60 新たな一日
野鳥の鳴き声が窓の外から聞こえて来た。
温かな朝日がのどかな日常を運んで来る。目を覚ましたコーウェンはその眩しさに目を覆いながら、いつもとは違う天井の模様を視界の端に見た。
「うっ……ん……」
昨日はメリファの部屋で寝たということを思い出しながら、大きく全身を伸ばした。目を擦りつつ上体を持ち上げる。隣にメリファの姿はない。彼女の早起きは毎日のことで、寝た時間が遅くともそれが変わることは滅多にない。
ふと、窓の外へと目を向ける。
ボーっとする頭に、昨夜の出来事がフラッシュバックする。アーヤが死んだこと。ファウリッドを倒したこと。そして未来の自分と出会ったこと。
だが、まるでそんなことなど何もなかったかのように、迎える朝はいつも通りの穏やかなものだった。
――こうやって迎える朝も、残すところあと四回。
コーウェンは視線を部屋の中へと引き戻すと、小さく疼く左目を眼帯の上から撫でつつ、ベッドから足を下ろした。
「よっ……しょっと」
わざとそんな声を出しつつ、コーウェンは床へと降り立った。空気から伝わる振動と骨を伝わる振動が、コーウェンの子供らしい高い声を鼓膜へと届けた。
寝癖の付いた頭を右手で梳かしつつ、ふぅと息を吐く。
――さあ、また新たな一日が始まった。
◆◇
その後コーウェンは自室へと戻り服を着替えると、食堂にて遅めの朝食を食べていた。他の人たちは全員が早くに朝食を済ませており、久しぶりに一人での食卓となった。メリファ曰く、今日はコーウェンを起こすことなく好きなだけ寝かせておいてあげようという話を家族間でしていたそうだ。これでも思っていたより早く起きて来た方らしい。ちなみに、徹夜で事件の対応に追われていたシルバとコールは、朝食を済ませた後に自室へ戻り仮眠を取っているのだという。
そんなことを聞かされながら朝食を食べ終えたコーウェンは、自室へと戻る途中でディーアとすれ違った。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。よく眠れたか?」
「はい、やっぱ疲れてたんで」
「そうか……。なあ、今から少し時間いいか?」
見ると、そう問うディーアの微笑みの中に悲し気な色を見つけた。
「もちろんです。僕も話をしたいと思ってました」
ディーアは昨日起きた出来事の全てを知る唯一の人物だ。そしてコーウェンの前世を知る人物でもある。改まって話すようなことなど特に思い当たらないのだが、それでも何かを話しておきたいという気持ちはコーウェンにもあった。
何より、彼女とも四日後の正午を境に会えなくなるのだから。
二人きりで少し話をすることになり、コーウェンとディーアはコーウェンの自室へと来ていた。
コーウェンはベッドの淵へ、ディーアはデスクチェアへとそれぞれ腰かけた。こうしていると少し前まで二人で旅をしていた時のことを思い出す。それほど前のことでもないのに、どうしても遥か過去のように感じてしまうのも仕方がないのかもしれない。
同じように思ったのか、ディーアが懐かしむように微笑んだ。
「こうして話すのも、エルフの国にあった隠れ家での出来事以来だな」
「ええ、あの時は……、ディーアさんに衝撃的な告白をされましたっけ」
「ふっ、昨日私が受けた衝撃に比べたら大したことではないさ」
「あはは、そうですよね」
確かにそうだろう。まさかコーウェンが転生者で精神年齢も大人だ、などと言われて驚かない方がおかしい。
そんな考えを口に出す。だが、ディーアはそれを即座に否定した。
「そっちじゃない。それ以上に、お前と共に過ごせる時間が残り僅かしかないと知ったことが、何よりも……」
ディーアはそう言うと、優しい表情は残したまま悲しそうに視線を床へと落とし込んだ。
コーウェンは何も言えずに黙り込んだ。昨夜メリファに感じた申し訳なさと同じ類の感情を抱く。そんな中、気丈にもディーアが口を開いた。
「……百年以上も生きているとな、色んな国に色んな知り合いができて、そして別れも経験するものなんだ。お前のことも私にとってはそんな知り合いの一人でしかないから、別れなど何も特別なことではない。……自分の決めた道を歩め」
「ディーアさん……ありがとう」
彼女の言葉は嘘だとわかった。そしておそらくは、彼女自身も嘘を見抜かれていることくらいわかっているだろう。
たとえディーアにとってコーウェンはただの知り合いの一人に過ぎないのだとしても、一年近くも一緒にいたコーウェンには、彼女がどれだけ愛情深い人間なのかが理解できていた。彼女にとって別れに対する耐性など、たった百年ほどの人生で身に付くものではないだろう。
「そうだ、お願いがあるんです」
「ん、どうした?」
「僕がいなくなってからのことをお願いしようと思って。……家族と、あと、ネイルのことを頼みます。特にネイルはたった二人の友達の両方を失うことになるので」
「……ああ。承った」
快く了承してくれたディーアは、「だったら私からもいいか?」と口を開いた。
「ディーアさんからのお願い?」
「ああそうだ。聞いてくれるか?」
「もちろん、なんでも聞きますよ」
そう答えると、ディーアは照れ臭そうに笑った。
ふと、エルフの国にあったシルバの隠れ家でディーアからされた“予約”を思い出した。そう言えばあの時もこんな雰囲気だった気がする。
そんなことを考えつつ、「二つあるんだ」と続けるディーアへと意識を向ける。
「一つは、四日後の転移の日、その瞬間に私も立ち会わせてほしいということ」
「それはもちろんです。こっちからお願いしたかった」
「ふふ、そうか。……じゃあ二つ目。どんな願いでも叶えてくれるんだよな?」
「はい……?」
何故か今更そんな念押しをしてくるディーアに首を傾げつつも、コーウェンは首を縦に振った。するとそれを確認したディーアが、右手でコーウェンの頭を撫でたかと思うと、そのまま後頭部を引き寄せ口付けをしてきた。
「ん……」
それは口と口とを合わせる、正真正銘のキスだった。
一瞬のことで、同時に不意打ちであったため、感触や味といったものは何もわからなかった。だがキスをしたという事実だけが意識に残り、頭が何かに揺さぶられるような感覚を味わった。
何かを確認するかのように、コーウェンの手が自らの口元を覆う。
「前世では十七歳だったんだろ? まさか初めてだなんてことはないだろうな?」
頬をうっすらと朱に染めながらもからかうようにそんなことを言うディーアに対し、驚きが抜けきらないコーウェンは締まらない表情で彼女の顔を眺めることしかできなかった。
――初めてで悪かったな。
そんな悪態を心の中で吐きつつも、その胸中は決して悪いものではなかった。
やがて落ち着きを取り戻したコーウェンは、ディーアの顔から視線を逸らして言う。
「別に初めてじゃない……けど?」
「ははっ……」
そんな返答にディーアが笑った。
「わかったわかった。初めてだったんだな。……ふふ、可愛いな」
ディーアの手が再びコーウェンの頭を撫でる。
子供じゃないとわかっておきながらよくそんなに頭を撫でられるな、と考えつつも、百年以上生き続けている彼女からすれば変わらず子供みたいなものか、と無理矢理納得することにした。
そこで、ふと疑問に感じたことを聞いてみることにした。
「でもディーアさんって、別に子供が好きなわけじゃないんですよね」
「まあな。だけどお前は子供じゃないんだろ? それに子供に対して性的な興味はあるからな。だから子供の身体を持った大人だなんて最高だ」
「うわ……」
何故か誇らしげに答えるディーアを見て、聞かなければよかった、と本気で思った。
久しぶりに心の底からドン引きしつつ、その懐かしさに心の安らぎも感じ、彼女と共にいると精神的に忙しいなと独り言ちる。そしてそんな日常全てが幸せなんだということもコーウェンにはわかっている。
だからこそ、コーウェンはその場に立ち上がった。
「ディーアさん」
「どうした」
「ありがとう。あなたに会えてよかった」
「……それ、前も聞いた」
そして今度はコーウェンの方からディーアの身体を抱き締める。
十二英傑筆頭と呼ばれ、エルフの国最高の魔法使いだと評価される彼女の身体は、その肩書が嘘のように細く弱々しいものだった。このまま全力で腕を締め付けたらどこか折れてしまうのではないか、そんな風にさえ思えてしまう。
思えば、彼女に対しての第一印象は決して良いものではなかった気がする。
だが戦争の準備期間中、ずっと共に過ごしている内に、コーウェンは彼女のことが大好きになってしまっていた。まるで凄く歳の離れた姉のような、そんな存在になっていたのだ。
「キスなんてされたら……余計に寂しくなるじゃないですか」
「……すまない」
そんな悲し気な愚痴を最後に、コーウェンは口を閉ざした。ディーアも同じように黙ってしまい、二人の間を静寂が漂う。だが決して気まずいそれではなく、むしろ言葉などなくとも気持ちが通じ合うかのような、そんな心地よさを感じていた。
そのままの体勢で数分が経ち、メリファが昼食の時間をドア越しに伝えて来た。コーウェンはそんな彼女へと返事をすると、ディーアから身体を離した。
「さあ、行きましょうか」
「……いや、昼食は遠慮しておくよ。あまり空腹は感じないしな」
「そうですか。じゃあそう伝えておきます」
「ああ、ありがとう」
少し名残惜しそうにそう言うディーアに別れを告げ、コーウェンは部屋を出て行く。
コーウェンの部屋に一人残されたディーアは、項垂れるように背中を丸め、頭を抱え込んだ。
思い出すのは、先ほどコーウェンに言った「別れなど特別なことではない」という言葉だ。優しいあの子に要らぬ心配はかけさせないと思い発した言葉だったが、少し失敗だったかな、と考えていた。
――コーウェンとの別れが辛くないなど、あり得はしない。
本当はこの身が裂けてしまいそうなほど辛かった。泣きながら思い直してくれと懇願できればどれだけ楽だろうか。だが、コーウェンにとってアーヤ・メイルリーという少女の存在はとても大きいものだと知った。彼の故郷を知る唯一の女性。それが彼女なのだ。自分では決して太刀打ちできない、頭で想像するよりも遥かに強力な絆が彼らの間にはあるのだろう。
「うっ……っ……」
突然漏れ始めた嗚咽を抑えるように、ディーアは左の掌で口元を覆う。堪らず溢れ出した涙が頬を伝い、床に水滴が弾けた。
しっかりしないと、と思い、次々と溢れ出る涙を袖で拭い続ける。
コーウェンが昼食を済ませ帰ってくるまでには、この涙を止めておかなければいけない。もう少しで会えなくなる彼に弱いところを見せたくはなかった。いつまでもコーウェンにとってのディーア・シルエットでいたいのだ。
彼女は思う。
これから彼に対し想いを伝える時が来たら、きっとその時は感謝の気持ちを伝えることだろう。生まれ変わってもコーウェンがこの世界のことを忘れることは絶対になく、ディーアが彼のことを忘れることも絶対にない。だからこそ、最後の別れには感謝が相応しい。みっともない姿など決して見せてはいけない。
そしてそれぞれが、己の道を歩んで行くのだ。
コーウェンが言っていた。ニワトリが先か卵が先かは誰にもわからない、どこが始まりでどこが終わりなのかもわからないのだ、と。
だったら、それぞれの始まりはそれぞれが勝手に決めてしまえばいい。そして新たな一歩を刻み続けるのだ。コーウェンのそれが異世界でのことなら、自分はこの世界で行うだけだ。
ディーアはゆっくりと顔を上げると、前方をしっかりと見据える。
――ほら、また新たな一日が始まった。




