたところだ。
「ほら、メリファに頼んで果物持ってきてやったぞ」
そう言いながら部屋へと入るコーウェンの両手には、切り分けられた果物を乗せた盆が握られていた。
そんなコーウェンへと、先ほどまで読んでいたのであろう本を本棚へと片付けつつ、ネイルが礼を返した。
「俺も一緒にいいか?」
「うん、最初からそのつもりで来たんでしょ?」
「ははっ、ばれてたか」
そうやっておどけて笑うコーウェンに対しネイルも笑顔を返すが、それは酷く重たい、無理矢理作られた笑顔だった。
アーヤを失ったショックから立ち直れていないのは明らかだった。だがそんなのは当然のことであり、むしろ無理矢理とは言え笑顔を返してくれるその様子から彼女なりの頑張りが窺え、コーウェンには良いことのように思えた。
そんな彼女を気遣いつつ、机の上に盆を置いた。
「ねえ、ウェン君はもう大丈夫なの? アーヤちゃんのこと」
不意にネイルがそんなことを尋ねてきた。
「……大丈夫じゃ、ないよ」
それに対し、コーウェンは正直にそう答えた。
確かに第三者からはコーウェンが気丈に見えるだろう。だがそれは、アーヤを救い出すための希望を見出したからであって、決して事件のショックを克服できたわけではない。メリファとくっついて過ごした夜こそ平気だったが、この二日間はアーヤの死ぬ瞬間を夢に見て、夜中に何度も飛び起きるという経緯があった。
それに、この世界から去らなければいけない状況を招いたグリムガムには、あの日と何も変わらない怒りを覚えていた。復讐の対象が既にここにはいないため、意志で抑え込める程度の冷静さを取り戻しただけだ。
そんな返答を聞き、ネイルは「そっか」と呟いた。
「ネイルはどうなんだ?」
「私はね……もちろん悲しいし、アーヤちゃんに会いたくもなるけど、それ以上にあの子が可愛そうで……」
「可愛そう?」
「うん。……もっとやりたいこととかあったと思うし、あの子勉強家だから、もっと知りたいこともたくさんあったはずだよ。それなのに、すっごく怖い目に遭った挙句に殺されちゃうなんて、可愛そうだよ」
「なるほどな……」
アーヤの境遇を改めて想像したのか、しゅんと目を落ち込ませるネイルの姿を見て、コーウェンは彼女も自分と同じだなんだと知った。
死者には二度と会えないから辛い、というのも当然あるが、それ以上に、アーヤの笑顔や人間臭さを思い出すと、そんな彼女が理不尽に殺されたことにどうしても同情してしまうのだ。人間としての欲、好き嫌い、悩み、努力、ちょっとした思い付きなど、みんなが共通して持ち合わせる当たり前の感覚が彼女にもあったはずなのに、そんな中で全てを奪われたというのがどうしても許せないのだ。残された人よりも、殺された人の方が遥かに悲しいに決まっている。
だからこそコーウェンは、アーヤを生まれ変わらせるという道を選んだ。
コーウェンがこの世を去ればまた多くの人間が悲しむことになるだろう。だが、それでもコーウェンは別の世界で逞しく生きていく。全てが消え去るわけではないから。
会えなくなるというのが悲しいことなのは間違いないが、それでも離れた地で生きるその人の幸せを願うことこそが人の愛なのだろう。……その幸せを願う権利さえ奪われなければ、人は必ず強く生きていける。
「なあネイル。聞いてほしいことがあるんだ」
ネイルの考えを知ったからこそ、コーウェンは隠さずに言おうと思った。
そんな覚悟を感じ取ったのか、ネイルは顔を上げコーウェンの顔を見つめる。
「もしアーヤを救い出す方法があるとしたら、どう思う?」
そんな発言を受け、ネイルの顔に戸惑いの色が差した。
「どうって、そんなことができるの?」
「……できる。だけどそれをしてもアーヤとの再会は叶わない。あくまでも彼女自信を救い出すだけだ」
「本当に!? 本当にできるの!? だったら絶対そうするべきだよ! 会えなくても関係ない!」
「ああ、そうだよな。だけどそれをするとな、俺たちも二度と会えなくなるんだ」
「え、どういうこと……?」
「アーヤは確かに救い出せるけど、そのためには俺も彼女と共にここを去らなければいけなくなるから」
「そんな……」
ネイルは、いつの間にか椅子から立ち上がろうとして半立ち状態になっている自分に気が付いた。
特殊魔法という魔法の常識では測り知れないほどの力と、コーウェン・ディスタートという強大な魔法使いが存在する中、話を聞かずして一笑に伏すのは早計だ――無意識下にあったそんな判断。だが、現実は決して甘くない。
改めて椅子へと腰を下ろしつつ、ネイルは口を開く。
「……私はウェン君を信じてるから、本当にそんな方法があるんだということは疑わないよ」
「……ありがとう」
「だから教えてよ。それは絶対にどうしようもないことなの?」
「うん、そうだよ。他に方法はない。どっちかに一つなんだ」
「そっか……」
ネイルの諦めたような声が虚空に溶け込む。
少しの間、二人の間に沈黙が訪れる。やがてそれを破ったのは、ネイルの「そんなの選べないよ」という悲痛な声だった。
「選べるわけないじゃない……。ウェン君のばか……!」
両の掌で顔を覆うネイルに、コーウェンの胸中を不安が満たして行く。
だが続けて発せられたネイルの言葉は、そんなコーウェンの不安を打ち砕くものだった。
「アーヤちゃんもウェン君も大好き。どっちかなんて私には選べない。だから……、だから、どうするかはウェン君が決めなよ。私はそれに従うから」
そう言って顔を上げたネイルの目尻から、一筋の滴が流れ落ちた。
それは、苦渋の決断なのだろうが、それこそが最も正しいと確信しているかのような清々しい表情でもあった。
「本当にありがとう」
ネイルの胸元では、二年以上前に渡したプレゼントのネックレスが輝いている。当時は十二歳と六歳だったネイルとコーウェンが今では十五歳と八歳になり、年頃の子供らしく、様々な面で成長を遂げていた。
そんな事実がふと確認でき、思わず嬉しくなる。
「ううん。……その代わり約束して? 絶対に二人とも幸せになること。生きてたら辛いこともあるだろうけど、それ以上に幸せを見つけるんだって」
「ああ、約束するよ。必ず幸せになる」
コーウェンの返答を聞き、ネイルは涙の引いていない顔でニッコリと微笑んだ。
その表情を見て、コーウェンは初めてネイルに年上としての面影を見た気がした。そうありたいという彼女の思いはずっと感じつつも子供なりの強がりにしか見えなかった以前とは違い、そこにあったのは疑いようのない“強さ”だった。
――大丈夫。この子はきっと強く生きていける。
そう確信したコーウェンは、ずっと放置していた果物へと手を伸ばし、一口大に切ってあるそれを口の中へと放り込んだ。
ほどけて混ざり合う、果汁の甘みと繊維の歯ごたえ。
甘酸っぱく優しくも少し悩まし気なこの味を、コーウェンは永遠に忘れないだろう。
◆◇
――ネイルと話してから一日が経った。
――今日は、コーウェンの死の前日だ。
この日の早朝、シルバとコールが共同で当たっていた事件の調査・処理の仕事にも一段落が付き、リグルドの町にも普段通りの活気が見え始めたのを機にコーウェンとディーアからの証言――グリムガムの黒幕や安否の情報――にも一定以上の信頼が得られたことから、シルバとネイルはゼファーと警護の衛兵たちを伴いレイジェルドの屋敷へと引き返して行った。
死の前日と言えど時間の動きが緩やかになるということなどはなく、むしろいつもよりも早く時間が過ぎて行くようにも感じられた。
いつものようにメリファに起こされ、みんなで朝食を食べ、家族と話し、やがて昼食を済ませる。午後からはコーウェンのわがままで、コールと共に久しぶりに剣術の稽古を行った。当然強くなることを目的としたわけではなく、かつての日課をもう一度反復しておきたかっただけだ。
やがて時間が経ち、いつものメンバーにディーアを加えての夕食が済むと、コーウェンは翌朝までの時間を両親と共に過ごすことにした。メリファと一緒に寝た日に、こういうのも悪くはないと知ったのだ。
やがて夜更けは彼らの下へと舞い降りる。
コーウェンからの申し出により、一つのベッドに三人が並んで寝転がった。
いくらコーウェンが子供とは言え、二人用のベッドに三人が並ぶとかなり窮屈だ。肩や足が接触し、誰ともなく身を捩る。そんなのが楽しく照れ臭くもあり、コーウェンは意味もなく笑ってしまう。
「あははっ、やっぱ狭いねー」
「そうね。でもその分ウェンとくっついていられるから、私は嫌じゃないわよ」
アメリアは「んーーっ」と、真ん中に寝るコーウェンを嬉しそうに抱き締めた。
「でもどうしても狭いって言うのなら仕方がないわ。その時はお父さんに下りてもらいましょう」と続けるアメリアに、反対側から苦笑交じりの反論が飛ぶ。
「おい、ウェンのことになるとお前はいつも強気だな」
「当たり前じゃない。前にメリファがウェンを独り占めしたって聞いた時からずっとこの日を待ってたのよ?」
「はあ? あのなぁ……俺はお前と初めて出会った日から、こうやって二人の子供を真ん中に挟んで三人で一緒に寝る日を夢見てたさ」
そんな突然の甘い言葉に、アメリアが目に見えて狼狽え出す。
「え、あ、いや、私だって……その……。――ま、まあ、あなたに下りてもらうのはあくまでもウェンがそうしてほしいって言った場合だから、今はまだそこにいてもいい……わよ?」
「じゃあありがたくそうさせてもらうよ」
「ははっ、相変わらず仲いいね」
理想的とも言える両親の夫婦仲に思わず感心してしまう。
これだったらコーウェンがこの世界を去ってからも、二人目の子供なんかを作って幸せに生きて行ってくれるだろう、と半ば本気で考える。同時にそう願う自分がいた。
そんなコーウェンの思いを知ってか知らずか、アメリアがコーウェンの髪に自らの額を押し付けてきた。
「ふふ、そうね、否定はしないわ。だけど一番はやっぱりウェンかなー」
そう言いながら、アメリアは落ち着かない様子で押し付けてきた額を更に擦り付けてくる。
同じ見た目をしたグレーの髪が混ざり合い、コーウェンはくすぐったさから思わず顔を背けた。だがそれは不快な意味ではなく、伝わってくる愛情の深さを直に感じたような気がしてのくすぐったさだった。
不思議だな、とコーウェンは思った。アメリアの優しさには、肉体の年齢と精神の年齢がちぐはぐなコーウェンでさえ、心の底から甘えていたいと思わせる確かな力があった。
「僕も、母さんが一番好きかも」
「あら、嬉しい」
思わず漏らしてしまったそんな言葉を聞いて、アメリアがコールへと勝ち誇ったような顔を向ける。
コールへと顔を向けると、彼は微笑ましそうに眉を寄せていた。
「大丈夫、父さんのことは世界で一番尊敬してるから」
「ははっ、そうか。俺もお前を世界で一番誇らしく思ってるよ」
「うん、ありがとう」
コーウェンは思う。
世界で一番好きな人はアメリアで、世界で一番尊敬している人がコール。一番感謝しているのがメリファ。ネイルは一番可愛いと思うし、ディーアには一番助けられた。そしてアーヤは俺にとって――。
ふと、様々な思いが吹き荒れる。
この世界でかかわってきた人たちのことを考えると、不意に込み上げてくるものがあった。やがて涙で視界が滲み出し、それを悟られまいと顔を枕へと押し付ける。
だが嗚咽に肩が震え出し、そんな努力も無駄となった。
「ウェン……我慢しなくていいんだ」
「そうよ。あなたはまだまだ子供なんだから、もっと私たちに甘えなさい」
コーウェンが泣いていると気付いた二人が、そんなふうに言葉をかけてくれた。彼らは涙の理由をアーヤの死だと思っていることだろう。ずっと気丈に振る舞い続けていたその姿に不安を感じていたはずだ。
コーウェンの抱く、様々な思い――。
――もっとみんなと一緒にいたい。
――またこうやって三人で幸せな時間を共有したい。
――これからもずっとメリファの声と共に朝を迎えたい。
――またいつか、ディーアと二人で旅をしたい。
――ネイルの成長をずっと見守り続けたい。
だが、コーウェンは顔を押し付けたまま伝える。
「――だけど、僕は止まらないから。何があっても立ち止まらない! たとえ二人に止められても、俺は絶対にあの子を見捨てない!」
泣き叫び、告げられたそんな言葉。きっと二人には意味がわからないだろう。
それでも変わらずコーウェンへと寄り添い続ける両親の腕の中でも、やはりその意志が揺らぐことはなかった。
そんな中――
どんな状況でも、変わらずその瞬間は刻一刻と近付きつつある。
やがて迎えるは、コーウェンにとって最後となる朝だった。




