59 最後の覚悟
ファウリッドへの復讐を果たし、未来から来た自分自身にアーヤの救い方を知らされた後、コーウェンは駆け付けたリグルドの兵とコールに連れられリグルドの町へと帰還した。
道中では街道上で何があったのかという聴取を受けると同時に、事後処理の手順についての説明を受けた。コーウェンの精神状態を考慮して極短時間で簡単に済まされたが、それとはまた関係なく、コーウェンの頭は別の考え事でいっぱいだった。
ずっと、大人のコーウェンから聞かされた内容を頭の中で整理していたのだ。
あの後、リグルドの兵士たちが駆け付け彼らが姿をくらますまでの間にも、大切な話をいくつかしてもらった。それは主に、大人コーウェンがアーヤを救い出すために行ってきたことについて。未来――彼らの本来いるべき時代で何を経験したのかも、簡単に教えてもらった。
大きく過去を変える意思がある限り、『肉体の転移』を用いて過去へと転移することはできない。そのため、過去をできるだけ変えることなく、過去――この時代へと干渉してきたこと。
その中には、アイズが大人コーウェンよりも前の時代へと飛び、十二歳の頃のネイルをリグルドの町外れにある森へと攫いだしたことや、ファウリッドが実は死んでおらず、なおかつ彼の力を借りてこの時代へとやって来たことなどもあった。
他には、大人コーウェンがここへ来る前に、何も知らない隼人をコーウェンへと生まれ変わらせるために一度日本へと赴いたこと。そしてそこで隼人を殺し、転移させ、そのまま日本からエルフの国防衛戦の準備期間中にリグルドへと転移したことなど。彼はその後、人類未踏の地にある例の洞窟へと向かいそこでドラゴンを一騎打ちの末に倒したそうだ。
彼の持つ特殊魔法『転移』の使用状況・予定はこんな感じだそうだ。
『自らの転移』三回――①日本へと飛ぶ(済) ②日本から帰還(済) ③過去へと飛ぶ(済)
『他者の転移』三回――①アイズを過去へと飛ばす(済) ②アイズを過去から帰還(未) ③予定なし。
『他者を召喚する転移』三回――①ファウリッドを召喚(済) ②予定なし。 ③予定なし。
『魂の転移』三回――①隼人をコーウェンへと転生(済) ②コーウェンを隼人へと転生(未) ③アーヤを葵へと転生(未)
そして何よりも重要なのは、これからのコーウェンの取るべき行動に付いて。
コーウェンはこれから家族との別れを済ませ隼人へと生まれ変わる必要があるのだが、死んだアーヤの魂を葵へと転移させるのにどれだけの時間的猶予があるのかがはっきりとはわからないため、この世界との別れを惜しむ時間は五日間しか設けられないということ。
そして五日後、大人コーウェンと、かつてネイルと初めて会った場所で午前十時ごろに待ち合わせをし、そこでコーウェンとしての命に幕を下ろすということ。
隼人として生まれ変わったコーウェンは、やがて成長して中学生になったら特殊魔法の『他者を召喚する転移』を使い、コーウェンを殺してから二十四時間後の大人コーウェンを自らの下へと召喚するということ。地球人にも魔力があるが魔法を発動できないというかつての予想は正しいが、イメージや具現化、投影の手順を必要としない特殊魔法なら発動することが可能で、それは既に大人コーウェンが確認しているから心配いらないそうだ。
そしてそこで大人コーウェンから彼の書いた『赤いハンモック』を受け取り、かつてアーヤから聞かされた自分自身になり切り、幼き日の葵へと本を手渡すこと。
そして最後、顔合わせの日に、指定されたホテルへと赴くこと。
――これが、大人コーウェンから指定されたこれからの行動だ。
やがてディスタート家へと帰還したコーウェンは、自らのなすべきことを噛み締め、屋敷の入り口を潜った。
◆◇
「ウェン! 心配したのよ!」
コールとディーアを伴いディスタート家へと帰って来たコーウェンを第一に出迎えたのは、目に涙を浮かべながら飛びついて来た母の腕だった。
どこにそんな力があるのか、アメリアはコーウェンの身体を強く抱きしめると、嗚咽に喉を鳴らし始めた。それは初めて見る母親の涙であり、コーウェンの心を大きく揺さぶった。
「ごめん、なさい……」
「ううん、いいのよ。無事に帰って来てくれただけでいいの」
アメリアはそう言うと、コーウェンの身体を放し頭を撫で回す。
「あなたは賢い子だから、言わなくてもわかるわよね? 二度と今回みたいなことしちゃダメよ。絶対だから」
有無を言わさぬ彼女の言葉にコーウェンは黙って首肯する。それを見て満足気な表情を浮かべると、アメリアはもう一度コーウェンの身体を抱き締めた。今度は優しくだ。
ふと、アメリアの背後に、彼女から遅れて駆け付けたのであろうメリファの姿を見つけた。アメリアの手前で遠慮しているのか、必死に涙を堪えているのが見て取れる。メリファとはこの家を抜け出す直前に会話したばかりだが、途端に申し訳なさがこみ上げて来た。
そしてそんなメリファの両隣には、シルバとネイルの姿が。
それを見て、コーウェンは初めて自らの行動がどれだけの人に心配をかけたのか理解し、同時にこんな人たちをこの世界に残し死ぬつもりでいる自分の決意が怖くなった。何よりも、決して衰えることのないその決意の強さを知り、怖くなった。
◆◇
その後、事件の顛末を知らないシルバとコールへは、コーウェンに代わりディーアが事の成り行きを説明してくれた。もちろん未来から訪れた大人コーウェンとアイズの話題には一切触れず、コーウェンがファウリッドを倒したところまでを、だ。
やがて安全が確認できるまでシルバとネイルはディスタート家へ留まるという決定を下し、長かった夜がようやく幕を閉じようとしていた。
そんな中コーウェンは、夜のベッドを抜け出しメリファの部屋の前へと来ていた。先ほどのことをまだ謝罪しておらず、それが気がかりでなかなか寝付けなかったためだ。つい先ほどまで廊下を歩くメリファの足音が聞こえていたため、今晩の仕事が片付いてからまだ大して時間は経っていない。きっと彼女もまだ起きていることだろう。
そんな風に考えたコーウェンは、部屋のドアを控えめにノックしてみる。小さな返事が聞こえてくるのを待ち、ゆっくりとドアを押し開いた。
その部屋の中では、自らドアを開けようと思ったのか、ベッドから降り立った直後の寝間着姿のメリファが小さな驚きを見せていた。まさか来訪者の正体がコーウェンだとは思わなかったのだろう、その表情を穏やかなものへと変えると口を開いた。
「どうかされましたか?」
その声のトーンは、いつもの日常と変わらない優しいものだった。コーウェンの心に安らぎを与えるあの声だ。
「うん、さっきのこと謝ろうと思って。止めようとしてくれたらメリファを無視して、出て行ってごめん」
そんな正直に紡いだ心からの謝罪に、メリファの表情がより優しくなったのをコーウェンは感じた。
「いえいえ、辛かったのですよね。コーウェン様は何も悪くございません」
そう言いコーウェンの前へ両膝を突いたメリファは、そのままコーウェンの身体を優しく抱き寄せた。メリファの清潔な香りがし、コーウェンは心の鎮静を感じる。するとほどなくして強烈な睡魔を覚え、あくびを噛み殺した。
そんな様子を見ていたメリファが小さく笑った。
「ふふ、もう夜も遅いですし、そろそろ寝ましょうか」
「うん、そうする。ありがとうメリファ」
「いえいえ。あ、そうだ、今夜は同じお布団で寝ませんか?」
「え……」
思いついたようにそう言うメリファに対し、コーウェンは小さく首を傾げた。
「私、コーウェン様と同じお布団で眠るのがちょっとした夢なんですよ。今日こそ叶えてくれませんか?」
「うん……、わかった。一緒に寝ようか」
「やたっ……!」
可愛らしく小さなガッツポーズをする彼女に、コーウェンは思わず破顔する。
考えてみれば、メリファと二人で一緒に寝たことは今まで一度もなかった。メリファ自身が望んでいることなら一度くらいこういう日があってもいいか、と自分を納得させ、コーウェンは促されるがままにメリファのベッドへと潜り込んだ。
続いてメリファがベッドへと身体を滑り込ませる。二人分の体重を支えギシリと音を立てるベッドをよそに、二人は小さな布団の中で身体を寄せ合う。
「アーヤ様がいらした時も、何回かこうやって一緒に寝たんですよ」
メリファは少し悲し気にそう言いつつ、気を紛らわせるかのようにコーウェンの背中へと手を回した。コーウェンもさせるがままに身を預けている。
少し暑苦しくもある、そんな優しさがそこにはあった。
思っていたよりも心地の良いその感覚に全身を溶け込ませる。初めてだったのだ。前世で隼人の母親は出産と同時に他界しており、この世界に来てからも、気恥ずかしさから母親にこんな風に甘えるということはなかった。
厳密に言えばメリファは母親ではないが、そんな認識は昔からずっと持っていない。彼女はコーウェンにとって紛れもなく母親の一人なのだ。
「ありがとうメリファ。大好きだよ」
「はい……」
夜明けも近付いて来ているが、今日はアーヤが亡くなった日だ。コーウェンの様子がいつもと違うことにメリファが違和感を抱くことはないのだろう。彼女は抱き締めたコーウェンの頭に自らの顎を乗せ、小さく鼻を啜った。
だが、コーウェンが今一番気にしていることはアーヤのことではない。彼女を救い出すための希望は掴んだからだ。
今はただ、この家族のことがコーウェンには気がかりだった。
コーウェンが未来の自分に殺されるのは、たった五日後のことだ。その日、ディスタート家の家族は息子を失うことになる。今こうやって優しく抱き締めてくれているメリファも、きっと心に大きな傷を負うことだろう。
だからこそ考えてしまう。
『魂の転移』に備わった予備能力の一つ。それは、家族内にお互い望んだ者がいたならば転移を共にすることを可能とする、というもの。偶然にもこの世界へと宮部葵を転移させることとなった能力だ。
これを利用すれば、家族三人くらいなら共に地球へと転移できるかもしれない。
だがそれは――。
「やっぱ、ダメだよな……」
コーウェンは小さくそう呟くと、メリファの腕の中で小さく身体を捩った。
家族三人くらいなら可能かもしれない、ということは、可能じゃないかもしれないとも言える。アメリア、コール、メリファの誰かが一人だけでこの世界に残されるという可能性だってあるし、それにコールはこの世界に必要な人間だ。それはコーウェン一人の都合だけでどうこうしていいものではないだろう。
――やはり、これは使えない。
この日だけで何度も導き出したその結論を噛み締める。その時、頭上からメリファの小さな寝息が聞こえて来た。
スースーという可愛らしいその寝息からはメリファの心労が窺い知れる。そこでコーウェンはふと思い至った。
残されていく家族のことが心配だから、三人と共に地球へと転移できるかという可能性を考えていたつもりだった。だが本当は違うのではないか。本当は家族のことを心配していたのではなく、コーウェン自身が家族と離れたくなかったのではないだろうか。
そんな自分を思わず嘲る。
考えてみれば、コーウェンとは違いディスタート家の三人はとても強い人たちではないか。
コーウェンがいなくなればきっと三人は悲しむだろう。だが、それでも彼らは強く生き抜くに決まっている。
十二英傑という英雄の一員に名を連ね、今でも毎日剣術の訓練を欠かさないコール。ディスタート家の広い屋敷を嫌味一つ言わずに管理し、いつも明るい笑顔を絶やさないメリファ。そんな彼らの中心人物として二人を支えるアメリア。
そうだ。彼らの心配などいらないではないか。三人が三人ともコーウェンよりずっと強い人間なのだ。
決意ならとうにしていた。だがコーウェンには覚悟が足りなかった。それを自覚し、コーウェンはようやくその目を閉じた。
「……ごめん。俺にはあの子が必要なんだ」
誰にともなく呟かれたそんな言葉に、頭上の寝息が少し乱れたように思えた。




